第10話 魔物の襲来
それは突然の出来事だった。
昼下がりの平和な時間を打ち砕くように、鐘の音が高く鳴り響く。
「魔物の襲撃だ!」
「位置は北に三マイル! 昆虫系の群れ!」
情報が怒号のように交わされる。
兵士たちは即時に訓練を中止して、要塞前の広場に集まった。
「皆の者! 久方ぶりの襲撃だが、たるんでいる者はいないな?」
整列した兵士たちを前にして、軍団長が声を張り上げた。
その声はいつもの穏やかなものではなく、軍人としての威厳に満ちていた。
隣には副軍団長のベネディクトが控えて、鋭い視線を向けていた。
「この町を、国を守るため、人々に害をなす魔物は速やかに始末せねばならん。――開門、出撃!」
オオ――ッ!
ときの声が上がる。
騎乗した軍団長とベネディクトを先頭に、兵士たちは続々と門を出ていった。
「魔物の襲撃……。皆さん、大丈夫でしょうか」
兵士たちが去った要塞の中で、私は不安な思いに駆られる。
「きっと大丈夫ですよ。ゼナファ軍団の兵士たちは、歴戦の強者ですから」
リリアが私の手を取って励ましてくれた。
メイド長は息を吐く。
「ここしばらく魔物が出なかったから、安心していたのに。やっぱりこうなってしまうんだね」
私が要塞に来てからもう二月以上になるが、魔物の襲撃は初めてだった。
「いつもはもっと頻繁なのですか?」
「ええ。一ヶ月に一度以上は魔物討伐が行われていたわ。そのたびに怪我人が出て……」
「ずっと平和でいてほしかったのに」
「カプでお気に入りの兵士さん、どうか無事で」
メイドたちも落ち着かない様子で小声で話している。
メイド長が両手を打ち鳴らした。
「さあさあ、みんな! 私たちが湿っぽくしていたって仕方ない。いつも通り働いて、兵士たちの凱旋を待っていてやりな!」
「はいっ!」
きれいな部屋で出迎えたい。
清潔なお風呂に入ってもらいたい。
おいしい料理でお腹を満たしてほしい。
ふかふかのお布団で休んでほしい。
命がけで戦う兵士たちに、私たちができるのはそんなことくらいだ。
メイドたちはそれぞれの仕事に取り掛かった。
そして彼らは帰ってきた。
多くの戦果と少数のけが人を抱えて。
「負傷者の手当を頼む」
ベネディクトの言葉に、メイドたちは救護室へと駆けつけた。
そこにいるのは、ほんの十人に満たない人々。
しかもほとんどが軽傷だ。
戦いの激しさに対して、負傷者はとても少なかったのだという。
「魔物の数はそれなりだったが、どこか混乱した様子が見受けられた。敵の攻撃精度は甘く、おかげでしっかりと勝利することができた。しかし……」
ベネディクトの視線の先には、寝台に横たわる人物がいる。
体に巻かれた包帯に血が滲んで、止まる気配がない。
頭に巻かれた包帯からは、金色の癖っ毛がはみ出ている。
「クィンタさん!」
私は思わず叫んだ。
「よう、フェリシアちゃん」
クィンタが弱々しく答えた。
他の人が自力で動いている中、彼だけが寝たきりで血を流し続けている。
「隊長は、僕をかばって……」
ベッドの横に立っていた少年が涙を浮かべた。
「僕のせいなんです。隊長一人だけなら、魔物の攻撃は避けられたのに。だけど……」
「あぁ、下っ端がうるせえな。俺がヘマしただけだ、黙ってろ」
クィンタの口調は弱々しいが、彼は無理に笑ってみせた。
「フェリシアちゃん、俺はもう助からねえ。瘴気をたっぷり含んだ魔物の爪が、心臓のすぐ上をかすめていったからな。他の奴らの手当をしてやってくれ」
「瘴気……」
瘴気については帝都にいるときに学んだ。
魔物の力の源泉で、人間にとっては猛毒となるもの。
五大属性の魔力とは全くの別物で、聖女の力によってのみ浄化されると言われている。
聖女の力。
私はベネディクトを振り仰いだ。
「もしきみが本当に聖女の力を持っているのなら――」
彼は手を握りしめる。
それから迷いなく床に膝をついた。
……私の前に跪くように。
「どうか、こいつを助けてやってくれ。こいつはここで死んでいい男じゃない。そのためならば、私は何でもしよう」
「やめろ、ベネディクト。フェリシアちゃんを、困らせるんじゃねえ……ガハッ」
クィンタが血を吐いた。
怪我は確実に悪化している。
このままだと彼は本当に死んでしまうだろう。
――助けたかった。心から。
だって私は、ベネディクト×クィンタが最推しカプなのだ。
こんな形で推しを失いたくない。
推しは末永く幸せにならなくてはいけない!
それに涙を流し続けている、魔法隊の少年。
彼だってなかなかの逸物だ。
命の恩人の憧れから、きっと素晴らしい攻め様に成長してくれるはずなんだ。
でも私は名ばかり聖女で、昔の聖女が使えたはずの光の魔法は身につけていない。
別にサボっていたわけじゃない。
光の魔法があやふやな伝説で、誰も教えてくれなかった。
先代の聖女様はずっと昔の人。もう記録は残っていなかったのだ。
「記録……」
ふと、思い出した。
先代の聖女様が書き残したと言われている古文書のことを。
古文書というが実は聖女様の日記帳で、他愛もないことばかり書かれていた。
今日の天気だとか、道端のお花がきれいだったとか、夫である皇帝がイケメンだとか。
その中にこんな一文があった。
『今日もわたしは幸せです。わたし自身が幸せであり、他者と国の幸福を祈ることこそが聖女の力の源となる』
あまりに抽象的で、当時は読み飛ばしてしまった文。
聖女の祭壇にも似た記述があったっけ。
聖女の祭壇は、毎月祈りを捧げる儀式を行う場所だ。
私はいつも嫌々ながら、テキトー極まりない思いで形ばかり祈っていた。
幸せ。幸せとは何だろう。
帝都にいるときの私は、お世辞にも幸せじゃなかった。
クソ実家のおかげで虐げられ、やたらに厳しい皇太子妃教育に追われ、大好きなBL妄想すらなかなかできなかった。
でも今はどう?
実家を出て自由の身になった。
メイドの仕事は大変だけど、やりがいがある。
腐女子仲間が増えて、毎日萌え語りができちゃう。
そして何より、この要塞は男だらけのBLパラダイス!
間違いなく幸せだ。
そして、クィンタにも幸せになってほしい。
もちろんベネディクトにも。
この要塞のみんな、全員!
カッと光が溢れた。
「フェリシア!?」
膝をついたままの格好でベネディクトが声を上げている。
その声をどこか遠くに聞きながら、私は手を伸ばした。
ベッドに横たわるクィンタの、最も傷が深い部分へと。
指先が触れた途端、『瘴気』というものが感じられた。
生命の真逆を思わせる不気味な気配だった。
こんなものが存在するなんて。
「消えなさい!」
力を込めて叫べば、瘴気は霧散した。
それでもまだ足りない。
傷は深くて血は失われている。
このままではまだ、助けられない。
だから私は、傷口を光で満たした。
瘴気の反対属性、光。
生命力そのものの発露で肉体を癒やした。
もう大丈夫だと思えるまで力を注いで。
「終わりました。これで助かります」
そう言おうと思ったのに、言葉は言葉にならず。
私はその場で倒れてしまった。
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