第2話 北の国境
ガタゴト、ガタゴト。
街道の上を馬車が走っていく。
王都から目的の北の要塞町までは、馬車で十日以上かかる距離である。
中世どころか古代ローマを思わせるこの世界の文明では、馬車は揺れまくって乗り心地が悪い。
私もお尻を痛くしながら、それでも明るい妄想に身を委ねていた。
書き間違いではない。
妄想である。
妄想は今も昔も、つまり前世の頃から私の得意技なのだ。
だいたいにして前世の死因は、間違いなく過労。
それもイベント前にエナジードリンクと糖分を過剰に摂取しながら、同人誌の原稿をやっていたためだと思われる。
自業自得な死因なので、周囲には申し訳ないとしか言いようがない。
あとは親友のKちゃんが、遺言通りにパソコンとスマホのデータを消してくれるといいのだが。
あんなものが両親や他の人の目に触れたら死んでも死にきれない。
男性同士があれやこれや、あはんうふんしているアレコレが!
そう、私はいわゆる腐女子である。
ボーイズラブ、男同士の恋愛を愛してやまない業を背負った生き物なのだ!
BLはいいぞ。
少年からおっさんまで、イケメンからモブまで。
男性同士の絆、関係性、そして愛!
私は幅広い雑食だが、特に主従ものが好物だ。
だから皇太子の侍従の彼は、最近の妄想の主成分であった。
彼のおかげで嫌味ったらしい皇太子との付き合いも、しちめんどくさい皇太子妃教育も耐えられた。
無駄に偉そうな皇太子と、常に控えめでサポートに長ける彼。
皇太子も顔だけはいいので、妄想のしがいがある。
きっと彼らの間では日夜あんなことやこんなことが繰り広げられていて……。ぐふふ。
私の鉄面皮とまで言われた無表情は、妄想中のニヤニヤ、もといニマニマを隠すためのものだった。
だって仕方ないじゃない。
皇太子殿下と侍従の主従カプで、「やっぱり従者攻めがいいなー。心からの愛で傲慢な主君を甘く蕩かしちゃうの」と妄想しているのを悟られるわけにはいかないでしょう。
帝都追放で一番残念なのは、侍従の彼とお別れになってしまったこと。
ありがとう、侍従さん。
あなたのおかげで私の魂がずいぶん救われました。
皇太子は正直もう思い出したくもないけど、主従カプに必要だから旅の間は妄想しますね。
というわけで、妄想をしていたら旅は案外すぐに終わってしまった。
到着したのは北の要塞町。
国境の『黒い森』に面していて、絶えず魔物の脅威にさらされている土地である。
要塞には第五軍団ゼナファが常駐して、町と国境を守っていた。
私は今日から軍団の雑用係として働く予定でいた。
前世の記憶と精神があるとはいえ、今の私は十七歳の非力な小娘に過ぎない。
住み込みの仕事はとてもありがたい。
光の魔力があると言っても、使い道がいまいちよく分からないし。
「こんにちは、今日から雑用係をつとめます、フェリシアです」
メイドたちの部屋に行って挨拶をする。
年かさの人が進み出て、うなずいた。
「よく来たね。あたしはメイド長。上から話は聞いているよ。あんたは貴族令嬢だったらしいが、ここじゃ身分は関係ない。掃除、洗濯、料理、その他。できないなんて言わせないよ。こき使ってやるから、そのつもりで」
「はい、もちろんです」
にっこり笑って返事をすると、メイド長はちょっと鼻白んだ。
前世は一人暮らしで家事をやっていたし、今生の実家じゃあ奴隷や使用人の代わりにやらされていた。今更である。
「箱入りのお嬢様だと思っていたのに、肝が座っているんだね……」
彼女は気を取り直すように首を振って、若い女の子を手招きした。
「この子はリリア。あんたの先輩として仕事を教えるから」
「……リリア、です」
大人しそうな少女だった。
年齢は私より少し年下の、十四歳か十五歳くらいだろうか。
「荷物を置いたら、仕事に行ってきなさい」
メイド長に促されて、私たちは部屋を出た。
メイドの仕事はたくさんある。
まずは掃除。
広い軍団施設内を手分けしてきれいにする。
掃除機などないので、ホウキと雑巾が頼りだ。全部手作業だね。
兵士たちのベッドメイクもついでにやる。
次に洗濯。
汗と泥で汚れた兵士たちの衣類が、どっさり洗濯に出される。
もちろん洗濯機はない。
洗うのも干すのもかなりの手間である。
あとは料理。
専属の料理人は一応いるのだが、数が少ないのでメイドたちが調理補助や配膳をする。
ガスコンロがあるわけもなく、かまどに火を入れるのも一苦労だ。
作業自体はそこまで難しくないが、とにかく量が多い。
メイドたちは手分けしてせっせと働いて、ようやく回っている状態だった。
「フェリシア。頑張っているな」
仕事を始めて十日ほど経ったある日、黒髪の大柄な男性が声をかけてきた。年の頃は二十代前半くらいか。
切れ長の灰色の目をした涼やかな顔立ちの人だった。
彼は副軍団長の地位にいる人。つまりこの町で二番目に偉い人だ。
副軍団長――ベネディクトは真面目な表情で続けた。
「貴族令嬢と聞いていたので、すぐに音を上げると思っていたが。メイドの仕事は汚れ仕事も多い。大変だろう」
「平気ですよ。リリアもきちんと教えてくれますから」
笑顔で言うと、ベネディクトはわずかに眉を上げた。
隣ではリリアが恥ずかしそうにしている。
実際のところ、仕事はそれなりにきついが嫌になるほどではない。
実家でいびられていた頃に比べれば、まともな食事にありつける上に周りの人たちも優しい。
実家じゃ腐りかけの残飯とか平気で出されたからなあ。
まあおかげで、私のお腹はハイパー丈夫になった。
それに何より、やりがいがあるのがいい。
軍団兵たちは当然ながら、ほとんどが男性。
つまりここは、右を見ても左を見ても男ばかりの楽園なのだ!
タイプもよりどりみどり、ベネディクトみたいな堅物からちょいヤンキー入ったみたいな人まで、妄想し放題ですよ!
思わず歓喜のよだれが出そうになって、慌てて笑顔で取り繕った。
ベネディクトは騙せたようだが、リリアは微妙な顔をしている。
「困り事があれば、遠慮なく言うように」
ベネディクトはそう言って去っていった。
私は「ああいう真面目そうな人は攻めかな、受けかな~。普段は不動の心を持っているのに好きな人から誘惑されて我慢できなくなっちゃう系かな? まあカプ次第だな!」とか考えていた。
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