3.Show the Bird


「口にするのも憚られる場所なんだよ」


 羊と三本線の軽いやりとりを冷静な女声が遮った。ギルド内の空気が一瞬にして張りつめる。周囲の視線が一点に集まり、そこには異彩を放つ女性が立っていた。


 端整な顔立ちに、重厚な鎧を纏い、背中には途方もない大剣を背負う彼女。その威容は、まるで伝説の龍が具現化したかのよう。目の前の光景に、誰もが言葉を失い、ただ見惚れるしかなかった。


「アマレティ!帰ってきてたのか!?」


 ヌガートは喜びを隠せない様子で声をかけ、すぐにその大きな手を差し出した。二人は力強く握手を交わし、次いで自然と抱擁する。長い間の友が帰還した瞬間の安堵と喜びが、言葉以上にその仕草に表れていた。


 アマレティと呼ばれた女性は、微笑みながらその瞳に優しい光を宿していた。「久しぶりね」と短く返すその声には、控えめな親しみが含まれていた。


「いつ帰ってきたんだよ?確かロビナスに行ってたと聞いていたが…」

(※ロビナス…エルフの国、シアノシッタ公国にある街。美しい花畑や木々に囲まれた街。)


 ヌガートの問いに、アマレティは軽く肩をすくめて答えた。


「今さっきよ。ほら。」


 そう言いながら、彼女は懐から一通の書類を取り出した。見る者を圧倒するような高級紙に整然と記された報告書は、まるで彼女の任務の重みを物語るようだった。封には見たこともない印章が押されており、それが示す威厳にヌガートは思わず息を呑んだ。


 「そうか…。今回の任務も、相当なものだったんだな。」


 ヌガートは書類に視線を落としながら嘆息し、その内容に触れることは避けた。ただその重みを理解し、親友である彼女の無事を喜ぶことに専念しているようだった。


「「誰?」」


 羊と三本線は、いつの間にかパナプの隣に陣取っていた。二人とも気楽そうに煙草を燻らせ、周囲の緊張した空気にまるで気づかない。世間知らずな彼らは、いつもの調子でパナプに質問を浴びせる。


「あんたたちね…。少しは本でも読んでみなさいよ。羊はたまに読んでるじゃないの」


 呆れたようにパナプが言うと、羊は肩をすくめた。


「あぁ、あれな。週刊文夏やろ? 有名人のゴシップとかおもろいやん。知恵になることは一つもあらへんけどな」


 羊はそう言いながら煙草を灰皿に押し付け、続けてビールの栓を勢いよく開けた。その様子を見ていた三本線が、意地悪そうに笑みを浮かべる。


「きもいわ、お前のそういうとこ。っていうか、なんでコイツが本読んでるって知ってんの?」


「え!?あ、あぁ、別にいいでしょ!盗賊ってのは、人間観察に長けてるものなのよ!」


 パナプは顔を赤らめ、慌てて言い繕う。三本線はその様子を見て満足げに煙草を吸い、ゆっくりと吐き出した煙を羊に向ける。羊は鬱陶しそうに眉間に皺を寄せ、三本線を睨みつけた。


「パナプ、悪魔の口に行くつもりなの?」


 そのとき、アマレティがパナプの方を向いて問いかけた。その翡翠のような美しい瞳がパナプの顔を映す。パナプは一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。


「うん。危険な場所と言われれば言われるほど、行きたくなるのよ。」


 アマレティはわずかに微笑みながら返す。「あなたらしいわね」と言った後、パナプの背後に控える二人の破落戸へと目を向ける。その視線には一抹の疑念が宿っていた。


「そちらのお二人は?」


「あぁ、こいつらは最近ウチで頭角を現してる羊と三本線。世間知らずなところもあるけど、腕は確かよ。」


 パナプが紹介すると、アマレティは軽く頷いた。


「…。そう。よろしくね。私はアマレティ。」


「おす。」


「ちゃす。」


 アマレティが手を差し出したが、羊と三本線はそれを無視し、軽い挨拶だけを残して再び煙草に戻った。アマレティの目つきが少し鋭くなったが、二人は気にする様子もない。


「あ、でも。行かへんで?俺。」


 羊が煙をくゆらせながら、素っ頓狂な声で言い放つ。


「まだ言ってる!」


 パナプは大げさに肩をすくめ、呆れたように返す。


「おい羊ィ。頼むよぉ。お前じゃないと、あそこの前衛は無理なんだよぉ。」


 ヌガートが羊の首に肩を回し、しがみつくように懇願する。羊は鬱陶しげにヌガートを押しのけた。


「この人に同行してもらえや。ごっつ強そうやん。それに、なんで俺が行かなあかんの?」


 羊がアマレティを指さしながらぼやくと、三本線が横から口を挟んだ。


「ワシは行ってもええで?あそこ、まだまだ財宝あるんやろ?旨そうやがな。」


 卑しい笑みを浮かべる三本線を横目に、アマレティが再び口を開いた。


「パナプ、ぜひ私も同行させてもらいたい。」


 翡翠の瞳がまっすぐパナプを捉えていた。


「アマレティ?でも…。さすがに…申し訳ないわ。今さっき帰ってきたところなのに…」


 パナプは、一瞬アマレティの提案に心が動いたようだったが、すぐに彼女を気遣い、首を左右に振って断った。その声には微かな迷いが滲んでいた。


「大丈夫だ。ヤツハシの刀をいつまでもあんな場所に放っておくわけにもいかない。」


 アマレティは静かに言い放つ。その決意は鋼のようで、誰も反論を許さないような圧力を伴っていた。


「もしかして、ヤツハシさんとアマレティさんはお知り合いなんけ?」


 羊が興味深そうにヌガートの腹を肘で軽く小突きながら尋ねた。


「…。あぁ。一緒にパーティを組んでたんだよ。凄かったんだぜ?【ダリゲリラ】っていってな…」


 ヌガートは遠い記憶を呼び起こすように、どこか懐かしげな表情を浮かべながら答えた。その声には、彼が過去に共にした輝かしい日々への誇りが込められていた。


「ヌガート。もう昔のことだ。」


 アマレティがヌガートの話を遮る。その声は冷ややかで、過去を蒸し返すのを嫌うかのようだった。そして、羊と三本線に視線を向ける。その鋭い瞳には、わずかな警戒と明確な不信感が宿っていた。


「羊と三本線…と言ったか。私も同行するが、かまわないな?」


「え?あぁ、かめへんけど。俺いかへんで?」


 羊はアマレティの視線をものともせず、いつもの悠長な調子で答える。その無頓着さが場の空気をさらに張り詰めさせた。


「おい、クリンクリンイーストウッドになってもええやんけ。お前の髪の毛爆発よりも、今は目先の路銀ですわ。」


 三本線がアマレティに意図的に近づき、挑発するような目つきで羊に言った。その態度には薄ら笑いが浮かび、一触即発の空気がギルドの中に充満する。


「いつまでメンチ切っとんねんコラ。初対面の人間にその態度はアカンやろ?礼儀作法から矯正したろけ?」


 三本線はアマレティの耳元で囁くように言い放った。その声には冷たい威圧感が混じり、アマレティの額に一瞬、冷や汗が滲む。彼女自身も、それに気づいた瞬間、驚愕の表情を浮かべた。


「…。どうやらただのチンピラではないようだな…。」


 アマレティは深く息を吐き、二人から視線を外した。何かを飲み込むように、机の上の酒を一気に煽る。


「出発は明日の朝六時だ。それでいいな?」


 アマレティの言葉は、もはや提案ではなく命令だった。その覇気に押され、ヌガートとパナプは思わず「はい…」と返事をしてしまう。その場の力関係を完全に忘れてしまうほどだった。


 一方、羊と三本線はその命令に耳を貸す気配すらなく、煙草の灰を落としながら知らん顔を続けた。アマレティがギルドを後にしようと背を向けたその瞬間、三本線は彼女の背中に向けて、無遠慮に中指を立てた。

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