第8話
子供の手術を生後10日で受けられたのはラッキーだったようだ。
子供が一歳半の時に日本に行った時。
子供には弱視を防止する為に一日何時間か目を片目パッチで塞いでいたのだが、電車に乗るのにエレベーターに乗り込んだところ、
パッチを見た親子連れの子供の方が話してきた。
うち、最近まで見えないの分からなかってん。
あれ?って思ったら白内障だったんだ、
と。
何年も見えにくいままそれが当たり前だとして生きてきてたらしい。
小学校高学年か中学生だった。
物心がついてからだから手術も怖かっただろう。
我が子も生まれてすぐ目の中のレンズを取ってしまったので、普通に見えるという感覚が分からないのだろう。
0歳から毎年3-4回は病院に行っていた。
10歳をすぎ中学生になってから少し回数が減ったかもしれない。
この年齢になると治療効果が少なくなるのか変化も少なくなるからかもしれない。
あの女の子もそうなのだろう。
ご本人も確か言っていた気がする。
親御さんの気持ちもいかばかりか。
辛いだろう。
強がる子供を見ているのも心が苦しいだろうと思った。
何せ最初が肝心なようだ。
なので生後すぐに発見出来たのは不幸中の幸い。
手術をしたら終わりかと思ったら、
レンズを取った影響か、
やはり弱視に近いらしい。
また、眼振というものがあり、顔を傾けないと、目の震えを抑えられないので子供は体を凄く傾けて物を見ている。
ここ数年は生後2ヶ月からつけ始めたコンタクトレンズに加えてメガネも併用するこもにより顔の傾きは若干改善され、子供も若干見やすくなったと言っている。
大人、加齢による白内障は、眼内のレンズを交換してメガネなどで調整すれば意外と見えるけれども、子供の場合はそれとは少し違うようだ。
また、体の成長に伴って、眼球も大きくなるので成長が止まるまで目の中にレンズは埋め込めないのが大人の白内障手術と異なる点。
赤ちゃんの時から毎日コンタクトの取り外しがあったので、親が疲れても夜寝落ちすることも出来なかった。
目の中からコンタクトを取るまで寝れなかった。
取ろうとすると嫌がるので子供が深い眠りにつくまで取り外すこともできず、常に普通の同じ以上に寝不足の状態だった。
長い年数続いた。
学校では先述のGATEブレインが判明する迄頻繁に先生に文句を言われることもあり、
普通の男の子のようにサッカーやスポーツに興味を抱くこともなく、
目は大変だし、で、楽しいことなんて無かった。
サッカーに関しては目が見えにくいので危ないからやらせるのが怖かった。
片側の視界はほぼ無いので横から人が走ってきても、ボールが来ても見えずにそのままぶつかってしまう。
走りながら焦点を何かに合わせて見るのも大変。
ボールや人の体が顔に当たるかもしれない。
もしそうなったら、まだ見えているもう片方の目も失明してしまったら。。。
と、気が気ではなかった。
生きていかないといけないから。
見えれば仕事は沢山あるが、見えなくなったら。。
考えるだけで辛い。
なので野球もさせず、ボール系の競技はさせなかった。本人が興味を持たなかったのも幸い。
唯一球の動かない個人競技のゴルフならやるよ、と言われた。
それは何回か遊びで習わせてはいるが、
ゲームをやっている方が楽しそうなので
無理強いはしない。
そんなことだらけの子育てでお泊まり会に出すこともコンタクトのケアの心配が先立ち数日手元から離れさせるということも親に何日も預けることも出来ず。
気が休まることは毎日、なかった。
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