第2話
残念ながら物心がつく前に親が離婚してしまったものだから、父親の顔は知らなかった。
写真も一枚も無かった。母が全て捨ててしまったそうだ。
うっすらと幼稚園で親同士が喧嘩をしていたシーンを覚えているくらい。
3歳頃だったと思う。
後から聞いた話だが、両親の別居中、どちらかがお迎えに来てはいけない日に迎えに来たそうだ。
幼稚園は都内私立のキリスト教系の幼稚園で、毎日ロザリオを持って行っていたのは覚えている。
お嬢様おぼっちゃまばかりで育ちが良いのか差別する子もいなくアトピーが多少あってもそのまま受け入れてもらっていた。なので、自分は人と違う見た目だということを自覚しないで育っていた。
ところが、親が離婚した途端、保育園に転園させられたところから私のハイソな生活はガラリと変わる。
社交的なノリの良い姉、何が起こっているか分からないアトピーのある私。
転園先でも姉は可愛い、私は目立たない存在、もしくはアトピーがあって異物。可哀想な子として扱われた。
それでも私はまだマイペースで自己否定することなくいられたと思う。今思えばそれが東京都内、世田谷区、渋谷区など、都会だったからだろう。
しかしながら保育園では今までの、制服を来てお弁当を持ち、親の車で送迎というお嬢様生活をしていたのから一変、登園は汚れてもいい私服。給食という形態になり親のお迎えを夕方まで待たなくてはいけない生活になった。
親が迎えに来られない日は二つ上の姉が歩いて迎えに来た。
なんでお母さんじゃないのか。車でのお迎えじゃないのか。
と、泣いて姉を困らせた。
今振り返ると姉も可哀想だったが、
親が離婚した家庭というのは子供が苦労するのは幼い心では分からない。 イヤなものはイヤだ。
何故母が迎えにきてくれないのか。
何が起こっているのか分からなかったので
ただ、ただ、悲しかった。
そのうち小学生になり、前出の輩と母が結婚することになり、そいつの実家が神奈川だったからか神奈川に引っ越すことになった。
横浜市というところ。
その頃には私は喘息も発症しておりどんどん酷くなっていたので
東京の甲州街道と京王線に挟まれたエリアでは空気も汚いだろうから、海の近くの方が空気が綺麗だろうから、ということで、私の為か、二度目の父の実家に近くなるからか引っ越した。
恐らく理由は後者、私の喘息を二度目の父に利用されたのだろう。
それから私の地獄が始まったわけだが…
神奈川というところは横浜市だったとしても少し外れれば田舎。
異物は受け入れられず、周りと違うと認められない。
閉鎖的な環境で本当に辛かった。
学校でも、もしかして自分はいじめられていたのか?と
思うこともあった。
だけれども一方で、親世代は私はまともな子だと思って下さっていたところもあったらしい。
良い友人も出来た。
彼女はその後逆に東京に引っ越してしまったのだが…
しかしながら親の二度目の結婚は辛かった。
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