白石乙葉は連れ出したい

 すー、はー。

 

 私は周囲に気付かれない程度に深呼吸して気持ちを落ち着かせると、改めてオフィスの壁の時計を見る。


 11時57分……18秒になった。

 大丈夫。

 きっと……大丈夫。

 だが、そんな言葉と裏腹に私の心臓は耳に飛び込むくらい大きく激しく鳴り響いている。


 確かにおはようテレビの「今朝の運勢」は最下位だった。

 でも「幸運のラッキーアイテム」の鉄アレイはちゃんとバッグの中に入れてある。

 きっと大丈夫だから、乙葉。


 私は脳内で昨夜調べ上げた、最近会社の近くに出来たというカフェバーの道順と内装、メニュー等の資料を高速で脳内に浮かべた。

 

 もちろん真広君をランチに誘うため。

 

 先週のお昼休みに、他の男性社員と話している真広君の口から「最近、休みの日はカフェ巡りにハマってるんです」と聞こえてきたのだ。


 これは……誘うしか無いでしょ!


 うっし、真広君へのカフェのプレゼン資料は頭に叩き込めてるね。

 後は……昨夜作ったシナリオ通りに誘うのみ!


 永遠の様に感じられた数分が過ぎ、いよいよ一世一代の勝負が始まった。

 私は震える足にムチ打ってさりげなく立ち上がると、奥のデスクの真広君に近づいた。


 ああ……今日もスーツ似合ってるな。

 窓からの光に照らされた顔も素敵。

 顔が良くて性格も良い。しかもコミュ力最強って、誕生前に何時間リセマラしてもらったんだろ。


「あ、白石さん」


 私に気付いた真広君が爽やかな笑顔で微笑む。


「あ……」


 私は返事にもならない声を出すと、やや引きつった笑顔で小さく頭を下げる。

 えっと……シナリオシナリオっと。

 前回は興奮のあまりセリフが飛んじゃったけど、今回は映像で浮かぶくらいシミュレーションした。


(ねえ、真広君。お昼ヒマ?)

(はい、どこかのカフェで食べようかと)

(そう、私も丁度カフェでランチでも……と思って。偶然ね、あなたもカフェ好きだったの?)

(はい、最近休日はカフェ巡りにハマってて)

(そうなの。そこのカフェ私の行きつけで。夜はいい感じのバーにもなるのよ。仕事帰りはそこでウイスキーを飲んでるわ)

(え! 凄い、白石さんウイスキーなんて。大人ですね……)

(そうでもないわ。お酒って人生に彩りを与えてくれるじゃない? だから飲んでるだけ。……ねえ、良かったら今夜……どう)

(いいんですか?)

(もちろんよ。大丈夫。もし酔っちゃっても安心して……私のマンション……近くだから)


 ふ、ふふ……うふふ……

 これ、すっごく自然。


 真広君、お酒好きなクセして弱いのは健太からリサーチ済み。

 お昼のランチで気に入ってもらって、その流れで今夜……ガッポガッポ飲んでもらっちゃお。

 で……上手くいったら、私のマンションにて既成事実……なんてね! きゃあ!


「……白石さん、どうしたんです? 笑い出して。何か楽しいことでも?」


「へ!? はへ!? い、今……笑ってた? 私……」


「はい、うふふ……って含み笑いっぽく。午前中の仕事のことですか? 白石さん、後輩の子のトラブルの後処理、凄く頑張ってましたもんね。それで部長から絶賛だったのに、それを鼻にかけるでもなく無言で頭を下げて立ち去って……」


 あ……その事。

 いや、あれは褒めてもらったとき、脳内ではパーティ状態だったけどテンパりすぎて言葉が出なかったんだよね。

 で、何言っていいか分からずに無言で引き揚げちゃった。

 

 ってか、それはいい!

 真広君の前で気味悪い笑いを聞かせちゃった……


「う、うん。そうな……の。後輩ちゃん……助けられて……嬉しくて。でも恥ずかしい……」


 真広君は笑顔で顔を横に振った。


「そんな事無いです。ご自分の頑張りじゃ無いですか。しかも他人のための。笑うくらい当たり前です。逆にホッとしました。ああ、白石さんもそういうので笑うんだ。人間らしいな……って。何があっても言葉にせずコントロールする人、って感じだったから」


 いや、脳内ではめっちゃ言葉にしてるんだけどね、と思ったが流石にそれは言わず、ペコリと頭を下げた。


「ありがと」


「いえいえ。でも、他人のための頑張りで笑う、って所が白石さんらしいですね」


 真広君の笑顔を眩しくて直視できなかった。

 気分は太陽光で灰になるゾンビ。

 実は「貴方と今夜、既成事実作れるかも」と思って笑ってたんだけどね。

 何なら、出来ちゃった……とか大ウソかましてバレる前に速攻で式場の打ち合わせもしてやろう、とかさ。

 って、そんな事どうでもいい!

 ランチ……誘わなきゃ。


「ね、ねえ……真広君。おひりゅ……じゃない、お昼……」


「ねえ、真広君! お昼行こうよ」


 突然聞こえた耳に響く張りのある声に、心臓が飛び跳ねた。

 あの声は……嘉村有美かむらゆみ

 振り向くとやはりそうだった。

 

 真広君と同期入社で、やたら馴れ馴れしく話しかけていて、あげくに後輩の子達も交えてみんなで夕食行ったり休みの日にスポッチャ? って所で彼女の友達数名と遊んだり、と言う私にとっては神業としか思えない事をさも平然とこなしている。


 入社以来、その決して不快感を与えない人なつっこさで、先輩後輩同期、男女問わず好かれているまさにコミュ強と言うやつだ。

 まあ、おっちょこちょいな所があって、私が良くフォローに回っているがその時も実に爽やかに、でも心からの謝罪の気持ちを込めて謝っている。

 午前中のフォローも実はこの子絡みだったが、憎めない。

 ああ……次生まれ変わったら、この子になりたい。

 何回リセマラしたらなれるかな。


「有美、お前加藤達とランチ行ってるんじゃないの?」


「それがさ、礼子体調悪くて半休取っちゃって、他の子も今日はお弁当デイなんだ。だから1人ご飯もなんだしね……行こうよ!」


 なにが「なんだしね」だ。

 私は健太と週2日屋上で食べてる時以外、いつも1人だぞ。

 何なら、毎日お弁当デイだぞ。

 弁当作り過ぎて、行動範囲内3軒のスーパーの冷凍食品完全制覇したっつうの、こんちくしょう!


 嘉村有美は私の方を見ると、恥ずかしそうに微笑みながら言った。


「あの……白石さんも良かったら。午前中本当に有り難うございました。すごく嬉しかった……です」


「お前、いい加減白石さんに迷惑かけるなよ。しっかりしろって」


「うっさい! 分かってるよ。どうせお昼ヒマなんでしょ? 行くよ! あ、白石さんもぜひ……最近出来たって言うカフェバーなんです。スッゴくランチが美味しくて……『コート・ダール』って言う所です」


 へえ!? そこ……私が真広君と行こうとしてたとこ……この小娘!!

 なんでアンタなんかと……くうう。

 それだったら健太引き連れて牛丼いくっつうの!!


「ありがとう……でも、今日はやっぱり。ちょっと重い物を食べたい……かな」


「え……」


「いいですよ、白石さん。無理にコイツに合わせなくても。白石さんは午前中頑張ってたからお腹空いてるんだよ。あそこ前行ったとき、軽いのしかなかったじゃん」


「そうだけどさ……分かったって。白石さん、すいません。ご無理言っちゃって。じゃあ真広と2人で行ってきます。あの……そこ美味しいウイスキーあるんです。前、ウイスキー好きっておっしゃってましたよね? 今度、良かったら……」


 ウイスキーって……確かに好きだけど、あそこは真広君と二人っきりで既成事実を……って、んん!?

 そうだ! 今からコイツら二人っきりでカフェ行くんじゃん!


 私は慌てて深呼吸すると精一杯の声を出して言った。


「あの……やっぱり、軽めに食べたい……かも。一緒に行っても……いい?」

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