第6話 小さな「ざまあ」を添えて

「ねぇ、あんな人いた?」

「マジもんじゃん! エグいって!」

「目、青いんだけど! やばくない!?」


「でも、あれって井下だよね?」

「井下って……あー、あの根暗? 違くない?」

「ううん、井下だよ。うわー、人ってあんなに変わるんだねぇ……」


 教室のいつもの窓際の隅の席に座っていると、コソコソを話し声が聞こえてくる。

 悪口ならよそで言ってほしい。全部聞こえてるから。


 というか、今日はいつも以上に孤立している気がする。

 いつもの俺は空気と一緒で誰にも感知されないんだけど、今日はなぜか感知されるだけじゃなくて至る所からから視線を感じる。


 気まずい。


「……はぁぁぁ……」


 窓際に目をやり溜め息を吐いた。


 すると、俺のもとに見知った女子生徒がやってくるのが見えた。


「ねぇ、昨日のイケメンって井下だったの!」


「……ん? あ、小島さんと米田さん」


 俺の机の前にやってきたのは、顔を赤くした小島さんと米田さんだった。落ち着かない様子でモジモジしている。


 こんな二人初めて見た。いつもなら視界にすら入れてくれない感じだったのに。


「井下、かっこいいじゃん!」


 活発な小島さんが言った。


「放課後遊ばない? カラオケいこーよ」


 米田さんに手を取られた。俺の右手が彼女の両手で覆われている。

 同時に心臓が跳ねたが、それは興奮や幸福からくる動悸ではなく、妙な違和感と疑念から生まれたものだった。


 前まで俺を見下していた二人が、急に態度を改めるなんて怪しい。

 

「……ごめん」


「はぁ?」

「なんで? カラオケ嫌い?」


 二人は眼光を鋭くして詰めてきた。

 些か声が大きいためか、クラス中の注目が集まっているように思える。


 どうしよう。

 困ったな。ちょっと返す言葉がわからない。

 どうやって断ろうかな……


 周囲に視線をやってもみんな知らぬ存ぜぬだ。

 

「えと……放課後は用事があるから行けないんだ」


 俺は絞り出すように言い訳した。

 用事はない。ただ、見ず知らずの女の子二人、それもこの二人と遊ぶのは少し嫌だった。


「用事って何?」

「私たちと遊びたくないってこと? 割と可愛い部類だと思うけど」


 全然引き下がってくれない。むしろ、圧が増していく。


 誰か助けて……そう願ったその時だった。


「——小島さん、米田さん。井下くんが困ってるわよ。その辺にしてあげなさい」


「……西園寺さん」


 救世主が現れた。西園寺さんは昨日と同じ構図で二人の腕をとった。

 このまま早く連行してほしい。


 しかし、二人は反抗的な目をしていた。


「咲もやっぱりイケメン好きなんでしょー! いつもは中身が大事だって言って男子の告白断るくせにね!」


 小島さんが西園寺さんの手を振り払った。

 人付き合いが苦手な俺でもわかるくらい嫌味たっぷりな言い方だった。


 しかし、西園寺さんは気にも留めていない様子だった。


「全く無関係な言い分ね。私はただ井下くんが困っているという事実を伝えただけに過ぎないのよ。彼の素顔を見てからと一緒にしないでもらえるかしら?」


「ッ……な、なんなの! お高く止まっちゃって! 井下だって女の子に話しかけられた方が嬉しいに決まってんじゃん! しかも私たちはクラスの中でもそれなりに可愛いんだし!」


 小島さんが吠えた。思わず俺はビクッと肩を跳ねさせたけど、対面する西園寺さんは冷たい視線を隠さず堂々としていた。


「それは井下くんが決めることよ。そもそも、昨日の貴女ちちは彼が彼であることに気がついていなかったのよね? どうしてこれまでの行いを忘れて態度を変えられるのかしら? 私にはそれが不思議でならないのよ。ねぇ、どうして? 本当にお高く止まっているのはどっちかしら?」


「……もういい、行こ」


「う、うん」


 西園寺さんの言葉に圧倒された二人は、不機嫌さを露わにして教室から出て行った。

 クラスが静まり返ると、俺に好奇の目を向けていたクラスメイトが視線を逸らす。


 そして、俺を守ってくれた西園寺さんに向けて感嘆の声を漏らしていた。

 皆が「おー」と小さく呟いている。


「……西園寺さん、ありがとう」


 俺は小声で感謝を伝えた。


「気にしないで。私はああいうのが一番嫌いなの。これまでは渋々付き合っていたけれど、間近であんなぺらぺらの態度を見たら我慢できなかったわね」


「優しいんだね」


「私のさっきの言葉を聞いて優しいって思ったのなら、井下くんは相当おかしいわよ。結構酷いことを言っていたと思うのだけれど」


 西園寺さんは腕を組んで首を傾げていた。

 無表情だけど、そんなポーズも様になる。


「ううん、優しいよ。これまで無関係だった俺を助けてくれたんだから……でも、無理しないでね。朝話していたような変な噂とか流されても大変だろうし」


「私は変な噂を流されても気にしないわよ。これまでにも妬まれることは多かったから慣れているの」


 西園寺さんは鼻で笑って自分の席に戻った。

 余裕綽々な態度は強がりではなさそうだった。

 

 クラスメイトもほとんどが心を入れ替えたのか、俺に妙な視線を向けたり、おかしな陰口をいうことはなくなった。


 でも、小島さんや米田さんと仲の良かった一部の女子は違う。

 彼女たちだけは西園寺さんのことを面白くなさそうな目で見ていた。

 クラスの中心人物や他クラスの色んな人から一目置かれる西園寺さんであっても、さっきみたいな人間関係の衝突はマイナスに働くこともあるらしい。


「なにもなきゃいいけど」


 俺がそう呟くと同時に、小島さんと米田さんが教室に戻ってきた。

 二人は苦虫を噛み潰したような表情で、俺は思わず口角を上げてしまった。


「……ふふ」


 これまでは俺を虫けらのように扱ってきた二人があんな顔になるなんて思いもしなかった。


 これが俗にいう「ざまあ」というやつか……同じような性悪人間にはなりたくないけど、やっぱりこういうのはすごくスッキリする。

 

 西園寺さんにはまた今度改めてお礼をしよう。

 


 俺が胸を撫で下ろすと、始業のチャイムが鳴る。


 やっと落ち着けそうだ。少し嫌な予感がするけどね。





 

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