第5話 西園寺さんと登校したよ

 月曜日の朝、俺はいつも通り時間ギリギリに起きると、のそのそと準備を始めた。


 母さんはリビングの掃除機をかけている。

 父さんはもう出社していて、ソラももういない。


「……あら、おはよう。今日は特にのんびりさんね」


「んー、中々眠れなかったんだ。急がないと」


「髪も目もスッキリしたから準備は楽そうだけど。やっぱりお母さんとお父さんに似て綺麗な顔よね〜」


「そうかな?」


 俺はブレザーを着ながら答える。


 髪が短くなったおかげで寝癖がつきにくいし、ぱっとコンタクトレンズをはめればすぐに外に出れる。

 朝イチのたまにあるメガネを探す謎の時間をもう過ごす必要はないのだ。


 あれなんなんだろう。寝る前は枕元の机に置いていたのに、朝起きたらなくなってるんだよな。



「いってきます」


 準備を済ませた俺は家を出た。


 スマホを確認する。時間は大丈夫そうだ。

 俺の家からは徒歩二十分ほどで学校に着くが、この分ならギリギリで間に合うと思う。


 ギリギリだからこそ生徒が少ない時間だし、俺はこのくらいの時間が一番好きだった。



 それからしばしのんびりと歩いていると、すぐ目の前の曲がり角から見知った女子生徒が現れた。

 

「西園寺さん?」


 ピント伸びた背筋、腰まで届く絹のような長い黒髪、シワひとつない制服、優雅な歩き方、間違いなく西園寺さんだ。


 昨日は私服だった気がするが、見慣れた制服姿は優美で様になっている。


 なんか後ろをコソコソ歩くとストーカーみたいになっている気がする。

 でもまあ、方向が同じだから仕方ないんだけど。


 というか、元々距離がそこまで空いてなかったから、もう追いついちゃうところだ。


「……」

 

 ほぼ横並びになってしまった。

 俺が斜め後ろを歩くような形だ。


 しょうがないとはいえ、少し気まずい。まあ、向こうは気がついてないと思うんだけど。


「——井下くん、おはよう」


「え?」


 唐突に声をかけられた。

 声の主はもちろん西園寺さんだ。


 どうやら普通に気づかれていたらしい。


 なんか気にしすぎてた俺がバカみたいじゃん。恥ずかしいじゃん。


「朝の挨拶も返せないのかしら」


 西園寺さんは横目で一瞥してくる。


「あ、ごめん。おはよう」


 つい戸惑ってしまった。

 ナチュラルに俺の左隣を歩いてるし……左右に揺れた黒髪から甘い匂いがする。


「あれ? というか、西園寺さんは俺のことわかるの?」


「ええ」


 なんてことのない言い方だったが、今の俺を俺だと認識するのは素直に凄い。

 母さんや父さん、ソラ、そして美香くらいしか判別できないと思ってたし。


「……すごいね」


「クラスメイトだもの。随分と印象が変わったのね。心境の変化かしら?」


「まあそんな感じ。ところで、今日は二人と一緒じゃないの?」


 二人とは、いつも一緒にいる小島さんと米田さんだ。

 二人は俺のことを嫌っていそうだから鉢合わせたくない。


「学校に行ったら嫌ってほどくっつかれるけれど登校は別々よ。そもそも元々二人とは仲良くはないのだけれど」


「そうなの?」


「ええ、言い方は悪いけれど、二人は私に告白してくる男子をおこぼれで狙っているだけよ。私自身にはほとんど興味がないの。私に告白を断られて傷心している男子によく声をかけてるわね」


「へ、へー……」


 澄まし顔で言ってるけど、拗れた人間関係って感じがして怖い。

 傍目からは仲良し三人組に見えたけど、実際は二人と一人だったわけか。


「私ってほら、可愛いじゃない? 昨日も二人があなたに声をかけたのは、私を餌にしてナンパするためよ。まあ、あの二人はあなたのことをわかっていなかったみたいだけれど」


 確かに西園寺さんは可愛いし、綺麗でもある。

 今も無表情でクールな雰囲気だけど、多分一目見て好きになる人は多いと思う。


 まあ、どうせ玉砕するだけだし俺は好きにならないけど。


「……女子って怖いね」


「そうね。やれあの男子に告白されたとか、やれあの男子があの女子を好きだとか、それに嫉妬して喧嘩したりだとか、付き合うのを邪魔して笑っていたりだとか、逆恨みで意味不明な悪口や噂を流したりだとか、ドロドロしすぎて嫌になるわね」


 生々しくて聞くに堪えない内容だった。

 告白されまくってるであろう西園寺さんも、もしかしたらそういうのに巻き込まれている可能性もある。


 だって、話している時の目が死んでるんだもん。


「井下くんも気をつけるのよ」


「ん? 俺も?」


「当たり前よ。昨日の二人みたいに言い寄ってくる女子は多いはずだし、美人局みたいな女子もいるかもしれないわよ。だって、あなたってチェリーボーイでしょ?」


「ぶっ! そ、そうだけど……俺には無縁の話だよ、そんなの」


 クールなお嬢様が真顔でそんなこと言うんじゃありません。


「あら、そうかしら? 私はかっこいいと思うわよ。井下くんのこと」


「え?」


 俺がかっこいい……?

 西園寺さんはそう思ってくれてるのか?


「無自覚なの? 呆れた。妬まれて後ろから刺されないことね」


 西園寺さんは困惑する俺を残して校舎に入って行った。

 なんかいつの間にか学校についていた。


「……俺ってかっこいい、のかな……」


 一瞬ときめきかけたが、間に受けないほうがいいだろう。

 ああいう自然な言動こそが西園寺さんの魅力なのかもしれないし、勘違いした男子が告白するのだとしたら納得いく話だ。



「もしかして西園寺さんってすごい経験豊富なのかな……」


 手慣れたからかい方だった気がする。同じクラスの男子高校生をチェリーボーイ呼ばわりするなんて普通じゃない。

 めちゃくちゃ性に活発すぎるのか、それとも無知が故になんとも思っていないのか、どちらかだろう。


「清純そうな黒髪ロングのお嬢様だけど、やることはやってるんだなぁ……」


 俺の呟きは朝のチャイムに混ざって消えた。







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