第11話 すりすり

 土日を挟み、中間テストが迫っていた頃。

 俺は一ヶ月も遅れている勉強を必死に取り戻しながら、過ごしていた。


 土日だって、勉強ばかりでほとんど遊ばなかった。

 それに、クラスには誰も教えてくれる人はいないし、自分から声をかけることなどできない。


 勉強は自分でなんとかするしかなかったのだ。


 今となってはしょうがないことではあるが、休み時間を使って中間テストの勉強に取り組むしかなかった。


「……あの〜、飛鳥さん?」


 そんな月曜日のお昼休み。

 先週から始まった飛鳥との旧校舎の屋上の前の踊り場での昼食。一緒にご飯を食べるのは良いのだが、彼女の様子が変わっていた。


 階段に足を降ろして座って弁当を食べてはいるが、今彼女は俺にぴったりと横について食べているのだ。


「なんですか? 何か気になることでもありますか?」


「いや……お前わかって言ってるだろ……」


 飛鳥の体温が制服越しに伝わり、そして何か良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 美人は匂いも良いというのは本当で、どうしたらこんな匂いになるのか謎だ。弁当の匂いまで変わってしまうじゃないか。


「……だめ、ですか?」


「だめじゃ、ないけど……」


 まあ、こうなった気持ちを理解できなくもない。


 それは先週金曜日に起きたクラスメイトの女子による当て馬事件。

 恐らくその深沢という女子は、美人な友達を呼ぶという条件で、イケメンの男子をカラオケに呼んだのだ。


 つまり、飛鳥は当て馬に使われたということになる。

 そんなことを知らない飛鳥は、酷く傷つき、嫌な思いをした。


 そこに俺と小森さんが助けに入り、最終的には事なきを得たが、その時の恐怖は簡単には消えない。


 飛鳥には他に頼れる相手はあまりいないようで、だからこうして俺に近づいて、その寂しさを紛らわせているのだろう。


「思ったんですけど……」


「なんだ」


「悠くんと私って同じくらいの身長ですよね」


「っ!?」


 俺の気にしていることを平然と喋りやがる。これで告白してきた勇者をばったばったと倒していったのか……。


「悪いかよ低くて」


 俺の身長は大体百六十六とか七センチくらいだ。一方の飛鳥はギリギリ俺より低い。百六十四とか五……多分。だからモデルのようにスラっとした体型にも見えるのだろう。


「いいえ。顔が近いと話しやすいなと思いまして」


 こいつ……そんな恥ずかしいことを普通に。

 顔が近いと話しやすいなんて、気にしたことない。確かに顔は近いけど……。


「でも座高は俺の方が高いだろ。堂々と足長いアピールしやがって」


「そうでしょうか。あまり変わらないような気がしますけど」


 座高が高いということは、その比率に応じて足が短いということになる。今座っている状態では俺の顔の方が結構高い。つまり、飛鳥の足は長いということになる。



 ◇ ◇ ◇



「——さて、ご飯も食べ終わりましたし、何をしましょうか」



 校舎へと戻るまでほんの少しだけ時間が残った。

 すると飛鳥が何をしようかと言ってくる。


 弁当以外何も持ってきていないため、正直やることは思いつかない。なら……しりとりか?

 スマホアプリのゲームはあるが、一緒にやるようなもんでもないし、飛鳥がやるとは思えない。


 こいつ、普段何をしてるんだ?


「うーん」


「何もないなら提案がありますっ」


 いきなり元気になった。いや、さっきから元気ではあったけど、さらにだ。


「私が悠くんに膝枕されます!」


「お前頭かち割るぞ!」


 そんなの嬉しくて俺の膝が持たないだろうが。ズボン洗えなくなるだろ!

 いやいやそんなことじゃなくて、普通逆だろ。男が可愛い子に膝枕されるのが良いんだろうよ。


「……言い過ぎた。横になったらブレザーが床について汚れるだろ」


「そう思って今日はぞうきんを持ってきました!」


 こいつ、最初から計画してたのか?

 じゃあさっきの『何をしましょうか』ってのは、導入じゃねえか。


 すると飛鳥は周囲の床をぞうきんで拭き拭きしはじめ、最期にはウェットティッシュで自らの手もちゃんと拭いた。清潔でよろしい……。


「準備万端ですっ!」


「俺の意思は!?」


「だめ……ですか?」


 飛鳥が上目遣いで迫る。

 自分の美貌をわかっているやつのやり方だ。こういうやり方は好きじゃない。好きじゃないが——こいつの顔は可愛すぎる。


「五秒だけな」


「ありがとうございますっ!」


「うおっ!? いきなりっ!?」


 俺が五秒だけと言った瞬間、すぐに体を倒して俺の太ももへと頭をダイブさせた。

 ふわっと目の前を通るシトラスのような香りに、脳を刺激される。


 そして小さい頭がすっぽりと俺の太ももの上へと収まった。


「わあ……膝枕ってこんな感じなんですね」


「俺だってされたことないからよくわからん」


「すごい良いですよ。なんだか、心が安らいで、この人には寄りかかってもいいんだっていう何かを感じます」


 それでは、俺には心を開放して安らげるという意味に聞こえる。

 最近の飛鳥を見れば、確かにそうかもしれないけど、そんなに俺に心を許していいのか? 俺は恐い男なんだぞ。


「ぁっ…………」


「嫌か?」


「ぁ……いえ、突然だったもので……嫌じゃ、ないです……むしろ心地よくて……」


 俺は目の前の飛鳥を髪を撫でた。

 自分の膝の上にいると、どこか猫とか小動物のように思えてくる。さっきからのこいつのスリスリも、どこか猫みたいだったし、そう見えたのかもしれない。


 髪に指を通してみる。

 スルスルと簡単に指が通り、そして一切絡まったりしない。

 ちゃんとケアしている証拠だ。綺麗すぎてため息が出る。


 あ、こいつ耳結構小さいな。耳たぶも小さいし……運がないのか?

 まあ、頭も顔も小さかったら耳も小さいか。


「ひゃっ!?」


「どうした?」


「み、耳は、さすがに…………」


 俺はいつの間に飛鳥の右耳に触れて、撫で回していた。

 俺の膝の上にいるんだ、あまんじて受け入れろ。


「そういえば、家で耳元で喋りかけた時にも『ひぁっ』って言ってたもんな。耳、弱いのか」


「耳なんて誰だって弱いに決まってます。普段人に触れさせるような場所じゃないんですから、当たり前です」


「そっか……なら、今日は良いことしてやる。ふぅ〜〜〜〜〜」


「ひぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ」


 耳元で息を吹きかけてやった。

 すると飛鳥は首を引っ込めて、その場所に鳥肌が立ったように見えた。


「ゆ、悠くんっ! さすがに私も怒りますっ!」


「はは、良いぞ。怒ってくれ。お前は怒り足りない。お前の代わりに小森さんのほうが百倍怒ってるだろ」


「燕ちゃんは……元々あんな感じですし……」


「あ、そういや小森さんに放課後呼ばれてたんだった。何か聞いてるか?」


 恐らく先週の件で、色々言いたいことがあるのだろう。

 バドミントン部の練習もめちゃくちゃにしてしまったし、あれは俺の責任でもあるよな。


「えっ……なんですかそれは……もしかして浮気ですか?」


「お前、自分が何言ってるかわかってんの?」


「燕ちゃんに手を出したら、絶対に許しませんっ!」


「いや、なんなら逆に俺が手を出されてるんだが!?」


 物理的にな。


 今日はコロコロと表情が変わる飛鳥。

 その表情がどれをとっても可愛くて、どこか親心のように見てしまう。


 結局こうやって喋っていても、まだまだ飛鳥のことは知らない。

 俺たちはくだらない会話が多いからな。

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