第8話 名前

 今日は既に佐鳥さんに弁当を作ってもらっていたので、今日が彼女のお弁当最終日となる。


 既に母さんにはその件を伝えた。

 少し残念そうな顔をしたが、俺たちの意思を尊重してくれた。残念、というのは佐鳥さんが俺の家に朝通わなくなることに対してだ。


「——ここ、良い場所じゃないですか?」


 昼休み。

 俺は約束通り佐鳥さんととある場所に来ていた。


 入学してから一ヶ月間、校内を歩き回り迷った時、たまたま発見した場所だそうだ。


 俺たちの通う学校には、授業を受ける校舎とは別に使われなくなった古い校舎。つまり旧校舎があった。


 元々は少人数だったため学校は小さかったが、人が増えたことにより新しい大きな校舎を作った。そのため旧校舎は今では一部の部活の部室棟として使われている。


 そのため、部活の時間にならないと殆どの生徒は部室棟へはやってこない。

 その部室棟となった旧校舎はいつでも解放されていて、屋上に続く奥の階段があるのだが、その屋上の扉前の踊り場が少し広いスペースになっていた。


 俺たちは今その踊場にいた。

 ちなみに屋上はへ行けないので鍵がかかっている。だからか人も誰も来ないのだろう。


「少し埃っぽいけどな。確かにわざわざこんな場所で食べようってやつはいないだろうな」


 と、言っても俺はまだ松葉杖なので、この場所に辿り着くまで約十分程度かかってしまった。うちの学校の昼休みは五十分。帰りの移動時間を考えると二十五分ほどの滞在が限界となる。


「にひひ……」


 佐鳥さんが変な笑い方をした。


「どうしたんだよ。気持ち悪い顔して」


「気持ち悪いって初めて言われました……ふふ、黒川くんとお昼を一緒にできて嬉しいんですよ」


 もちろん本気で気持ち悪いと思ったわけではない。

 ただ、その満面の笑みがとても可愛くて、簡単に好きになってしまいそうだから、言っただけだ。


「そうか。それは光栄なことだ」


 恐らく、今のような言葉をもらった学校の男子は俺くらいだろう。


 俺は佐鳥さんとクラスが違った。

 だから彼女が自分のクラスでどんな感じで扱われているかよく知らない。


 逆に俺がクラスでどんな立場にいるか知ったら彼女はどう思うのだろうか。

 もしくは既に知っていて、近くにいてくれたのだろうか。もしそうなら余計なお世話と言わざるを得ないが、こいつはそういう人間なんだろう。


「卵焼き……甘いな」


「黒川くんがそう言ったので。お口に合いましたか?」


 昨日の弁当もそうだったが、佐鳥さんが作ってくれた卵焼きは甘かった。初めて会った時に俺が甘いほうが好きだと言ったからだ。


「うん。凄くうまいよ。料理でも何でもできるんだな」


「最初からできたわけではありませんから。お母様から教わったんです」


「ああ、あの美人だけど怖そうな母親か」


 俺の家に一緒に謝罪に来た佐鳥さんの母親。超美人ではあったが、俺は恐さと厳しさを感じとった。うちの母親とは正反対のイメージだった。


 言葉では謝罪していたが、あまり俺のことは見ていなかったようだし、正直俺とは関わりたくないようなふうにも見えた。

 この見た目だ。大切な娘を近づけさせたくないということもあったのではないだろうか。


「ふふ。黒川くんは勘違いしているようです」


「え、何が?」


「お母様。厳しいには厳しいのですが、優しい時は優しいです。ちゃんと筋を通せば理解してくれます。私の一番の味方ですよ」


 俺が思っている人とは違うようだ。

 一度会っただけで全てを決めつけるのはよくないようだ。


「そうか。良い母さんなんだな」


「そういう黒川くんのお母様だって、とても良い人だと思います」


「ああ、うちの母親は良い意味で楽観的だからな。俺が事故で骨折した時も思ったより心配していなくて、死なないならそれでいいって感じだ」


 表には見せない心情ってのはあると思うが、母さんは元々そういう人間だと思っている。

 よく俺を叩くしな。もちろんそうされる時は俺に原因があるのだが。


「それにしても佐鳥さん。最初からずっと敬語だったけど、理由はあるのか? 小森さんにだって敬語だったし」


 同い年に敬語を使うだなんてあまり聞いたことがない。

 世の中にはそういうやつもいんだろうけど、佐鳥さんはやりすぎだと思っている。


「それは家の影響があるからかもしれません。言葉遣いは丁寧にと昔から言われてきて、いざ学校に入るとそれが抜けなくて……皆さんのように普通に話すことは、私にとって大変なんです」


「ふーん。俺にはちょっと無理してるようにも見えるけどな。俺とはできればタメ語で話してほしい。俺は敬われるような人間じゃないしな」


 言葉遣いをここまで教育されている家か……。

 俺は対等に話せている佐鳥さんが見たい。じゃないと仲良くなろうにも少し壁を感じてしまう。佐鳥さんが俺との仲を望んでいるなら……。


「ええと……いきなりは難しいと思います。でも——」


「でも?」


「燕ちゃんのように名前呼び……からなら、頑張れるかもしれません」


「名前……か」


 俺は家族以外に名前を呼ばれた経験はない。

 小学生の時は呼ばれていたような気もするが中学デビューに失敗した時の記憶がデカすぎてそれ以前のことはそこまで覚えていない。


「だめ……でしょうか?」


「ああ、対等に話せる第一歩なら呼んでも良い。なら俺も飛鳥って呼ぼうか?」


「あああああっ!? 飛鳥っ!?」


「いや、なんでそんな驚いてるんだよ。家族とかに呼ばれてるだろ」


 佐鳥さんは箸を落としそうになっていたほど動揺していた。

 ……まあ、俺だって佐鳥さんに名前呼びされたら、恥ずかしくなってしまうかもしれないけど。


「わ、私……男の子に下の名前で呼ばれたことがないので……なんだか、変な気持ちです」


「俺だってない。だからちょっと憧れのようなものはある」


「え……じゃあ私が黒川くんを名前呼びをしたら、初めての人になるということですか?」


「ん……そういうことになるな」


「呼びます! 名前呼び、します!」


 嬉しそうにそう語る佐鳥さん。


 本当に小さなことで喜ぶやつだ……。変なやつ……。


「——じゃあ……悠くん……でしょうか?」


「あ、あぁ……」


 思った以上に恥ずかしかった。

 顔が熱くなるのを感じる。


 同じく佐鳥さんも恥ずかしいようで、顔が赤くなっていくのがわかった。


「じゃあ、飛鳥……これからよろしくな」


「は、はいっ! 悠くん……っ!」


 こうして俺たちは、お互いに名前呼びをすることになった。


 俺はいつの間にか飛鳥の魅力におかしくされてしまっているのかもしれない。


 本当は仲良くなるつもりなんてなかったはずなのに、いつの間にかこいつと仲良くしたいと思ってきている。


 美人で可愛くて、欠点などないように見える飛鳥。


 でも、こいつにはこいつで、悩みもあるのだろう。

 世の中、悩みを持たない人間など、ほんの一握りなんだろうから。





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