第2話 加納とおチヨコ その一
投稿サイト『キケワメ』にて二○二五年八月二十二日午後八時○○分付投稿の小説、『出戻り
投稿者は、当該サイトにおける当該作品紹介頁にて、自分自身が『チューニング・ゼロ』の利用者六と同一人物と明言。以下、当該作の全内容。
※この物語はフィクションです。実在するいかなる個人、集団、法人とも無関係であり、かつ歴史的事実とも関係ありません。
『おチヨコ心霊チャンネル』……そんなロゴが、左上隅に固定された画面の中。
さざ波に揺れる浜辺は、砂ではなく
人気急上昇中のV《バーチャル》ユーザー、『おチヨコ』こと
おチヨコは、長髪巫女の格好をした美少女キャラである。言葉遣いも意図的に古式にしていた。現実の加納は、『取材』を別とするなら、初詣くらいしか神社にいかない。一致するのは小柄な体格くらいで、年齢も加納の方が数歳高い。といっても、加納は二十歳になったばかりではある。
壁にかけた時計をちらっと眺めると、午後八時を回ったところだ。この動画は、彼女自身が先週収録したもので、とにかく寒かった。そんな思いを振りかえりつつ、暖房の効いた部屋にいるありがたみをしみじみ味わってもいた。
『ここはお聞きのとおり風が強うございます! でも負けませぬ!』
加納は、自らの分身……おチヨコが、自分と同じ声で台詞を喋るのをヘッドホンから聞いている。やや高く滑らかなそれは、小さなころから近所で評判が高かった。
動画は、一人称視点で砂利浜をざくざく歩いていく様子が流れていく。一方、おチヨコは画面の右下隅に固定されて狂言回しを務める。画面の上部には、ファンからの一言コメントが現れては消えた。ときどき、投げ銭をしてくれるファンもいて、その度に加納はおチヨコとして礼を述べた。
居間に隣接した台所から、水が滴る音がする。パッキングが緩んだのだろうか。それほど新しいアパートではないし、設備が不具合になってもおかしくない。さしあたり、マイクが拾うほど大きな音ではなさそうだ。
加納は、ふだんはコンビニのアルバイトをしている。週末になると、心霊スポットを散策して動画を撮影する。正確には、おチヨコに動画を解説させる形でファンをあおるのである。むろん、投げ銭のためだ。
固定ファンを掴むためには、危ない橋も渡った。真夜中に廃墟を出入りしたり、断崖絶壁を登り降りしたり。そこで、大げさに震えあがったり強がってへたくそな歌を歌ったりして、『怖がりだがやるときはやる少しだけドジっ娘』という印象を積みあげた。
音声も含めて、すでに編集が完結した動画を公表していることもあり、投げ銭の感謝を別とすれば、基本的にはマイクをミュートしている。少しだけ冷ましたココアを飲みながら、ファンの投げ銭を待つのが、加納にとって人生最大の楽しみの一つだった。守銭奴というのではなく、単純に生活費の足しになるから楽しい。だからこそ、コンビニのバイトも最小限ですませている。気楽な一人暮らしで、同じ階には誰もいないから、わずらわしい近所づきあいもない。
『いつものとおり、詳しい場所はお話できませぬ。日本の太平洋側とだけお伝え致します』
これは毎度おなじみの要領で、熱狂的なファンが現場を荒らしたり不法侵入したりしないための配慮である。加納自身は、むろん、そこが高知県の南西部に当たる手囃子岬と知っている。彼女自身が高知県民であった。おくびにもださないが。これまでの心霊動画も、大半は高知県で収録したものだ。
『ここは、
髪よりも、とにかく寒かった。しかし、心霊動画で大切なのは、とりわけ美少女キャラは、この類のリアクションがキモだ。
固定ファンが一定数つくと、さすがに心霊スポットを真夜中に単独訪問するような行為は意図的になくした。その代わりに、白昼でもファンを煽る場面を増やした。演出次第では、夜でなくとも雰囲気を盛り上げられるのを、彼女はとうに学んでいる。
『おチ、大丈夫!?』
『おチ、これで
ちゃり~んという音がして、百円が振りこまれた。それから、さらに五、六百円。おチとはおチヨコの略称でもあり愛称でもある。ファンの勝手連がおチョーズなる緩い団体を作ってくれたお陰で、彼女は生活を安定させる大事な一柱を得ていた。
『失礼いたしました。補陀落渡海……詳しい方もいらっしゃいますよね。海の向こうに極楽があると信じて、昔のお坊様が一人で船出するという行事』
それを、巫女のおチヨコが解説するのは宗教違いのはずだが、彼女は現代日本人の価値観に忠実である。つまり、敬意を払うが無頓着。加納自身もそういう性格をしている。
『もちろん、船出したお坊様は、たいてい途中で死にます。死ぬことで、極楽へいけるのですから本望でございます。ただ、中には海流や嵐のせいで陸地にたどりついた方もいらっしゃいます』
ここで立ちどまり、カメラがパンして水平線を映した。
『生きてどこかに上陸なさったのも、立派な功徳でございます。決して、恥ずかしいことではございませぬ。ただ、どちらにしても常人が成しとげられることではないでしょう』
自分ならまっぴらごめんだと思いながら、加納はココアを一口飲んだ。そして顔をしかめた。砂糖は控えめに入れたが、塩などまちがっても入れはしない。
しかし、モニターの脇には食塩のガラスビンがあった。無意識に持ってきたものか。いうまでもなく、客はいない。気ままな生活をしているせいで、出したものをそのままにしておくことはある。今回もそうだろう、と彼女は判断した。そんなことより、動画だ。
『でも、皆様。もし、補陀落に出発したお坊様が帰ってこられたら? そのとき、お坊様が人でないものになっていたら?』
カメラは、水平線から浜辺へ、さらに内陸方面へとゆっくり回った。漁師小屋の廃屋が三軒、がらんどうの屋内をさらしている。その向こうには、まばらに松が生えた小高い丘があった。
『実は……この地において、補陀落は定期的に行われていました。定期的と申しましても、十年に一回という間隔だったとのお話でございます』
おチヨコはここで黙り、海を背にして、漁師小屋へ近づくよう歩きだした。
『ご覧頂けますでしょうか。あの、小さな丘。あそこが、今回の要にございます。
そんな図書館は存在しない。手囃子岬が補陀落信仰で有名なのは、多少調べれば分かる。ただし、出発した人間が出戻りした実例はない。
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