第3話 加納とおチヨコ その二

 この類を真に受けるファンもいるにはいる。史実だの定説だのに基づいた質問を受けても、加納は適当にいなしていた。おチヨコの解説とリアクション自体を楽しんで欲しいという前提で作っているので、特に良心は痛まない。


『では、さっそく伺いましょう』


 ここでいったんカットされ、丘の中腹に設けられた小さな窪みが画面に現れた。明らかに、人工的に四角く削られており、コンクリート製の屋根もある。そして、一体の地蔵が安置されていた。高さは一メートルほどか。風雨にさらされ、目鼻はほとんど摩滅していた。供えものもなければ賽銭箱もない。


『実は……この地で十年ごとに行われていた補陀落。最初から、出発した浜辺に帰ってくるようになっていたのでございます。ただし、どのみちお坊様は亡くなられました』


 カメラは、地蔵をじっと映している。


『この地の補陀落は、お坊様が身命を投げ打って、いわば自らをいけにえとすることで、引きかえに宝物を持ってこられたのでございます。つまり、亡くなったお坊様と宝物を積んだ船が帰ってくるのでございます。このお地蔵様は、亡くなられたお坊様のために鎮座しております』


 ここで、視点は地蔵を外れ、丘のふもとにある家屋をいくつか画面に収めた。


『しかし、皆様ご覧の通り、ここは誰もすまない廃村になってしまいました。何故で きゃあっ!』


 悲鳴を上げたのはおチヨコではない。加納だ。背後から、急に右肩を叩かれた。あわてて椅子を回したものの、誰もいない。


『おチ、今のは仕込み?』

『ネタ乙~』

『おチの悲鳴エロい』

『おチ、ガチ? ←シャレにならない』


 モニターに向きなおると、そんなコメントが次から次に流れている。マイクはミュートしたままなのに。


『でも、ある年……記録では、十六世紀の終わりごろ。最後の補陀落があって、そのとき、お坊様が生きたまま帰ってきました。宝物はありませぬ。つまり、お坊様が、命を惜しんで途中で補陀落をやめたのでございます』


 我ながら、見てきたような嘘だ。


 ここでカメラは、ふたたび地蔵に注目した。


『宝物がないまま、お坊様が生きて帰ってきたことに怒った村人達は、よってたかって暴力をふるい、お坊様を殺してしまいました。それからすぐに、得体の知られぬ病気がはやり、村人はほとんど亡くなりました。それからは、二度とこの地で補陀落は行われず、村はさびれてしまったとのお話でございます』


 と、ここで視点が下がった。画面に加納の右手が映り、地蔵の足元に小銭を置いた。


『今、私、小銭をお供えいたしました。このお地蔵様にお金を供えると、殺されたお坊様の魂が現れて、補陀落へ連れられるとのいいつたえがございます。まさに、それを試しました』


 と、動画の度にこうした『ヤマ場』をこしらえ、少し危ない目に会ったがどうにか切りぬけたともっていくのが定番である。


『あっ、お地蔵様が……ご覧頂けますでしょうか? かすかではございますが、揺れています!』


 もともと風の強い日である。地蔵の底に小石を噛ませておけば、手をふれずともぐらぐらするのは当たり前だ。


『ひゃあああっ!』


 加納は両足を縮めた。冷たいし、濡れている。台所のシンクから、溜まった水がここまで流れついていた。


『おチ、マジ大丈夫?』

『ナイスリアクション!』

『おチ、住所教えろ! 俺が助けにいく!』


 ちゃり~ん、ちゃり~ん、ちゃり~ん。


 加納はヘッドホンごとマイクを外し、何度もしっかり確かめた。ミュートはミュートだ。にもかかわらず、視聴者には彼女の声が届いている。


 水道といいマイクといい、忌々しい故障が重なった。投げ銭が次々ひっきりないのが、不幸中の幸いというべきか。


『あ、ありがとうございます! ありがとうございます!』


 マイクのスイッチをいれ、加納はおチヨコとして投げ銭に感謝した。


『お地蔵様が……ああっ!』


 地蔵が倒れ、慌ててカメラごと飛びのいた。これは、素で実際に起きた。一応、元通りにしようとはしたが、重くて無理だった。


『た、倒れてしまいました。海は……』


 カメラが百八十度後ろに回り、海が画面に広がった。


『み、皆様。海が私に迫ってきております。補陀落への誘いでございます』


 海をゆっくりとアップしているだけなのだが、こちらからもゆっくり近づいてはいた。


 ここで、加納はスマホをつけてネットバンクのアプリを開けた。モニターでも確認はできるが、余計な情報が漏れないよう、用心してスマホを使うようにしている。


 この動画での投げ銭は、すでに百万円を越えていた。なおもどんどん増額されている。


 いくらなんでも、そんなはずがない。一番稼いだときでも、三万円になるかならないかだった。数百円で終わることも珍しくない。


 いや。投げ銭の音はとうに途切れているのに、数字は飽くことを知らずうなぎ昇りだ。


『あっ、船がきました。あれは……お坊様でしょうか? 申し訳ございません、逆光ではっきりとはわかりません』


 たしかに、一隻の帆船が波打ち際にいる。舳先には、何者かが立ってこちらを手招きしていた。


『何これ、CG?』

『AIじゃね?』

『ヤラセならうまくやれよ』

『おい、おチョーズならつまらねー難癖つけるな』

『ほんそれ。荒らし消えろ』

『嵐がきたんじゃね?』

『誰うま』


 次々にそんなコメントが寄せられる。加納は、歯の根が噛みあわず、床が水たまりになっているのを気にすることさえできない。そもそも、『あっ、船がきました』云々のくだりは一切覚えがない。現場では、帆船はおろかゴムボートすら浮かんでなかった。


 ヘッドホンをむしりとるようにして頭から外し、加納は椅子から出ようとした。そして初めて、無表情に自分を見おろす一人の仏僧と対面した。


「ひいいいっ!」


 腰が抜けて足がもつれ、加納は床に転んだ。水しぶきが散って、何滴かが唇についた。思わず舌でなめてしまい、塩辛さに愕然がくぜんとする。


 仏僧が、かがんで彼女に右手を伸ばした。


 以上、当該作完結。

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