第6話 それからの時計台。
あれから1ヶ月ほどたった。
宮本さんと会うことはなかったが、わたしは、まだ彼の傘を大切に持っていた。
ある日、知らない番号から着信があった。電話に出ると宮本さんだった。
「相川さん。この前の男性を逮捕しました。これから取り調べですが、起訴されると思います。これで安心して過ごせますね」
あいつが捕まったことは嬉しかった。でも、それよりも。彼の声を聞けたことに、わたしの心は弾んでいた。
「じゃっ、そう言うことで」
電話は数分で切れてしまった。
わたしは自覚せざるを得なかった。
彼のことを好きになってしまったらしい。
わたし、惚れっぽいのかな。でも、誰かに助けられたの生まれて初めてで。たまらなく嬉しかっんだ。
個人的な連絡先はしらないし、わたしの存在は彼の邪魔にしかならない。それに、きっと彼は、まだ家族を愛している。
『諦めるしかないよ』
そう自分に言い聞かせた。
それから少しすると、わたしに変化があった。
それは困った変化だった。
お客さんに抱かれていると、頻繁に泣いてしまうのだ。悲しい訳じゃないのだけれど、涙が止まらなくなる。
今の所は、お客さんは自分に都合よく解釈してくれているけれど……。
この副業も潮時かな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、オーナーからメールが届いた。
明日の予約は1人だけだった。
珍しく新規のお客さん。
次の日、わたしは仕事を終えて、時計台の下にいた。ショーウィンドウを見て、身だしなみを確認する。
今日は、時計台の下で待ち合わせだ。
思えば、ここで誰かと待ち合わせをするのは、初めてだった。
この仕事は、今日で辞める事になった。
最後に時計台っていうのも、良いのかも知れない。
「あれ? 雪?」
雪がゆらゆらと降ってきて、わたしの手のひらに落ちては消えていく。その様子が楽しくて、しばらく眺めていると、雪と雪が、わたしの手のひらでツンとぶつかった気がした。
「まほ……さん?」
顔をあげると、仕立てのいいスーツにメガネをかけた刑事さんだった。
「……どうして?」
すると宮本さんはニヤリとした。
「うーん。職権?」
その顔をみると、わたしの口角も自然に上がっていた。
「不良刑事さんだぁ」
「それで、これからどうするの?」
えっ。どうしよう。
やっぱマニュアル通りに……。
「ホテル……。痛っ!! でこぴんっ?」
宮本さんは、わたしにデコピンをした。
「今日で最後でしょ? 美味しいもの食べさせて不良娘を更生させないとね」
「うん。お食事嬉しいです」
「あれ? デートNGじゃないの?」
「宮本さんのイジワル。好きな人とご飯いけるの嬉しいに決まってるじゃないか……」
「え? なに? きこえない」
「だーかーらー、その。……いや何でもないです」
「チッ」
「舌打ちっ? ここにドエスの刑事さんがいまーす。って、寒い……」
すると、彼が手を握ってくれた。
その手を見てわたしは続ける。
「ね。……どうして、わたしのことを気にかけてくれるの?」
「むす……、君が大切な人と同じ名前で。放っておけなかった」
わたしは、宮本さんの娘さんと同じ名前だ。知ってはいたが、逆に申し訳ないと思っていた。
でも、おかげで、いまわたしは。
好きな人と歩いている。
これから、わたしはどうなっていくのだろう。粉雪のように、誰かに触れた途端に消えてしまうのだろうか。
みな笑顔で、わたしと彼の横を通り過ぎていく。きっと、家や会社で悲しいことや悔しい事が沢山あるのに、ここでは笑顔になる。
ここでは誰も、心にもないお節介はしない。
ただ祭囃子のように、陽気な音楽にあわせて練り歩く。箱庭に入れられた何かの粒子のように、お互いにぶつかることもなく、それぞれが笑顔になって自由にしている。
陽気だけど、寂しい街。
……いや。
寂しいけれど、陽気な街なのかな。
でも、そんな街の気まぐれなお節介のおかげで、わたしは今、笑っている。
わたしは、やっぱり銀座が好きだ。
(おわり)
わたしの愛は粉雪の罪滅ぼし。 白井 緒望(おもち) @omochi1111
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます