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 その声音には、僅かに怒気が乗っているように聞こえた。

 まさか本当にサンタクロースなのか?

 自分の迂闊さを呪った。もし”正体を知られたら、その人間は消さねばならない”みたいな掟があったとしたら完全にアウトである。なんとか誤魔化さなければ!


「名前がそれっぽいから言ってみただけだよ。冗談冗談」


 不自然にならない程度に飄々とおどけてみせる。しかし三田くんは何も言わないまま、僕の瞳をじーっと見据えてきた。なんだか深層心理を見透かされている気分になって、思わず目を逸らしてしまう。その瞬間、三田くんはぷっと愉快そうに笑った。


「はは、なに怯えてんだよ」


 どうやら揶揄われたみたいだ。


「もう、脅かさないでよ」

「ごめんごめん。てか本当にサンタクロースなんていると思っているのかい?」

「まさか。いるわけないじゃないか。もう中学生だし」

「中学生だから信じないのかい? どうして?」

「それは……ファンタジーだからだよ。非現実的だと分かるから。結局うちも親に種明かしされたし、いつまでも純粋ではいられないんだ」


 子供の時は現実と虚構の区別がつかない。ある、と教えられたらあると認識するし、科学的証左や理論的証明がなくても信じられる。それがいつしか、ありえないと感じるようになり、信じることを恥ずかしいとさえ思うようになる。


「本当にそうかな?」


 夢とは覚めるもの。がっかりするくらいなら最初から見ない方がマシだ。


「それは君の本心じゃないだろ?」


 でも本当は、できることなら――


「聞かせてくれよ。サンタクロースは、いると思うかい?」

「分かんないよ」

「いるわけないんじゃなかったのかい?」

「わかんない」

「ファンタジーなんでしょ?」

「わかんない」

「いいや、分かってるはずだ。ほら、言ってごらん。くだらない理屈はいらないんだ、ただ心のままに」


 不思議な人だなと思った。決めつけたような物言いなのに、まるで嫌味を感じない。だからかな。つい、らしくない言葉が口からこぼれてしまったのは。


「信じたいよ。いたら素敵だなって思うから」


 僕は恥ずかしくなってかぁぁっと顔が熱くなった。

 三田くんは何も言わずに微笑むと「よかった」とつぶやいた。それがどういう意味かは分からないけれど、お気に召したのは明らかだろう。続いて満足げな表情のまま「先に戻るよ」と言って、片付けたお弁当箱を持って屋上を後にした。

 取り残された僕はしばらくの間、しんと冷え切った空間で一人羞恥に悶えるのであった。



 X X X X 



それから数日経つが、あの日以降、三田くんとは話せていない。

昼休みに寒い思いをするのも嫌だし、なにより彼と話しているとまた恥ずかしい事を言ってしまいそうで怖いのだ。今日は十二月十八日。クリスマスまで残り一週間。三田くんがサンタさんだとしたら、僕はプレゼントをもらえるだろうか。いや、そもそも子供じゃなければ《いい子》にしていたところで貰えないのではないか。そもそも《いい子》ってなんだ? 親の言う事を聞いて勉強して友達や周囲の人にやさしくすればいい子なのか? そんなこと、見返りがあると分かっていれば誰にだってできるじゃないか。理性ある大人がやってもひどく薄っぺらで計算じみて見えるだけだ。ではどうすればいいのか。どうすれば、人は真の意味で《いい子》でいられるのだろうか。


『――信じたいよ。いたら素敵だなって思うから』


 自分の言葉が脳裏にこだまする。そうか、僕はいつの間にか、自分に嘘をついていたんだ。そのうち本音すら見失っていた。信じたいものすら信じられなくなって、信じなくていい理由を探して、体裁と言う名のローブで純粋な心を覆い隠していたんだ。いい子である必要なんてない。ただ信じてさえいれば。それが振る舞いに反映されるから。だから子供はいい子であれるんだ。けどそれが分かったところで今更どうしようもない。不可逆なのだ。心は。濾過しようにも、常識がそれを阻んでくる。僕はもう《いい子》にはなれない。


「範野くん、よかったら一緒に食べない?」

「え?」


 三田くんが昼食に誘ってきた。

 いきなり話しかけられて戸惑っていると「心配しないで、ここで食べよう」と言って前席の椅子をこっち側に向け腰を下ろした。僕が屋上で凍えるのを嫌がっているのだと思ったらしい。

 一つの机を挟む形で正面に向かい合って座る僕たち。こうしてみると三田くんは結構イケメンだと思った。男子にしては長い髪と白い肌が中性的でアンニュイな雰囲気を醸し出している。


「珍しいね、どうしたの?」

「さぁ。なんとなく君と話したいと思ったんだ。前に僕と友達になりたいと言っていただろう?」


 ああ、確かに言った。三田くんがサンタさんなんじゃないかと思い近づこうとした。今思えばよこしますぎる考えだ。やはり僕は悪い子だ。プレゼントなんて期待する資格すらない。


「クリスマスが近いね」

「うん」

「サンタさんに頼むプレゼントはもう決めたのかい?」


 僕は首を横に振った。


「どうせもらえないと思うから。プレゼントは諦めるよ」

「どうして?」

「いい子じゃないからさ。サンタを疑ってる奴のところに来てくれるわけがない」


 信じたいけど、信じられない。理想と現実。大人と子供の狭間。僕はそこでただ立ち尽くしている。


「……君は、優しい人だね」

「なにが?」


 意味が分からなかった。今の発言のどこに優しい要素があったというのか。


「必死になってサンタさんを守っているじゃないか」

「守るもなにもサンタさんなんて見たことも――」


 三田くんが僕の胸の中心を人差し指でつついた。


「ここに、君の忘れたくないものがある。サンタさんだってそうだろう? ここにいる」


 要は本当のサンタはあなたの中にいると言いたいのだろうか? やっぱり三田くんは変だ。新手の中二病だ。中一が言うのも変だけど。


「イヴの夜はなにか予定あるかい?」

「いや、ないけど」

「それなら、深夜零時に屋上にくるといい。鍵は開けておくから」

「え? どうして?」

「来てからのお楽しみさ。待っているよ」


 その翌日から、三田くんは学校に来なくなった。

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