第4話 夜空に咲く想い

夏休みが始まってすぐの週末、私はクラスの友人たちと地元の大きな花火大会に行く約束をしていた。駅前の広場に集合してから屋台を回って、夜には花火を見る――そんな計画だったのに、当日になって予想以上の人混みが押し寄せる。友人とはぐれてしまった私は、人波を避けるように屋台の脇を通り抜けていくけれど、なかなか連絡も取れず、迷子状態に陥っていた。


「こんなに人が多いなんて……どうしよう」


スマホを握って友人に連絡しても、「人が多すぎて全然動けない!」と返ってくるばかり。私は少し途方に暮れながら、街の中心部から離れるように高台へとつながる石段を上り始めた。以前、誰かが「あそこの高台から見下ろす花火も綺麗らしいよ」と言っていたのを、ふと思い出したのだ。


夕闇の中、急な階段を上っていくと、少し開けた場所がある。人混みから離れたからか、あたりは驚くほど静かで、遠くから祭りの熱気と人のざわめきがかすかに届いてくる程度だ。私は、少しでも静かな場所で花火を見たいと思っていた。


そこでたたずむ人影を見た瞬間、私の胸はドキリと跳ねた。あの背中、間違いなく彼だった。


「……ここにいたんだ」


思わず声をかけると、彼は驚いた表情を浮かべてから、少しほっとしたように微笑んだ。


「人混みが苦手で、どうしようか悩んでたんだけど……ここなら静かに見られるかと思って」


こんなところで再会するなんて、まるで偶然とは思えない。私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、彼の隣にそっと並んでみた。遠くで大きな花火がドーンと打ち上がり、夜空に鮮やかな光の輪を咲かせた。


人混みの歓声がかすかに聞こえるけれど、この高台はまるで別世界みたいに穏やかだった。花火が一瞬夜空を染め上げるたびに、彼の横顔が照らされて、私の胸はぎゅっと高鳴る。通りから吹いてくる風には、屋台の焼きそばや金魚すくいの水のにおいが、ほんのり混ざっていて――夏の祭りの熱気を実感した。彼と二人きり、という状況が、なんだか少しドキドキした。


「……すごいね、花火。こんな角度から見られるなんて知らなかった」


「うん、ちょっと小さく見えるけど、こっちのほうが落ち着いていいかも」


私たちはしばらく会話も少なめに、花火が打ち上がるたび夜空に広がる光の模様を見つめていた。ドーンという音と一緒に、一瞬視界が明るくなり、そのあとの闇がより深く感じられる。彼は何か言いたそうに私のほうをチラリと見ながら、一歩だけ近づいてくる。彼の視線が、なんだか少し熱っぽく感じた。


「……ちょっとだけ、手をつないでもいい?」


その控えめな声を聞いた瞬間、私の心臓は大きく跳ねた。花火の光に照らされて、彼の横顔がいつもより鮮やかに見える。私は小さく頷くしかなくて、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じる。ゆっくりと伸ばされた彼の手は、少し汗ばんでいて、同じように緊張しているのが伝わってきた。彼の指先が、私の手に触れた。その感触が、なぜか頭から離れなかった。


「……花火、大きいね」


小さな声でそうつぶやくと、彼も苦笑交じりに「うん、思ったより迫力あるね」と答える。実際のところ、夜空に広がる色とりどりの花火よりも、手を繋いでいることのほうが頭を占めていて、あまり花火の感想は出てこない。彼の温もりが、私の手に伝わってくる。その温かさが、なんだか心地よかった。


だけど、一発ごとにドーンと空に響くその振動が、私たちの胸の鼓動と重なっているようにも思えた。


大きな連発花火が上がると、いっそう明るく照らされた夜空に閃光が走り、街のほうから大きな歓声が聞こえてくる。いつもならあの賑やかな人混みに混ざっていたかもしれないのに、今年は彼と二人、こんな静かな場所で見上げている――その事実が、私には不思議なくらい特別に感じられた。彼と二人きり、という状況が、なんだか夢みたいに感じた。


やがてフィナーレに近づいたのか、次々と上がる花火の数が増え、夜空を埋め尽くすように大輪の光が咲き乱れる。光と音に包まれる最後の瞬間、彼はそっと私を引き寄せ、繋いでいた手が少しだけ強く握られる。彼の力が、私の手を握る手に、少しだけ力がこもった。その力が、なんだか嬉しかった。


花火の音が遠ざかり、夜空に残る煙がゆっくり消えていく。私たちは言葉が出ないまま、しばし静かに余韻に浸った。花火の明るさから一転、夜の闇が戻ってくると、手を繋いでいることが急に恥ずかしくなって、私は彼の横顔を見上げて小さく笑う。


「……ありがとう。なんか、すごく綺麗だったね」


「うん、こっちこそ一緒に見られて良かったよ。人混みから逃げてきたのに、君が来てくれてびっくりしたけど」


二人とも微妙に照れくさい空気が流れたまま、石段を下りていく。途中で友人から「どこにいるの?」というLINEが来るが、「ちょっと高台で見てたよ。もう帰るね」とだけ返す。私は、まだ誰にも言えないような秘密を抱えている気分になっていた。彼と二人で過ごした時間が、私にとって特別なものになった、そんな気がした。


下のほうまで降りると、また屋台や人混みの熱気が戻ってくる。私も久々に浴衣を着てきたせいか、下駄で足がじんわり痛みはじめていた。改札へ向かう道では浴衣姿の人がたくさん行き交い、さっきまでの静けさが嘘みたいだ。


「足、痛くない? 無理しないで」


彼が少し心配そうに声をかけてくれるたび、胸がほわっと温かくなる。もともと人混みが苦手な私だけど、ふと立ち止まって帯を直していたら、「大丈夫?」と袖を引かれるその優しさが、不思議と私を安心させてくれた。彼の優しさが、私の心を温かく包み込んだ。


駅に着くまで彼と手を繋ぐわけにはいかなかったけど、私の胸はまださっきの余韻でいっぱいだった。


「今日はありがとう。偶然とはいえ、ここで会えてよかった」


改札の前でそう言う私に、彼は少し照れた笑顔を見せて「こちらこそ。じゃあ、また…」と小さく手を振る。


数時間前までは人混みにはぐれて焦っていたのに、今はなぜか満たされた気持ちでいっぱいだ。私は見えなくなっていく彼の背中を見送ってから、賑やかな駅の喧噪の中に戻っていく。彼の姿が見えなくなっても、胸のドキドキは、まだ止まらなかった。


夜空に咲いた花火と、暗闇の中でそっと繋いだ手。その余韻が、これからの私たちにどんな変化をもたらすのだろう――そんな期待を抱きながら、私は人混みに紛れ込んで家路についた。彼との時間が、私にとって特別なものになりつつある、そんな気がした。

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