優しい優しい愛に出会ったお話

文月葉月

優しい優しい愛に出会ったお話

 別に結婚なんてしなくたっていい。


 少子化が問題視されるこの時代、結婚願望を持つ若者が少なくなっているという話もよく耳にするようになりました。

 かく言う私もそんな若者の一人で、恋愛や結婚というものにあまり関心はありませんでした。何かの流れで人生を預けられるような良い人が見つかれば結婚したいなとは思いつつ、マッチングアプリなどを使ってまで無理に相手を作る必要性は無いかな、なんて思っていました。

 友人たちがパートナーを作っていっても羨ましさや焦りはあまり感じることがなく、他人の恋の話を聞くのでお腹いっぱい、という感じでした。


 しかし、少し前にとある男性と出会ってから、私の中で「結婚」というもののイメージが少しずつ変わりつつあります。


 上手くいくこと、幸せなことばかりではないと分かっているけれど、あんな温かさを感じることができるのなら、ちょっと本気で頑張ってみたいなと思えるほど、とてもとても素敵なご夫婦に出会ったお話です。



 ***



 社会学系の大学に通っている私は、授業の一環として地域住民の方々と関わる機会が多くあります。

 私がご夫婦と出会ったのも授業で地域に出向いたときで、このときは「編み物教室」に参加させていただきました。

 地域の中で行われている活動で、市民であれば誰でも無料で参加できるとのこと。

 昔からものづくりは好きでしたし、とても楽しみにしていました。


 どんな人たちが参加するのだろう。

 不安な気持ち半分、楽しみ半分でドキドキしながら講座が開かれる部屋へと足を踏み入れると、やはりと言うべきか、平日ということもあって、高齢の方々が八人ほどいらっしゃいました。


 毎月開催されているからか、いつものメンバーといった感じで、編み物をしながら仲良くおしゃべりをしている皆さん。

 先ほどまで楽しみだった気持ちがすべて不安に変わってしまったのは仕方がなかったと思います。

 しかし、これは授業だから、と緊張しながらも勇気を出して声をかけてみると、若い私の存在が珍しかったのか、あれよあれよという間に、おしゃれなおばあさま方の中にズルズルと引きずられることに。私が何の話をしようかと考えている間に、おばあさま方は私を話の輪に溶けこませてくれました。


 そんなわけでいろいろ楽しくおしゃべりをしていると、「あなたも編み物をしてみたらいいじゃない」と提案してくださったんです。私も楽しみにしていたので、ぜひ参加させてくださいと声をあげました。


 しかし、生まれてこの方、毛糸を編むなんて経験したことがありません。中学校の家庭科の授業で刺繍をした記憶はありますが、編み物なんて初めてです。

 編み方はおろか、かぎ針が必要なことさえ知りませんでした。


 かぎ針がなければ何もできないということで、講座の先生が「あの人から借りておいで」と、ある受講生の方へ視線を向けました。


 その方は、受講生のほとんどが女性というなかで、たった一人の男性の参加者でした。ここでは仮に「田中さん」と呼ぶことにしましょう。

 田中さんの年齢は七十五歳だそうですが、シャツにオフホワイトのベストと茶色のハンチング、眼鏡を身につけていて、とてもおしゃれに気をつかっている方だと感じました。

 しかし、周りが女性ばかりということもあってか、寡黙な雰囲気で、黙々と毛糸を編んでおられます。ときどき分からない編み方を質問したり、周囲の人たちから話しかけられたら返事をするくらいでした。


 少し怖そうな雰囲気をまとっている田中さん。

 編むことに集中しておられる中、声をかけてもいいものか……と恐る恐る近づきました。


「すみません、かぎ針を貸していただけないでしょうか?」


 緊張しながら聞いてみると、田中さんは「良いですよ」と快く貸してくださいました。

 ゴソゴソと田中さんがカバンから取り出したケースには十本ほどのかぎ針が入っていて、とても驚きました。


「すごい数ですね! 編み物、お好きなんですか?」


 思わずそう聞いてしまった私ですが、田中さんは苦笑して答えてくださいました。

「いやいや。私はまだ始めて二か月くらい。ここに来るのも二回目だよ」と。


 ――いや、二回目にしては道具の数がすごいな。

 形から入るタイプの人なのかな。

 このときはそう思っていました。


 かぎ針を借りた流れでそのまま田中さんの隣で編み物をすることになりました。

 先生に教えてもらってまずは鎖編みを一つずつ。


 ……すごく難しかったです。手先は器用なはずなんですが。

 糸を張れない、かぎ針に引っかからない。

 あまりの下手さに笑いが止まりませんでした。


 私が鎖編みにものすごく苦戦している隣で、の田中さんは細編みを十段くらい進めていました。

 ――難しい難しいと唸る私のことを笑いながら。


 そうなんです。話してみると田中さんって意外と気さくな方でした。


 そして一時間ほど田中さんと一緒に過ごして少し仲良くなれた私は、田中さんがどうして編み物を始めたのか気になり始めました。

 偏見ではありますが、やっぱり編み物をしているのは女性というイメージがありますし、男性で編み物をしている人は珍しいからです。


 だから聞いてみました。


「編み物を始めたきっかけとかってあるんですか?」

「きっかけ……」


 田中さんは少しだけ言い淀んで、こう続けました。


「半年前にね、嫁さんが亡くなったの。それでね、遺品を整理してたらね、大量のかぎ針と毛糸が出てくるでしょ。どうしようって、捨てるのはもったいないしさ。それで調べてみたらここで編み物の教室をしてるっていうから。何にも分かんないけど教えてもらおうってさ」


 なんでもないことのように淡々と話す田中さん。

 私はたった一時間の田中さんしか知りませんが、それでも彼の声に少し寂しさが混じっていたように感じました。


 どうやら田中さんの奥さまはとても編み物がお好きだったそうで、この編み物教室にも何度も参加されていたそうです。しかしその奥さまが亡くなってしまい、遺品を捨てるわけにもいかず、どうするべきか悩んだのだということでした。


 始めて二か月なのに田中さんがかぎ針を大量に持っていたのは、それが奥さまの形見だったからなのだと、そう気づきました。


 すると、目の前のおばあさまも会話に入ってきてくださいました。


「田中さんのそのベストね、奥さまが編んだものなのよ! ほんと上手に編んであるわよね!」


 もう驚きで声も出ませんでした。

 だって見た目はお店で売っている毛糸のベストと変わりありませんでしたし、サイズがぴったりで暖かそうだなとしか思わなかったからです。

「これを編んだの……!?」と本当に衝撃を受けました。よく見たら確かに模様が普通のベストとは少し違ったので、編んだと言われれば確かにそうなのかもしれないと納得しましたが、言われなきゃ絶対に分かりません。

 生まれたときから服はもちろん、マフラーや手ぶくろだって既製品しか見たことがない私には「すごい」という言葉以外出てきませんでした。


「すごいですね! 奥さまは本当に編み物がお上手なんですね!」


 興奮しながら伝えると、「ね。上手でしょ」と田中さんは満面の笑顔を浮かべました。そして「死ぬまでにこんなの作れるかなぁ?」と冗談っぽく笑っていました。


 出かけるときは必ず奥さまの編んだベストを着ているという田中さん。そんなに使い込まれているのにほつれ一つ見つからないのは、田中さんが大事に大事に手入れしてきたからなんだと思います。


 本当に奥さまのとこを愛していらっしゃるんだなぁと、胸の奥がじんわりあたたかくなりました。

 一見クールな田中さんがこのベストを愛用しているのだと思うと、なんだかほっこりしました。


「このベストもそうだけど、編み方が分かんないときに教えてもらいたいんだけどね、もう居ないんだもん。こんなにハマるとは思ってなかった!」


 そう言って笑う田中さん。

 もう少し早くに気付けていたら一緒に楽しめたのに、という後悔の気持ちが痛いほど伝わってきました。


「田中さんは今何を編んでるんですか?」


 田中さんが手元をズイッと私のほうへ差し出してきました。


「これくらいだったら私でもできるかと思ってね。今日はこのピンを刺してるところから始めたんだけど、マフラーなんかにできそうだなと思ってるの」

「なんか二十センチくらい伸びてる!? すっごい進んでるじゃないですか!!」


 「結構進んだよね」とドヤ顔をしてくる田中さんに、やっぱり初心者なんて嘘だ!と、一時間半ほどかけてようやく長編みを習得した私は叫んでしまいましたよね。


「田中さんは青がお好きなんですか?」


 毛糸が青色だったので、なんとなくそう思って聞いてみたのですが、やっぱり田中さんは色なんかより奥さまが大好きな方でした。


「嫁さんが青色好きなの」


 もう泣きそうだからやめてぇええええ!と心の中で叫んでしまったのは仕方ないと思います。


 田中さん、マフラー編んで奥さまにあげるんですって。

 ――尊いですねぇ。


 そんな奥さまとの素敵なほっこりエピソードを聞いたり、隣で煽ってくる田中さんを適当にあしらったりしていると、楽しい時間もあっという間でした。


 そろそろお別れというときになって、田中さんは「また来るの?」と私に聞いてくださいました。


「授業ではもう来ないかもしれないですね……今日だけだと思います」

「えーそうなの。せっかく若い子と編み物友達になれたと思ったのに」

「田中さん、編み物友達作ってるんですか?」

「うん、そうよ? 編み物の勉強をしてるとね、自然とそういう人たちばっかり集まってきて、いろんな人と話せるから楽しいよ」


 なんかすごく素敵なことだよなぁと思いました。

 今まで全然興味が無かったことでも、大好きな奥さまが好きだったことだから始めてみたら自分も好きになって、そこで新しくいろんな人たちに出会って、奥さまとの思い出話に花を咲かせる。そうやって少しずつ、田中さんは前を向いています。

 苦楽を共にしてきた大切な人がいなくなってどうしようもなく悲しいけれど、それを少しずつ乗り越えられるようなつながりは、愛する奥さまが紡いでくれたものです。

 そして田中さんはこれからもずっと、編み物をするたびに奥さまのことを想い続けるのだと思います。


 死という避けられないもので別れてしまったとしても、お互いを想いあっているその関係が、私にはとても眩しくて美しく感じました。


 田中さんご夫妻が特別素晴らしい関係と言いたいわけではありません。世の中には、こんなふうに胸の奥がじわりと温かくなるような出来事がたくさんあるのだと思います。この経験で感じた温もりも、きっとありふれた優しい愛の一つです。

 ですが、私が想像していたよりもずっと、誰かと一緒に過ごすことが良いものであるということを気づかせてくれたこのご夫婦は、私にはキラキラして見えました。


 私も将来は田中さんたちみたいになりたいな。

 強くそう思いました。


「田中さん! 私頑張ります!」


 そう宣言すると、何を悟ったのか田中さんは「頑張りたまえ!若者よ!」と別れ際に握手をしてくれました。

 ほんの少しの時間でしたが、人生の大先輩からとても大切なことを学べた貴重な時間でした。


 もっと田中さんから奥さまとの惚気話を聞きたい。恋バナしたい。

 そんな私の願いは、そう遠くないうちに叶うと思います。


 だって、田中さん、私も編み物にハマってしまいました!笑

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