2-3 招かれざる者
――今からほんの少し前の出来事であった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
「分かってる、大丈夫だから、ねっ!? とにかく逃げないと……!」
白い布一枚に身を包み、裸足で森の中を駆け抜ける二人の少女。会話の内容からして姉妹であることは予測できるが、彼女たちが何から逃げているのか、どうして逃げなければならないのかまでは分かる事が出来ない。
しかしその服装から緊急事態であることは把握できると共に、その見た目から単なる人間ではないことは理解できるであろう。
揺らめく髪の隙間から見え隠れしているのは、長く尖った耳。人間のそれとはかけ離れた、異質なものと示す証。
人間とは違う、“森の賢者”と揶揄される者――エルフ族のそれといって間違いは無かった。
「どうして……どうして……オークがあんなところまで入り込むことなんてできるはずなんてないのに……!」
エルフ族は人間よりもはるかに長寿であり、その知識は人間が数世紀かけて得られるはずのものですら、たった一世代で会得することも可能なほどに長い時を生きる。一説によれば千年もの間生きたエルフもいるという話であり、もし出会えたとすれば悠久の時を経て消えた筈の知恵を授かることもできるだろう。
しかしそんなエルフ族と出会うのは至難の業であり、通常は未踏の森の奥深くにある集落にひっそりと暮らしている。理由として人間はもちろんの事、他の人型のモンスターからの目も避けるためと言われている。
それが今回こうして、たった二体のエルフが着の身着のまま夜の森を逃げている状況。まさに異常事態としか言い様がなかった。
「なんで、なんで……っ!」
二人のエルフは走りに走った。そしてついに村を隠していた森を抜け、草原へと転がり込むかのように飛びだした。
「はぁっ、はぁっ……」
初めて飛び出した外の世界。目の前に広がる草原には、身を隠せる場所など一切見当たらない。
「お姉ちゃん、もう、走れない……」
「しっかりするのよリル! ……ねぇ! あそこなら隠れる場所があるかもしれない!」
リルからお姉ちゃんと呼ばれたエルフが先に進んでいると、草むらに隠れた巨大な井戸のような穴を見つける。
二人にとってはまさに渡りに船であっただろう。地獄における一筋の光に見えたであろう。
――それが地獄よりはるか深い、深淵へと続く道筋であったとしても。
「急いで! この中に隠れましょ!」
壁沿いに続くらせん状の長い階段を下り、エルフ族の二人は遂に一つの扉の前に立つ。
「……ゴクリ」
二人はそこで初めて、この扉を叩くという選択は間違いではないかという考えを持ち始めた。
扉の向こう側からにじみ出る狂気と混沌への誘い。今背後から迫りくる恐怖と、目の前の閉ざされた扉の先にある絶望。どちらを選ぶべきか、エルフ族の二人には究極の選択肢が与えられていた。
「……いこう、リル!」
姉のエルフが冷たい扉に手をかけ、扉を静かに開ける。すると目の前には三つの人影が、まるでこちらを待っていたと言わんばかりにエルフ族の女性を迎え入れた。
「我が
「来たか」
「なんじゃ、
一人は真っ黒な神父服に身を包んだ礼儀正しそうな男。一人はまるで人間における貴族の様な真っ赤な服装に身を包んだ少女。そして最後の一人は茶色のローブに身を包み、フードで顔を隠しているが、声色からして男だというのが分かる。
「あ、あなた達は――」
「俺はこの場所を支配している者、ダンジョンマスターだ」
「ダンジョン、マスター……?」
姉の方のエルフが首を傾げいている様子を見て、ダンジョンマスターと名乗る男――エニグマの方もまた、フードの奥で訝しげな表情を浮かべていた。
「ダンジョンマスターを知らない、か……」
「なんと! 我が
神父服の男は驚愕すると共に、それまでの柔らかかった態度から一気に俗物を見下すような態度を取り始める。
「止せ、アビゲイル」
「しかし――」
「
少女の言葉にハッとした様子で、神父姿の男はローブの男に深々と頭を垂れる。
「まさかとんでもない! 我が
「あ、あの――」
「勝手に口を開くな。こちらの話が先だ」
ローブの男は外界からの来訪者の口を強制的に閉じさせると、一拍呼吸をおいた後に一方的に話を切りだし始めた。
「――お前達、追われているな?」
「っ、何故それを!?」
「服装、そしてその表情を見ればわかる。恐らく今も後を追ってきているだろう?」
もちろんこれはエニグマが事前にアビゲイルから得た情報から、更にエルフ族二人にカマをかけるという意味合いでもって言葉を並べている。
「安心しろ、俺達は敵ではない。お前達をかくまってやる」
「あ、ああ……」
見ず知らずの男の言葉が、どれだけエルフ族の耳には救いの言葉となって聞こえたであろうか。しかしそれは悪魔との取引の言葉ということを、今の彼女たちが知る由もない。
「――但し、条件がある」
「条件、とは……?」
一般的にエルフ族は人間という種族からすれば美男美女揃いとの評判らしく、一部の裏の界隈では人身売買の筆頭として乱獲されることもあるとの話もある。
彼女達もまたその噂を耳にした事がある事から、目の前の男の提示する条件を怖れる他なかった。
しかし男の提示した条件とは、耳にする限り奴隷という言葉とはほど遠い程の緩い条件であった。
「簡単な話だ。この辺の地理情報及び世界情勢が知りたい。そのためにしばらくの間、ここにいてもらう。それだけだ」
「えっと……それは、どういった意味でしょうか」
「何も難しいことを考える必要はない。俺達は見ての通りここにずっと引きこもっている変わり者でな、外の情報を得られる機会が少ないんだ」
もっともらしい言い訳で丸め込まれる二人であったが、今はまだ目の前の男の条件を飲む方が危険が遠のくと現状では判断ができるだろう。二人は素直にその条件を受け入れ、引き換えに自分たちの身柄を保護してもらうこととなった。
「ありがとうございます。お名前は――」
「エニグマだ。お前達の名は?」
「私の名前はセーラ。そしてこの子はリルです」
「助けて下さって、ありがとうございます……」
「まだ助かったとは断定できないがな」
エニグマはクククと不敵な笑いを漏らした後に、早速二人の頼みをこなすべく追ってくる相手の情報を引き出すことにした。
「追っ手はどんな奴だ? 人間か? 人外か? まさかドラゴンというわけでは無いだろうが――」
「オークに、オークに追われているんです」
「オークだと……? チッ、面倒な」
エニグマはその単語を聞くなり、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
オークといえばエニグマがダンジョン拡張をし始めた最初期のころに自動生成されていたモンスターの名と等しかった。
その頃は特に何も考えていなかったエニグマこと加賀は特に戦闘力も低くなかったオークを放置していた。しかしそのうちに目に余るような繁殖力と繁殖スピードに頭を抱えることとなり、友人の冒険者にわざとダンジョンを攻略させると共に、オークの殲滅作業を行った記憶を蘇らせる。
「で、何でオークに追われているんだ? それとそのオークの色は?」
「追われている理由ですか……」
エニグマの問いに対して、エルフはまるで口に出すのもはばかれるような下劣な事を想像し、そして口元を抑えてその場に泣き崩れはじめた。
「どうした?」
「まさか答えられないという訳ではあるまいな?」
心配するエニグマとは対照的に、アリアスは脅しつけるかのように腰元の刀を抜いてセーラの眼前に切っ先をつきつける。
「答えろ。さもなくば斬る」
「おいおい、ちょっと待てアリアス。流石に血の気が多すぎるぞ」
「
アリアスが絶対的な忠義を誓うのはエニグマただ一人。となるとその
「さあ、答えろ。それとも死ぬか」
碧かったアリアスの目の色が赤へと変わってゆき、それまでかくまうはずだった相手を敵対者として認識し始める。
一歩間違えれば即、死が待っている。そんな最中、遂にセーラは意を決して口を開く。
「……っ、私達の村は、繁殖の場として狙われたのです……!」
「繁殖の場、だと……そういうことか……」
エニグマは即座にその言葉を理解すると共に、憤りに肩を震わせた。
「MAZE」のモンスターには、それぞれ繁殖力というものが設定されている。例えば人間であればほとんどが1~2であるが、これがオークであれば100~300と高い数値を出している。
似通った種族であれば子をなすことも可能で、その場合繁殖力の高い種族の影響を多く受ける。これが仮に人間とオークだった場合、差の大きさから人間は生まれることは無く、オークしか生まれないといった事態が生じる。
そしてオークの繁殖力というのは桁違いなもので、殆どが二桁の数値で収まる中で三桁という高い繁殖力を叩きだしている。そしてそれこそが初期のエニグマのダンジョンで起きた大量発生を引き起こす原因であり、エニグマにある意味オーク嫌いを植え付けた原因ともなっていた。
「はい……村には男衆もいましたが、大勢を前に男は全てオークの手によって殺されました。そして女性たちは皆、その場で犯され……うっ…………っ……」
セーラは自分の口から出た言葉に自ら嗚咽し、その場に泣き崩れる。
「……アリアス」
「随分と胸糞悪い話だ。わらわが皆殺しにしてくれようか」
「いや、お前は今回こいつ等を連れて下がっていろ」
「なっ! 何故だ!?」
エニグマには二つ考えがあった。一つはアリアスもまた女性モンスターであることからこの戦いで万が一負ける事があった場合、エニグマ自身が一番発狂することに直結するのは考えなくとも分かること。
そしてもう一つ。オーク殲滅にあたって、縁のある者がこの場に一人いるからである。
「アビゲイル」
「命を受けずとも、すぐに向かいましょう」
「ああ。一匹残らず虐殺するぞ」
その当時一番レベルの高かったアビゲイルは、主の命により道で詰まっているオークを片っ端から殺して回った経験もあり、その時に
「
「いざという時、ということはダンジョンにいれるつもりは――」
「元より毛頭ない。外で全滅させた上で、一体も中に――」
「ゴファファファ、まさか女二人の後を追ったら、こんないい場所にたどり着くとはなぁ」
――招かれざる客が、入ってきた。
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