1.裸の王様(皇帝の新しい服)


 あらすじ(517字)

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 とある国に着替えが大好きな皇帝が居た。 

 ある日、詐欺師二人が特別な布を持ってやってきた。

「この布は自分の地位にふさわしくないものや、手のつけられない愚か者には見えない布です」

 皇帝は喜んで大金を払い、二人の詐欺師に新しい服を作らせた。

 皇帝は作業の様子を大臣に見に行かせるが、大臣の目には「愚か者には見えない布」が全く見えなかった。愚か者と思われたくなかった大臣は、詐欺師二人が言う布地の色と柄をそのまま皇帝に伝えた。その後視察に言った臣下は誰もが同じ調子で、「立派な布だ」と称賛するばかりであった。ついには皇帝自身も気になって作業場を見に行くが、臣下たちが見えた布を見えないとは言えず、調子を合わせるしかなかった。

 いよいよ皇帝の新しい服は完成し、盛大なパレードが開催された。皇帝は見えない服を身にまとい行進するが、誰も愚か者と思われたくなくて称賛を口にする。

 しかし、とある小さな子供が「でも、皇帝は何も着てないよ」と大きな声で言う。その言葉を口火に群衆はざわめきだして、ついには「皇帝は何も着ていらっしゃらない!」と皆が言い出した。今更パレードを辞めるわけには行かない皇帝は、一層胸を張って行進を続けるのだった。

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※ ※ ※


「でも、何も着てないよ!」


 ああ、純真無垢な子どもは恐ろしい。なにせ、本当のことを言ってしまうのだから!


 裸の王様は、今更言うまでもなくアンデルセンの代表作である。短いお話なので絵本にもしやすく、オチが簡潔で翻案もしやすいため、知っている人も多いだろう。


 原題は『皇帝の新しい服』というタイトルで、実は王様ではなく皇帝なので、身分的には複数の国を治める権力者であることが分かる。


 そんなえらーい皇帝様が、胸を張って堂々と歩いている所に「どうして服を着てないの?」なんて言おうものなら、間違いなく不敬罪で打首だろう。言い放った子どもの親の立場になって考えると「あ、死んだわこれ」と思ったに違いない。


 もっとも作中でそんな事にならなかったのは、この物語が風刺の効いたユーモアだからで、登場人物全員が「なにかおかしいぞ」と思いつつ、外聞と見栄、そして同調圧力でそれを言えなかったという背景があるからだ。


 だからこそ、子どもが「王様は何も着てない!」と言った時、その父親は「おい、うちの息子がなんか言ってるから聞いてくれ!」と面白そうに言うのである。


 権力や外聞という見えないものに縛られる人々の滑稽さが的確に描かれた、アンデルセンらしい人間観察からくる風刺が効いた物語である。


※ ※ ※


 ちなみに詳しい人はご存知かもしれないが、この話には元ネタがあることをアンデルセン自身が明言している。


 十四世紀のスペインの作家、ドン・ファン・マヌエルという散文作家が書いた『ルカノール伯爵』という作品がある。

 ルカノール伯爵が相談役のパトロニオに助言を求め、パトロニオは様々な寓話を語って訓戒をする、という形式の五十一編の散文作品で、後々のヨーロッパ文学に大きな影響を与えた作品とされている。

 この散文の第32話が『ある王といかさま機織り師たちの間に起こったこと』で、これが裸の王様の元ネタである。


 タイトルを見てもらうと、ほとんど裸の王様と変わらないのが分かるが、大きく違う点として、見えない布の設定が違っている。


 裸の王様では「愚か者や地位にふさわしくない者」には見えない布という設定だが、ルカノール伯爵の方では「」には見えない布、という設定になっている。

 随分ややこしい設定だが、その国では、実子しか父の財産を相続出来ないという点を考慮すると、納得の行く風刺になっている。


 父親の実子ではないと知られれば、今ある地位や、相続するはずの財産もすべて失ってしまう。それは相当の恐怖のはずだ。

 身分が高ければ高いほどその恐怖は大きく、中でも王様にとっては、自分が先王の実子でなければ王国そのものを失ってしまうわけだから、そりゃあ必死になって「見える」と言い張るしか無いわけである。

 そうして王様は、国中の人間が素晴らしい布だと褒め称えた生地で作った服を着てしまうのである。


 このお話では、王様が裸であることを言及する人間も違う。裸の王様では素直な子どもがそれに言及するが、ルカノール伯爵の方では『馬丁のくろんぼ』――身分も失うものもない、外国から来た馬引きの黒人がこう言うのである。



「陛下、私は私が申しております父の子だと思われても、他の男の子だと思われても構いません。ですから、私が盲目なのかまたは陛下がはだかでいらっしゃるのかどちらかですと申しあげます。」

(『ルカノール伯爵』国書刊行会P190より引用)



 この黒人の言葉により、これまで皆が言えなかった事実が明るみに出て、皆が詐欺師に騙されていたことが分かるという流れである。


 そもそもこのお話は、ルカノール伯爵がパトロニオに助言を求めた所から始まる。

 ルカノール伯爵の相談は「ある男から重大な事実を知らされたが、誰にも言うなと言われた。秘密を漏らしたら破滅すると言われているが、これは真実だろうか?」というものだった。

 それに対してパトロニオは、いかさま師に騙された王様の話をして「内緒にしろと勧める者は少なからず騙そうとしている人です」と答える。言ったら破滅するという状況を物語として見せつつ、その偽りが暴かれたときに、騙された人間の滑稽さを話してみせたわけである。


 風刺としては、裸の王様よりも元ネタであるこちらの方がかなり強いと言えるだろう。


 アンデルセンはこのスペインの物語をドイツ語に訳された『それが世の習い』というタイトルの作品を読んだとされている。なので、作品を発表する時も、「ルカノール伯の物語より」と注釈を加えられている。


 つまり、厳密には創作童話というわけではないのだが、実際に読み比べてみると、童話として普遍的なものにアレンジした点はさすがだと思える。

 アンデルセンはこの物語を、どこの国、どの人種でも話として理解できる、まさしく普遍的な物語を作り変えているのだ。


 最後に王様が裸だと言及する役割を子どもにした点はもちろんのこと、王様が着替え好きで何着も服を持っている、という設定にした所が面白い。自身を着飾ることに腐心し、身分にふさわしくない愚か者であることを認められずに、真実が分かっても裸のまま行進してしまう虚飾の物語。この凝った内容を童話に作り変えたのは間違いなくアンデルセンの手腕だろう。


 こういった原典を元に話を作り変えることを翻案と言うが、アンデルセンは民話や説話を元に翻案した作品もいくつかあり、その中でも裸の王様については原典以上に有名になった作品であり、普遍性を与えた点は評価されるべきだろう。


※ ※ ※


 ちなみにこの物語、アンデルセンが書いた初稿では、民衆が皇帝の新しい服を褒め称える所で終わっていた。

「行列を歩く時は、この新しい服を必ず着なければならない」と皇帝自身が言って、自ら騙されたままで居続ける、というのが最初のオチだったらしい。


 童話の教訓として「人々は自ら騙されるがままになっている」という話の結末で、おそらくルカノール伯爵の物語が騙されたことに気づいて終わるのを意識して、反対に騙されたままで終わらせることで滑稽さを描こうとしたのだろう。


 ただアンデルセンはこの原稿を印刷所に送った後、結末が気になって仕方なかったらしく、その二、三日後に、出版協力や財産管理をしてくれていた友人(エドヴァー・コリン)に向けて、結末を変えたいという手紙を送っている。


 そうして、皇帝の「私はこの服を着なければいけない」という結末のセリフは消され、代わりに子どもが皇帝の言及することで、誰もが事実を知りながらも、行進を続けなければいけない虚飾と虚栄の滑稽な物語へと昇華されたのだった。


 アンデルセンは原稿を完成させると、身近な人にそれを読んで聞かせるという習慣があったとされるが、この作品も、身近な子どもに聞かせてみて、より良い結末を模索した結果、一筆付け加えられたのだとされている。

 結果的に、それは大成功となり、裸の王様は不朽の名作となったのだった。


※ ※ ※


 次に、タイトルについても言及したい。

 裸の王様の原題が『皇帝の新しい服』であることはすでに言ったが、これは翻訳されているほとんどの国では直訳でタイトルがつけられているらしい。


 つまり、裸の王様という名称は日本独自のようなのだ。


 では、いつから日本では裸の王様というタイトルで親しまれるようになったのだろう?


 アンデルセン童話が日本で翻訳され始めたのは、アンデルセンの死後十年ほど経ってからのことだそうだ。

 それもそのはず、アンデルセンが亡くなったのは1875年(明治八年)で、日本では明治維新の真っ只中である。社会情勢は安定せず、文明開化という言葉が出始めた頃なので、外国の児童文学が普及するには少し時間が必要だったのも当然だろう。

(余談だが、福沢諭吉が『文明論之概略』という著作の中で「文明開化」という言葉を使ったのが一八七五年で、アンデルセン死去の年だったりする)


 日本でアンデルセン童話の翻訳が出回り始めたのは、1885年(明治十八年)頃に、アメリカの出版社の本(通称『ナショナル読本』)が日本の教育現場に普及し、その中にアンデルセン童話の英訳が入っていた、というのがきっかけだそうだ。

 つまり、デンマーク語から英語に訳された童話が、英語教育の教材として日本に入ってきて、そこから日本語訳が立て続けに行われたという流れらしい。


 明治期のアンデルセン童話の普及については『明治期アンデルセン童話翻訳集成』に詳しく載っている。こちらは上野にある国立国会図書館の児童館に所蔵されているが、目次だけならば出版元であるナダ出版センターのHPでいつでも見ることができる


 その明治期アンデルセン童話翻訳集成の二巻に、明治時代に翻訳された裸の王様の記録がまとめられている。参考までに、以下に引用する。


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《009 皇帝の新しい着物》

  王の新しき衣裳 ヤスオカシュンジロウ訳 [Romaji Zasshi 明治19年11月] 

  王の新しき衣裳【翻刻】 ヤスオカシュンジロウ訳 [Romaji Zasshi 明治19年11月]

  不思議の新衣裳 巌本善治訳 [女学雑誌 明治21年3月10日]

  帝ノ新ナル衣服 渡辺松茂訳 [『ニューナショナル第五リーダー直訳』 明治21年6月] 

  領主の新衣 坪内逍遙訳 [『国語読本』 明治33年10月] 

  諷世奇談 高橋五郎訳 [言文一致 明治36年9月]

  狂言衣大名 杉谷代水訳 [早稲田文学 明治39年3月]

  着道楽 菅野徳助・奈倉次郎訳 [『小九郎次大九郎次/着道楽』 明治40年1月]

  裸の王様 木村小舟訳 [『教育お伽噺』 明治41年10月] 

  裸体の王様 和田垣謙三・星野久成訳 [『教育お伽噺』 明治43年10月] 

  霞の衣 上田万年訳 [『安得仙家庭物語』 明治44年4月] 

  皇帝のお召物 近藤敏三郎訳 [『アンダアゼンお伽噺』 明治44年4月] 

(https://www.ozorasha.co.jp/nada/page016.html より引用)

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 これを見ていくと、最初の頃は直訳に近いタイトルだったものが、徐々に意訳されていき、明治四一年(西暦1908年)にとうとう裸の王様のタイトルが登場する。


 このタイトルの変化を見るだけでも、外国語翻訳の変遷を感じさせて面白い。


 ちなみに明治四四年に出ている『安得仙家庭物語』は、国立国会図書館のデジタルコレクションに収録されており、インターネットで登録することなく閲覧できる。

 この中に収録されている裸の王様は『霞の衣』というタイトルで洒落た翻訳であり、全体的に日本風にアレンジされている(王様は天皇で、侍従や庶民の描き方も日本のもの)のが面白い翻訳なので、興味があればぜひ見てもらいたい。



 最後にもう一つ、余談を追加したい。

 明治期の作家で黒岩涙香という人物が、自身で読んだ外国小説の面白かったものを翻案しまくっているのだが、その中に『仙術 霞の衣』という作品がある。


 当初、この作品の原作はアンデルセンの裸の王様だと思われていたのだが、研究が進むことで、実はルカノール伯爵を原作にしたのではないかというのが判明したのだとか。


 黒岩涙香は多くの翻案小説を出していて、中にはあの有名な『巌窟王』(原作:モンテ・クリスト伯)があったりするが、涙香の蔵書が死後散逸した関係で、原作がわからない翻案小説も多いと言われている。これは、今より情報が整理されてない時代のちょっとした小ネタである。


※ ※ ※


 情報にアクセスしやすくなった現代において、翻案とパクリの差を明確にするのは難しい話だが、裸の王様は確実に原典と違う魅力を描き出しており、だからこそ今なおアンデルセンの代表作として挙げられる名作であるというのは事実だろう。


 着替えに取り憑かれた皇帝は、騙された挙げ句に裸となってしまったが、童話の王様はこの作品で明確に童話作家としての才能を世間に知らしめたのだった。


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