第3話 玄鳥至(つばめきたる)

 「……てな具合にだ、火曜の三限から五限までは実習の時間だ、この日は名目上時間は五限までにしてるが、終わりの時間は定まらない、つまりまあ野暮な約束はしない事だな」

 入学式の翌日から新入生ガイダンスが始まった。先日の懇親会で挨拶していた田井中先生初め写真学科の教授、講師陣の紹介と一年間のカリキュラム、その他授業やイベントや予定、の事務的な紹介等々……はっきり言うとかなり退屈だ。

「ふぁ〜あ……」

それは横に座った楓ののんびりした欠伸が全てを物語っている様で、他の同級生達も概ねそんな表情をしている、全く、窓の外からは自然豊かな山と春の青空、厚木の市街が広がって、そんな日に教室に押し込まれて何時間も説明を受けるなんて、中々に気分は陰る。

「よし、休憩だ、退屈だろうが辛抱するんだなこれもまた忍耐と思うようにな」

田井中先生は、あくまでも気品ある、しかし気風の良さも感じる口調と穏やかな表情を崩す事無く、そう告げて、それを合図に講師、教授陣も教室を出た。

 「う〜ん、つまらないね〜、あそうだ! 真ちゃんこのまま抜けてツーリング行かない? 後ろ乗せてあげるよ!」

「箱根? それとも鎌倉とかどう?」

魅力的な話だけど、あまりに突拍子が無さすぎてちょっと遠慮したい、箱根なんて行ったら帰りは何時になるのかわかったものじゃ無いし。

ちなみに、この大学は芸術学部生は一年生、二年生が厚木キャンパス、三年生、四年生と院生が中野の本部キャンパスにて学ぶ事になる、墨田区在住の僕も、国分寺市在住の楓も中野に移れば通学は楽になるが、今厚木まで二時間クラスの時間をかけて来て、やる事が数時間も事務的な説明を受ける事では、気分も晴れないと言うものだ。

 「あの〜、皆よろしいですか?」

思うまま各々力を抜いていた所に、ガラリと空いた教室のドア、そして見慣れない女子が壇上に上がって。

「えぇっと、初めまして、皆様ご入学おめでとう御座います」

「私は二年の及川です、ええっと本日十八時から学生ホールにて写真学科新入生歓迎会を行います!」

なるほど、この人は先輩なんだ、と言うか小柄で少し背伸びしながら一緒懸命話す姿が何か可愛い。

「また、希望者は駅前のダイニングバーでの二次会も計画しています、皆様是非是非ご参加下さい! もちろん一次会は無料です」

 ぺこり、と頭を下げて降壇、可愛い……。一緒に入って来た何人かの先輩と思しき学生達が案内のチラシを配る、ちらりと楓を見ると。

 「真ちゃん、楽しみだね!」

僕が行くのは確定の様だ、僕は何も言ってないけどね。

「学科の歓迎会があるんだね」

「写真学科の伝統みたいだね〜、よく知らないけど」

普通はサークルとか部活単位でこういうのは勝手にやるものだと思っていたけど、なるほど中々新鮮だなって思う。

 「え? 来ないの? ひゃー、いしこ!」

「うるせーな、ってか声デカ、別にいいだろうが」

「え? 何で来ないの? 女子といっぱい仲良くなれるのに?」

「いや、そう言うのは、なんか……慣れない」

「そういう所がいしこいって言うんだよ」

「あの〜、もうちょっと静かに喋らない?」

斜め後ろの席に座った男子三人組の会話、細身の金髪に幾つかのピアス、マッシュヘアでやや目が隠れた如何にもチャラそうな男子に、黒髪のツーブロックに目つきの悪い肩幅の広い男子、一番小柄で高校生か、下手をしたら中学生みたいな見た目をしたいかにも気の弱そうな男子、以上このトリオの特徴だけど、主に金髪の声がやたら通るせいで教室中の注目を集めていたのは言うまでも無い、だが三人共リュックやらのバッグの他にカメラバッグをそれぞれ机に置いている。

 「よし、じゃあ再開するか、席につけよ」

田井中先生を先頭に教授、講師達が入って来て、また退屈な時間が始まった、今度は一年時必修となる授業の説明『写真学概論I』『芸術学I』『写真史』『写真技術論I』『色彩学』……そこそこありそうだ、本当に僕はそれらの単位を取れるのか不安ではある。

 そんな気を逸らすべく、また窓の外に目を向けた、エアコンの空調は今は要らないほど暖かく過ごしやすい季節で、窓は換気目的で開けられている。

 「……?」

そんな日だからか、予想もしない来訪者はやって来るのだ。

「あっ!」

「おぉ……」

風と一緒にやって来たのは、一羽の燕だった、全員の注目を集め、そしてそれらを全く気にする事も無く、悠々と教室を旋回して、やがて同じ窓から飛び去って行った、ガチャッガチャッと何人かは自慢のカメラを取り出してシャッターを切っていた。

 「ほほ〜、玄鳥至、だな」

「この時期暖かくなるとな、南からこの国まで燕が飛んでくる、それを玄鳥至と言う」

「お前達、良かったな、吉兆だ」

燕が教室にいる間、話す口を止めていた壇上の田井中先生は、そう満面の笑顔で語る、優しく、暖かく……燕は季節が変わる度に数千キロを旅する、僕は一体これから四年間どんな旅をするんだろうか、少なくとも、この日に見た燕と風景は多分、一生忘れる事は無いんだろうな。

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写真学生 加藤真の凡人録 駒門海里 @sekkenkamen

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