第九話 二十年前のレシート
--- 食堂 --- 夕食
「ゴッドには少し話をさせていただいたのですが、実は、大学で量子物理学を専攻しているんです。相対性理論が好きで、深堀してます。博士の専攻は何ですか?」 涼は興味津々な表情で身を乗り出しながら問いかけた。
博士は驚いたように目を細め、箸を持つ手を一旦止める。 「えー、そうじゃったのか。驚いたよ。実は私も相対性理論の検証をしているんだよ。物理の世界はすべて方程式で証明できるので、愉快だよな」 そう言うと、博士は楽しげに微笑み、手元のコップを静かに置いた。
「へえー、相対性理論の話ができる人がいて、すごく嬉しいです。専攻というよりも趣味に近いレベルですが、大好きなんです。ここでも検証は続けられているのですか?」 涼は目を輝かせながら質問を続ける。
博士は誇らしげに胸を張り、大きく頷いた。 「もちろんだ。実は、実証実験をやっているんじゃよ」
涼はスプーンを置き、椅子の背もたれに寄りかかりながら言った。 「僕にも手伝わせていただけませんか?お役に立てる自信があります」
博士は助手をちらっと見た後、穏やかな声で答える。 「人は足りていないので、助かるよ」
ゴッドがテーブルに手を置きながら口を挟んだ。 「実は、私も手伝っています」
「そうなんですか?物理専攻ですか?」 涼が驚き、聞き返すと、ゴッドは微笑を浮かべながら肩をすくめる。 「私は大学には行ってないよ。全て独学だけど、関連する論文は博士から借りて一通り全て読んだ」
涼は一瞬目を丸くしてから質問を投げかける。 「アインシュタイン・ローゼン・ブリッジに対する見解を教えてください」
博士と助手は互いに顔を見合わせ、少し驚いた表情を見せた。ゴッドは落ち着いた様子で博士の顔を見ながら答える。 「ワームホールは実現できると思っている」
「本当ですか?凄いです」 涼は声を弾ませた。
ゴッドはスープを飲み干しながら静かに提案する。 「興味あるようなら、食後、実験室に案内するよ」
「え、本当ですか。ありがとうございます。雑用全てなんでも引き受けます。手伝わせてください」 涼は興奮を隠せない様子で身を乗り出し、勢いよく頭を下げた。
--- 研究開発室 ---
食事が終わると、博士、助手、ゴッドが一斉に立ち上がり、涼の方に目を向ける。涼も椅子を引いて立ち上がり、小さくうなずいた。
四人は食堂を出て、西棟の奥へと向かった。真っ直ぐに続いている真っ暗な廊下を歩くと、やがて行き止まりとなる。助手が無言で壁に手を当て、力強く押し込むと、ギギギという音を立てて壁が回転した。扉の奥には薄暗い階段が現れる。まるで忍者屋敷のようだ。
「ここを降りるぞ」 博士がランプで、階段を照らす。階段は急で、ひんやりと湿った空気が肌にまとわりつく。四人は慎重に足を運び、長い時間をかけて階段を降り続けた。地下五階ほど下ったところで、重厚なドアが姿を現す。
助手がポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで回した。ギィー……という低い音とともにドアが開き、中に入ると壁のスイッチを押した。部屋中に蛍光灯が灯り、広々とした空間が姿を現す。
部屋の四方に並ぶ大型サーバーが低い唸り声をあげ、廃墟には似つかわしくない近未来的な雰囲気を漂わせている。涼は目を丸くして周囲を見渡した。
「電気、あるんですか?」 涼が驚いたように声を上げると、博士は低い声で答えた。 「他の者には内緒にしてくれ」
博士が静かに続けた。 「容量が限られているので、日常生活で使われると、実験ができなくなる」
涼は小さくうなずきながら問いを重ねる。 「わかりました。もしかして、地熱発電ですか?」
博士は満足げに微笑みながら答える。 「よくわかったね。正確には、地熱と吹き抜けの中庭に設置したペロブスカイトを使った太陽光の両方を使って発電している」
涼は近くのサーバーラックに目を向けながら、興味津々の様子で質問を続ける。 「これは機械学習用のサーバーですか?」
博士は自信ありげに頷く。 「その通りだよ。これを使って、時空の歪みを修正するための人工知能を開発している」
涼は一瞬考え込みながら声を上げる。 「病院の地下に、どうしてこんな設備があるんですか?」
博士は少し間を置いてから説明を始めた。
「ここは、もともと、高強度磁場を使用して、精神疾患、パーキンソン病、脳卒中後のリハビリ、アルツハイマー病の治療を行う目的という建前でつくられたんだ」
涼は疑問を含んだ目で博士を見る。 「建前というのは……どういう意味ですか?」
博士は声を低め、慎重に言葉を選びながら答える。 「実は、青木ヶ原樹海の地下に位置するこの場所は世界的にも稀な異常に強い重力場になっている。時空の歪みが起きやすい環境になっているんじゃ。
ここの住民はみな、今が二〇一五年だと思っている。震災が起きてから、ここでの時間は四年しか経過してないんじゃ。
でも、地上での時間は五倍早く進んでいる。だから、今は、地上では二〇三〇年だよね?」
「はい、その通りです。僕たちは二〇三〇年の地上から来ました。ここでは二〇一五年なんですか? つまり、僕らは過去に戻ってしまったという事ですか?二〇一五年の時、僕は、六歳です。でも、僕の体は六歳には戻らないんですね。六歳の自分に会ったりすることはできるのですか?」
「それが、可能かどうかを、確認するための研究をやっているんじゃ」
「我々が取り組んでいるのは、時空の歪みを制御することじゃ。希望する場所、希望する時代に移動するといった事ができるようになったら、ゴールじゃ」
「制御できなければ、リスクにしかなりえない。戦火の中に送り込まれたり、大規模な震災や津波に巻き込まれるという事もあるからな」
でも、仮に制御できるようになったら、ものすごい発明となる。誰もが自在に、時空を超えて移動できるようになるのじゃ。
日本政府がこの特異な環境に目をつけ、アインシュタイン・ローゼン・ブリッジの実装という極秘プロジェクトを進めているというわけじゃ。この青木ヶ原樹海じゃなきゃできない事だからなぁ。そういった意味で、仮に成功したら、日本は米国を抜いてGDP、世界一位となるだろう」
その言葉を聞いた涼の目がさらに輝く。 「博士がそのプロジェクトの中心に?」
博士は微かに笑みを浮かべた。 「その通りだよ。震災で外との接触は絶たれたが、ここでは優秀な助っ人たちと共に実験を続けている。ゴッドのような存在がいるおかげでな」
ゴッドは少し照れたように肩をすくめる。 「時空の歪みを制御するプロトコルを人工知能を使って開発していて、私もコアとなるアルゴリズムを考えて、実現させるためのコードを書いています」
涼は廃墟と化した病院の地下で進められている壮大な計画に圧倒されながらも、自分の関与を考え始める。 「パイソンでプログラムを書くことならできます。僕にできることがあれば、ぜひ協力させてください!」
博士は笑顔で頷き、サーバーのラックを指差した。 「スタンドアロンのコンピュータがいくらでもある。好きなものを使ってくれ」
涼はポケットからスマートフォンを取り出し、テーブルに置いて充電を始めた。 「人工知能のライブラリをスマホのローカルメモリーに入れてあるので、それを活用してみます」
そのとき、ふと思い出したように涼が博士に問いかけた。 「悪霊の正体は、もしかして時空の歪みだったのではないですか?」
博士は驚いたように目を見開き、しばらく黙り込んでから静かに頷いた。 「流石だね。そこまで見破るとは。そうなんだ。ここで発生する異常現象の多くは、時空の歪みが原因だと考えている。この地下から、すでに数十人が消えている。住民は悪霊に攫われたと思っているが、私は、時空の歪みが原因だろうと考えている」
涼は息を呑みながら、さらに質問を続けた。 「ところで、お祓はしてないですよね。お祓いを建前にして、一体、何をしているんですか?」
博士は慎重な表情で、机の引き出しから細い金属の糸のようなものを取り出し、涼に見せた。 「時空の歪みを制御するサーバーと無線で繋がるこれはブレインコンピューターインターフェースだ。時空の歪みを抑えたり、意図する場所と時間に移動するためのプロトコルを人工知能によって生成して、脳に直接送って司令を出したりするためじゃよ。
ブレインコンピューターインターフェースのすごい点は、頭蓋骨に穴を開けずに、脳血管にステント型のデバイスを、張り巡らせることができるという点じゃ」
涼はその説明に驚きながら、さらに問いを投げかけた。 「頭蓋骨に穴を開けずにどうやって脳に届かせるんですか?」
博士は穏やかな声で答えた。 「血管を使う。手首の血管から挿入して、脳血管まで到達させるんじゃよ。施術時間はわずか二十分ほどだ。切ったりする必要がないから安全で簡単なんじゃよ」
涼はその仕組みに感心しながら、ふとした疑問を口にした。 「じゃあ、お祓いの後、みんなの手首に星の刺青のようなものが見えたのは……」
博士は満足げに頷いた。 「察しがいいな。それはデバイスを挿入した痕を隠すためのものだよ」
涼は深く息を吐き、目の前に広がる未知の世界の壮大さに圧倒されつつ、心の中で静かに決意を固めていた。
ゴッドが腕を組みながら補足した。 「最終目標は、希望する場所と時間へ自在に移動できるようになることだが残念ながらそこまでは到達していない。だが、現段階でも、高磁場の影響を受けずに時空の歪みに巻き込まれることなく、安定した状態で過ごせるようにはなった」
涼は顎に手を当てて考え込むようにしながら、ふと問いかけた。 「でも、それなら晋吾はどうして、蒸発してしまったのですか?彼もこのデバイスを使っていたのではないんですか?」
その質問に博士とゴッドは目を伏せ、重い沈黙が流れた後、博士が口を開いた。
「時空の歪みに巻き込まれる事がゴールではない。ゴールはあくまで、制御できるようにすることじゃ。晋吾くんは、ワームホールを使って、脱出に挑戦してみると言ってくれたので、我々の最新の研究の成果を試してみたというわけじゃ。
涼は不安を覚え、さらに追及する。
結果は失敗だったんじゃないんですか?……もしかして、晋吾は、ワームホールの入り口で素粒子に分解されたままになってしまったのではないですか?」
ゴッドがゆっくりと顔を上げ、低い声で答える。 「晋吾くんが素粒子に分解されてしまい、出口で再生されなかったかどうかは定かではない。だが、完全に失われたとは言えない。彼は過去か未来のどこかで楽しく生活している可能性は十分にある」
涼はその言葉を聞いても納得できない様子で続けた。 「晋吾を実験のモルモットにしたんですか?」
博士は一瞬、言葉を詰まらせたが、冷静な声で答えた。 「彼の意思で協力してもらった。科学の進歩には、犠牲がつきものだ」
「そ、そんな。もし、晋吾が自分の意思で協力するなら、事前に、必ず僕にその話をしたはずです。彼は、何も言わずにやるはずがないです。博士、あなたは、晋吾を騙したんじゃないですか?」涼は怒鳴った。
ゴッドが冷静に言葉を挟む。 「涼、落ち着け。君は妹さんや郁恵ちゃんを連れてこの地下から脱出したくないのかい?ワームホールシステムが完成すれば、地上に脱出する事ができるんだ。晋吾のことも忘れてはいない。だが、今は脱出することを優先すべきだ」
晋吾は博士とゴッドに騙されたのだ。間違いないと確信した。だが一方で、脳裏に、郁恵と里の顔が浮かんだ。あの二人は絶対に地上に戻してやりたいと思った。
今さら、晋吾を犠牲にしまった罪を追求して、この開発を壊してたら、全く別の方法を見つけない限り、永遠にここから出られなくなるかもしれない。
どうしてよいのか、わからなくなり、言葉が出なかった。
しばらくの沈黙の後、涼は、ぼそりと呟いた。
「もう、モルモットは必要ありませんので、モルモットを使った実験はやめてください。おそらく、時空の歪みを調整して制御することには成功しました」
「ん?、それはどういう意味だい?」博士が口を開く。
涼は気持ちを切り替えて言葉を続けた。「実は、僕の妹の里がワームホールを通過して二十年前の渋谷に行き、帰って来たんです」
涼は、里からもらったチーズバーガーの包みとレシートをポケットから出してみせた。レシートの日付は二〇一〇年十月五日となっていた。
「二十年前の渋谷でチーズバーガーを買ってきたようです。渋谷の警察署にも行っており、そこで東日本大震災の話をしたそうです。もちろん、誰にも信じてもらえなかったそうですが」
「え!、それは本当か?」博士が驚き目を見開く。
「はい」涼は力無く、答える。
「うぉー!、そりゃあ、すごいじゃないか。一方通行ではなく、帰って来たということは、時空の歪みを自らの意思で制御して、希望の場所と時間に移動したというわけだ。
凄い。遂に、これで、ワームホールが実現できるということが証明されたんだ。これはノーベル賞モノだ」博士は興奮を隠せず声を張り上げた。
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