第八話 過去と未来を繋ぐ橋
--- 食堂 --- 朝食
「あれ、晋吾は?」郁恵が食堂の入口を見つめながら訊く。彼女の表情には不安の色が浮かんでいる。
「最近、悪霊が出てこなくなったって言ってたから大丈夫だと思うけど」涼がスプーンを置き、首をかしげながら答える。
「晋吾さんが寝坊するなんて珍しいですよね」里が言う手元の皿を見つめつつ、少し心配そうに呟く。
「ちょっと、俺、晋吾、起こしてくるわ」涼は言い終わると、すぐに椅子を引いて立ち上がると、食堂を出ていった。
涼が晋吾の部屋に着くと、ドアには鍵がかかっておらず、中にはいなかった。出かけている様子だ静かな空間が広がっていた。部屋には誰もいない。ベッドは整えられており、出かけたような痕跡があった。『配膳の仕事をさぼって、一体どこにでかけたのだろうか』涼は、考えたが、出てくる答えは悪霊の仕業ということだけだ眉をひそめて考え込むが、明確な答えは浮かばなかった。頭を振って気を取り直すと、再び食堂へと戻った。
涼は住民たちが朝食をとっているテーブルに手をついて視線をぐるりと周囲に巡らせて話し始める。
「今朝、晋吾の姿が見えなくなりました。アイツは朝の配膳の仕事をサボるような奴ではありません。彼を見かけた方は、教えていただけると助かります」
「残念だけど、お祓いが効かなかったようね」クィーンが腕を組み、椅子にもたれながら静かに言う。その声には冷たさと重みがあった。
「実は、定期的に人が消えています。限られた地下なので、形跡もなく消えるのは悪霊の仕業以外考えられません」博士が眼鏡を押し上げながら続ける。彼の表情は淡々としていた。
「もう、やだ、穂乃果が行方不明になって、光は事故に遭って、晋吾まで消えてしまうなんて」郁恵が小さな声で呟く。手を握りしめ、肩を震わせていた。
--- 食堂 --- 夕食
「お腹いっぱいだから、私、ご飯、パス」里が手を左右に振りながら言う。
「何言ってるんだ? 朝食べたっきりなんだから、夜食べないともたないよ」涼が眉をひそめながら返す。
「いまさっき、食べちゃったの。だから、お腹いっぱい」
「何を?」
「チーズバーガー」里は目を輝かせながら答えた。
「おまえ、大丈夫か?俺たちはこの地下から出られない状態なんだぞ。チーズバーガーなんか食えるわけないだろう。夢見ているんだよ。昼寝でもしたのか?」涼は目を細め、じっと里を見つめる。
「お昼寝はしてないよ」
「じゃあ、どこで食べたっていうんだよ?」
「お兄ちゃんと、郁恵ちゃんも食べたいかなって思って二人の分も買ってきたよ」
里はそう言い終わると、二人の手を取り、笑顔を浮かべながら自分の部屋に向かって歩き出した。
里の部屋に入ると、ベッドの上に、マックの袋が置かれていた。部屋中にマック特有の油の匂いが漂い、涼と郁恵は息を呑む。
「何これ?どうやって手に入れたんだ?」涼が袋を指さしながら訊く。
「渋谷のマックで買った」里が無邪気に答える。
「え?何言っているんだい。ここは富士の青木ヶ原の樹海にある廃墟の地下だぞ。俺たちはここから出られないで、ずっとここにいるんだよ」涼は里の肩を持って見つめた。
「私もそれはわかっているんだけど、なんか、気がついたら渋谷にいたんだよね。お腹すいてたし、買っちゃった」里は子供のような無邪気な笑顔で答える。
涼と郁恵は、里のベッドの上に置かれているマックの袋を恐る恐る開いた。中には、チーズバーガーが二つとポテトが入っていた。
郁恵が、混乱して、泣き出した。
「郁恵ちゃん、大丈夫? ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんだけど」里が郁恵に抱きついて言う。
涼は、額に手を当て、深く考え込んだ後、ゆっくりと呟いた。「もしかすると、時空の歪みによるワームホールかもしれない」
「何、何それ?何なの?」郁恵が涼の顔を見上げる。
「数学と物理の話になっちゃうんだけど、アインシュタインの一般相対性理論って聞いたことあるでしょ?」
「中身はよくわからないけど、名前は有名なので知っている」郁恵は涙を拭きながら答える。
「これは、心霊現象や夢の話ではなく、あくまで、数学的に証明されている事実の話だから。アインシュタインは、相対性理論で時空の歪みを証明しているんだ。一言で言うと、時間は絶対ではないという話。この理論はすでに、実務的に使われているんだよね。具体的にはスマホのGPSが一番有名だよ。スマホの地図とかは複数の人工衛星との通信によって場所を特定させているんだ。このときに、地上から離れて、高速で飛んでいる人工衛星と地上とでは、時間が進む早さが違っていて、ずれるんだ」
「よくわからないけど、時間の進む速度が遅くなったり、早くなったりするわけ?」郁恵が首をかしげる。
「その通りだよ」涼は軽く頷いた。
「なんだか、全くピンとこない」郁恵は困った顔をする。
「これをアインシュタインは『時空の歪み』と言っている」
「なにそれ?」
「方程式の説明は省略するけど、要は、時間と空間がぐちゃぐちゃになるという現象が理論的には起きることが証明されているんだ」
「ますます、何を言っているんだかわからないんだけど。結局事象としては何が起きる可能性があるの?」
「冒頭でいった、ワームホールは、ドラえもんのドコデモドアだよ」
「ドコデモドアは、漫画の世界でしょ?」
「いやいや、量子物理学の世界では証明されていることなんだ」
「じゃあ、里ちゃんは、ドコデモドアを通って、瞬間的に渋谷に移動したというわけ?」
「実際に目の前にマックがある以上は、そう考えざるを得ないかもしれない」涼は真剣な表情で答えた。
郁恵がしばらく沈黙した後、ふと気がついたように里に訊く。
「里ちゃん、渋谷に行ったなら、警察には知らせてくれた?」
「交番には行ったよ。でも、日付がおかしかったの」里は困ったように視線を落としながら答える。
「どういうこと?」郁恵が眉をひそめる。
「東日本震災で壊れた王座病院の地下に人が閉じ込められていると言ったら、そんな地震はないって言われちゃって」里の声には、当時の戸惑いが残っているようだった。
「二〇一一年の地震だって言ったら。今年は二〇一〇年なので、来年の予言をしているのかって、笑いながら言われたの。それで交番の中に貼ってあったカレンダーを見たら、二〇一〇年の十月になっていたんだよね」
「つまり、今は二〇三〇年だから、里ちゃんは、二十年前の渋谷のマックに行って買い物をしてきたということ?」
「そうだと思う」涼が答えると、里も真剣な顔で頷く。
「え?そんなことできるの?」郁恵が目を丸くしながら訊ねた。
「だから、何度も言うけど、理論的には証明されている事実なんだよね。ただ実際にワームホールはまだ成功した事例はないので、もしかすると世界初の快挙なのかもしれない」涼が熱心に説明する。
「でも、なんで、急に里ちゃんがそんなことできるようになったの?」郁恵が首を傾げる。
「ここから先は、あくまで僕の仮説だけど、ここは、富士山の溶岩に含まれる鉄分が特定の条件で強力な磁場を発生させているので、エネルギー密度が極端に高い特異な場所になっているのかもしれない。つまり、ここは世界的にも特異な空間と時間が歪む条件が整っている場所なのかもしれないんだ」涼は顎に手を当てながら考え込む。
「なんで里ちゃんなの?」郁恵がさらに訊ねる。
「アルファ波が時空の歪みを制御するプロトコルとして機能しているのかもしれない」涼が少し興奮気味に言う。
「なんで里ちゃんしかアルファー波を出せないの?」郁恵が興味深そうに尋ねる。
「他にも出せる人はたくさんいると思う。アルファー波は、邪念を取り去って無心の状態にならないと出ないんだよ。里は六歳のときにアルファー波でリモコンカーを制御したことがあるんだ。念じるだけでリモコンカーが走ったりする様は、超能力っぽいよ。アルファー波は、あれこれいろいろと考えると出せないんだよ」涼が少し笑みを浮かべながら説明する。
「確かに、私なんか、いっつもいろいろ考えているかもしれない」郁恵が少し恥ずかしそうに言う。
「僕もそうなんだよね。里は、何も考えてない時間が多い気がするんだよ」涼が肩をすくめる。
「それって、バカみたいじゃん。私」里がむっとして怒る。
「いやいや、そうじゃないよ、無心の状態になれるということは素晴らしいことなんだよ」涼が慌ててフォローする。
「もしかして、悪霊の正体もこれじゃないの?」郁恵が急に真剣な表情で言う。
「うん、僕もそう思った。晋吾や郁恵が体験したことは、この病院内の時間が歪んで過去にもどされたのではないかと思う。つまり地震が来る前のこの病院で、二人の部屋で入院していた患者がいる部屋に行ったということかと」涼が語気を強めて答える。
「じゃあ、悪霊や幽霊じゃなくて、あれは、タイムマシンで過去に戻っただけということ?」郁恵が少し驚いた表情で言う。
「そうだと思う。そう考えると全てが説明がつく」涼が自信を持って答えた。
「でも、晋吾は、お祓いをしたら、悪霊が消えたよね」郁恵が疑問を投げかける。
「お祓いってなんだろうって考えて見たんだけど、晋吾の腕についていた星の刺青が気になっている。クィーンや博士に、何かされたんじゃないかなって思う」涼が考え込むように言った。
「わかった。じゃあ、明日、僕が二人をさぐってみるよ」涼が決意を込めた表情で締めくくった。
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