第2話
王家従属騎士セレヌス・ウティカは焦っていた。
彼女の主人が乗る馬車に追走する賊徒どもを、いつまで経っても追い払えないでいたからだ。
女性ながら、伊達に騎士、それも王家直属の従属騎士というエリートの肩書きを持っているわけではない。
その武勇は男性の騎士と比較してもなんら劣ることはなく、そこらの粗暴なだけの盗賊など、鎧袖一触にしてしまえるぐらいの確かな力量は持ち
合わせていた。
だが、いかんせん相手の数が多すぎた。
そして彼女が盗賊を斬り伏せようとすると、まるでこちらの動きに合わせるかのごとく、波を引くように後ろに下がり、その隙に他の者が主人の
馬車に飛び移らんとして、彼女が戦闘に集中出来ないよう着々と包囲網が敷かれつつあったのだ。
当初五十人を編成していた衛士隊も、盗賊の奇妙に統率のとれたしつこい攻撃に徐々に数を減らし、今や彼女を含めて五、六人程度を残すまでに
なっていた。
「ぐあっ!」
また一人、盗賊たちの攻撃の前に味方の衛士が落馬した。
後方で、賊に槍を突き立てられて断末魔を上げる姿が目に入る。
それでも彼女達は馬の足を止める訳にはいかない。
彼女と並走する馬車、王家の紋章が入ったその中には、彼女の主人であり、かのロイエンシュタール第一王女、プリシラ・ロイエンシュタールそ
の人が乗っているからだ。
たとえ彼女を含めた衛士たちの命すべてを引き換えにしても、主人に傷一つ付ける訳にはいかない。
忠節を尽くすべく盗賊たちの猛攻を身を削って退けていた。
――だが、やがてそれにも限界が訪れようとしていたのだ。
「がっ…………あっ…………! ふ、不覚!」
「くそっ…………もはやこれまでッ! ウティカ卿! 後はお頼み申した! どうか、姫さまを……ッ!」
深手を負った衛士達が、馬を翻して盗賊たちの戦列の中にその身を投げ出した。
恐らくその命と引き換えに、せめてもの時間稼ぎをしようというのだろう。
普段なら英雄的と賞賛に値する行動も、今この場においては焼け石に水でしかない。
もはや、追撃にすっかり勢いづいた盗賊たちをその程度で押し留めるには至らず、あっと言う間に人の波に飲まれた後、壮絶な断末魔と、馬蹄に
踏みくだかれる骨の音だけが彼女の耳に残った。
「糞っ!!」
貴族の子女らしからぬ乱暴な言葉遣いで、彼女は思わず悪態をついた。
状況が悪すぎる。
向こうはまだ多少の疲れが見えるとはいえ、まだ騎馬で追ってくるのが五十人以上はいるであろう。比べてこちらはもはや自分を含めて三人ほ
ど。それも、一人は彼女の主人であり、もう一人は御者をしているそのお付きの侍女。戦闘能力を有しているのは実質自分一人きりなのだ。
たった一人で、五十人からなる馬持ちの盗賊を撫で切りにせよとは、正直言って無茶が過ぎる注文である。
――――否、あるいは彼女と同じく従属騎士である、かの存在ならそれも可能であるかも知れない。
だが、彼女はあれを人の形をした化生か何かだと思っている。
彼女自身も、人並みの騎士よりは武威に自信があるとは言え、ごく常識的な範囲の力しか持ち合わせていない。自分には、その者のような真似は不可能であるという事は彼女はきちんと理解していた。
であるなら、取るべき行動は逃走一つなのだが、今はそれすら困難な状況に追いやられていた。
なにせ、一昼夜間しつこく追跡されながら馬を走らせ続けたのだ。もはや、彼女自身も馬も体力の限界が近い。
盗賊たちは、どこからかき集めたのか高価な馬を何頭も保持しており、馬が潰れるたびに並走させていたスペアの馬に乗り換えながら、延々と追
跡の速度を緩めずにここまで追いかけてきたのだ。
その驚くほどの資金力、そして組織力、厳重に護衛に護られた王家の紋章が入った馬車を、被害を恐れもせずに追いかけ回す執拗性。
見た目こそみすぼらしいが、彼の者たちはただの盗賊ではないのは明らかだろう。
第一、第二王子の差し金か?
それとも、その派閥に属する有力貴族の誰かか。はたまた、我が国の内部の乱れを喜ぶ他国の有力者の誰かかも知れない。
彼女の頭の中に、ぐるぐると疑念が駆け巡る。
だが、彼女はエリートといえども一介の武官に過ぎず、戦はともかく政治に関しての勘働きはからっきしであった。
彼女は、自らの思考の一切を愚考と切り捨て、今の現在の状況を切り抜ける事にだけ、最優先で全神経を傾けることに決めたのである。
そう、このままでは遠からず限界が訪れる。
だから、それに向けて少しでも敬愛する主人の命を永らえる方法を見つけなければ行けない。例え、この身を犠牲にしてでも。
彼女がそう、覚悟を決めている間にも、盗賊たちの先頭との距離は徐々に縮まりつつある。
やがて、彼の者たちの構える槍の穂先が、彼女の背中を捉えようとしたその瞬間――――
「御免!」
唐突に天から降り注いだ巨大な影が、彼女たちの合間を隔てるようにしてズシンと地響きを立てながら降り立った。
その突然の闖入者は、白銀の甲冑を着けた栗毛色の見事な軍馬を従えながら、その場に前足を大きく掲げさせて、ひひん、と高らかに馬をいなな
かせた。
それは正しく、子供の寝物語から飛び出して来たような『騎士』であった。
その白銀のプレートと蔦を象った金の意匠を散りばめられた鎧は、まさしく壮麗の一言。群青色の重厚な盾に描かれるのは、交わる二本の金叉の
槍と、向かい合う獅子とグリフォンを象ったレリーフ。そして、その間には神の権威を顕す白地に青十字の紋章。
背中には、王宮の近衛騎士団長ですらつけることを許されない、王権の真紅に金糸を縫い付けた見事なマント。
その全てが、貴族が相応の財を投げうって作ったような逸品であり、また、それを身に着けた者から感じる底知れぬ迫力が、その装備はただの"伊
達"ではないという事を如実に表していた。
「そこの貴君」
「な、なんだろうか……?」
突然の闖入者は、彼女の1.5倍はありそうな巨大な体躯に似合わず、意外と精悍な声でそう呼びかけた。
「先程から見ていたのだが……君たちはここにいる彼らに襲われて、殺されそうになっている。これに間違いはないか?」
すると、その白銀の鎧の男は、盗賊たちの姿をちらりと一瞥しながら、そんなとぼけた事を言い始めたのだ。
「…………あ、当たり前だッ! 何を分かりきった事をッ!」
彼女は、内心の苛立ちを抑え切れずに、思わず声を荒げながらそう言った。
「うむ、ならば彼らは犯罪者……盗賊か?」
「何を戯けた事を!他にどう見えるというのだ! 彼奴らは賊だ! それも、畏れ多くも我らが主ロイエンシュタール王家に弓引く大逆賊である!」
彼女がそう吐き捨てると、鎧の男は、「なるほど。そういう世界か……」などと一人で呟きながら、背中からスラリと分厚い鉄板のような長剣を
抜き放ち、ブン、と轟音を立ててその場に空斬った。
「ならば、助太刀しよう。君は、その馬車の中にいる人たちを連れて早くこの場を離れなさい。……殿は私が引き受けよう」
「…………正気か? この人数差だぞ。それに、奴らはただの盗賊じゃない。それに扮した正規軍である可能性もある。それを一人でなどと……命が
惜しくはないのか?」
怪訝な顔をする彼女に、男は動揺の一つも見せずに応えた。
「私の生死は君の任務の遂行には何ら関係は無い筈だ。君の目的は、大事な人を安全な場所に送り届ける事であって、行きずりの騎士の命を慮る事
ではない。違うかね」
「…………!?」
「行きなさい。私のことは気にしないで良い。それに、何、腕っ節になら自信がある。案外何とかなってしまうかもしれないぞ」
男がそう二の腕を叩きながらおどけたようにそう言うと、彼女は少しの間瞑目した後、決意を秘めた表情で顔を上げて大きく頷いた。
「…………すまない。恩に着る! 私の名はセレヌス・ウティカ。同胞からは"忠実の騎士セレナ"と呼ばれている。最期に、そう、貴殿の名をお聞か
せ願いたい」
「…………………………名か」
そう言うと男は、何でもない質問に深く悩む素振りを見せた後、男は重苦しい口をやっとの事で開いた。
「…………"ソロン"だ。私の名は、ソロン。そう呼んで欲しい」
「…………? 分かった。ではこれから、貴殿のことは"義侠の騎士ソロン"と呼ばせて、今日のことは本国で語らせて貰おう。…………願わくば、後
から来て我らに合流して来られよ。姫さまからの感謝のお言葉もあろう。さらばだ、ソロン殿」
彼女はそう言うと、馬を翻して東の方角へと真っ直ぐ走り出した。その後に続くように、金箔で豪華に飾られた馬車が続いて行く。
男は、それを後ろ目に見送った後、目の前に対峙する盗賊たちに向き合った。
「盗賊と言っても意外と紳士的だと見える。まさか私たちの会話が終わって、見送りまで待ってくれるとは」
「……へっ、冗談を言うな。さっきの会話中、一歩でも踏み込めば、その"だんびら"で
れでも危険な匂いには敏感な方でな」
盗賊の先頭に立った男がなんでもない事のようにそう言うと、鎧の男は目を見張りながら舌を巻いた。
「驚いた。私の気配まで読めているとは貴公、相当やるようだ。彼女は、貴公らの事をただの盗賊ではないと言っていたが、どうやら本当のようだ
な。さぞや名のある人なのだろう。貴公の名前を是非聞かせて欲しい」
「それは言えねえ。俺の主人に迷惑が掛かる。飼い犬の辛いところでな。主に忠誠を誓うにあたって、汚い仕事する時は名前も身分も捨てなきゃな
らねえんだよ」
身なりの汚い男はそう言うと、腰元からショートソードを二本抜き放って前に構えた。
「私は誰にも言わないと約束する。私は、政治には興味がない。仮に知ったとしても、先の彼女たちにも誰にも言わずに、墓の中までしまっていく
事を誓おう。貴公ほどの使い手が、名も無きただの盗人としてここに朽ちるのは、物寂しい物がある。せめて私が覚えておこう」
私がそう言うと、盗賊の身なりの男は、顔を抱えて大笑いしながらこう言った。
「いひひひひ! あんた最高だな! 人のことさんざん強い強いと煽てておきながら、自分が殺される事は全く考えてないんだな!」
「――ああ、そればかりはあり得ない。貴公が、私に勝てる可能性は万に一つもないだろう。貴公ほどの者なら、もうとっくに理解していることだ
ろう」
鎧の男が悪びれもせずにそう言うと、先程まで笑っていた盗賊の身なりの男が、ピタリと馬鹿笑いをやめ、額を抑えて天を仰ぎながら魂が抜け出
るような大きなため息をついた。
「…………そうよなぁ。ここは怒るところなんだろうが、その通り過ぎて言い返す気も起きねえよ。あのお嬢ちゃんは未熟故に泣きそうな目であん
たを見てたが、本当に泣きたいのは任務達成間近にこんな化け物に横槍入れられたこっちの方だっての」
「それでもここ引くことは出来んか。平時になら、貴公とは武について語り合い、友誼を深めることもあったであろうに、残念だ」
「なに、それも世知辛い渡世での話だ。死んじまったら互いに立場も身分もクソもねえ。その時はあの世で旨い蜂蜜酒でも奢ってくれや。
………………さて、名前だったな」
男はそう言うと、へらっとしただらしのない顔から、急にきりりと引き締まった顔に代わり、胸元に剣を掲げそれを天高く付きだした。
「貴様ら!剣を高く掲げよッ!!」
「「「応!!」」」
その号令と同時に、盗賊たちが一糸乱れず綺麗に整列して、その剣をピタリと胸に手を当てて騎士の礼を施した。
「我ら、"宮廷剣舞雑技団"改め、『闇霊騎士団』!王権を影から支える者なり!」
「「「賞賛を浴びず!恩賞を求めず!ただ忠義を持って王家に影から尽くす者なり!」」」
「それこそが我らが歓び!我らが誇り!」
先頭の男はそう言うと、掲げた剣を下ろし、腰を低くしながら剣を構えた。
「俺がロイエンシュタール王家直属暗殺部隊、『闇霊の騎士団』団長、"薄霊のボッツ"だ。流浪の騎士ソロン殿、いざ尋常に勝負めされよ。……と
は言え、こちらは全員で掛からしてもらうがな」
「構わんよ。ただ、こちらも武器を持った多人数の使い手相手に殺す以外の無力化の方法は知らん。……真にすまんが、生きて帰るのは諦めてもら
おう」
鎧の男はそう言うと、自信の身長ほどもある分厚い長剣を、ブン、と振り回して体中を気力に漲らせた。
その瞬間、ブワッと、まるで空間が歪んだかのような錯覚をするほどの闘気が、男の体から溢れ出した。ボッツは、余りのその迫力に気圧されて
思わず顔が引き攣らせるが、それを押し潰すように無理やり唇を噛み締めて、口元を歪めて笑顔を作った。
「半っ…………端ねえな本気で…………! だが、勝つのは俺らだ! 王宮裏暗剣闘舞、薄霊のボッツ参る!」
「無刀流、ただのソロンだ。…………来い!」
――その瞬間、剣戟とともに彼らの間に火花が弾けた。
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