くちあにさま

nanashi

くちあにさま

 彼女は美しかった。

 長く潤む黒髪。ふっくらと柔らかそうな赤い唇。切れ長の目を覆うように掛けられた黒い縁のメガネが、彼女の知性を物語っているように見えた。頬を微かに染める朱色は、化粧やよく効いた暖房とは関係ないのだろう。

 白く細くしなやかな指が、魅惑的な膨らみを辿り、窮屈そうなコートの胸ポケットから手帳とペンを引き抜いた。


 「ねぇ……」


 この距離なら、口で伝えればそれで事足りるだろうに、わざわざ手帳に書き記さないとならないということは何か、その言葉に、特別な意味があるのだろうか。

 手帳に書き記した文字を、彼女はそっと指さす。


 「『呪』って漢字、『口兄くちあに』とも読めない?」

 

 彼女は頭がおかしかった。


 都心のおしゃれなカフェに行かないか?とラインでお誘いを受けたのは昨日の事。その直後は(うおおお大勝利これで俺も魔法使い予備軍非モテクソナード卒業か?私のたったひとつの望み 可能性の獣 希望の象徴 父さん 母さん ごめん俺は行くよッ!!)と浮かれる余り心の中のユニコーンの角をガッチガチにし、家に飾ってあるRGユニコーンガンダムの関節をうっかりベッキベキにしたりもしたのだが、実際にはこれである。


 偉大なる聖夜前日にする話が呪い、しかも腐女子の検索避け記法みたいな与太話。こちらとしては脳味噌に何か深刻な呪詛を受けたんですか?と訝しまざるを得ない。


 尚、彼女にうっかり『ソッチ』の話を振ると、彼女謹製「親友にmy assをなんやかんやされる10000字越えの大作SS」を叩き付けられた過去トラウマをほじくり返されるため今思った事は厳重に秘する事とする。できればぼくのおしりのあなもほじくりかえさないでいただけるとたすかります。

 

 彼女の頭と俺のケツ、ついでに申し訳程度に親友殿のユニコーンの角を心配しながら溜息一つ。


 「読みませんよ、というか『口兄くちあに』ってなんなんですか」


 「え~こう、目玉おやじの口verみたいな感じで、決め台詞は『全力でお兄ちゃんを遂行する!』っていう風に」


 「気持ち悪ィなオイ!」


 脳裏に口から手足生やしてとっとこ走り回るバケモンが脳裏に過ぎる。しかも決め台詞的にそのバケモン赤血操術せっけつそうじゅつ使えるじゃねえか!大分嫌だぞ、歯と歯の間で血液圧縮して拡張術式『超新星』ぶっ放してくるバケモン。汚らわしい。

 脹相ちょうそうニキに謝って欲しい、分類的にはどっちかっていうとさざなみ 宗也そうやだぞ、そのお兄ちゃんを名乗る怪物。

 

 「いいじゃない、多少気持ち悪い方が呪いらしいでしょ。『口兄くちあに』さまよ、『口兄くちあに』さま」 


 ちなみに彼女の手帳に『口兄くちあに』さまのイメージ図が描かれていたが、彼女の、その、キュビズム的な芸術センスによって、端的に言うと俺の想像よりだいぶ悍ましいことになっていた。……どうやら彼女は『穿血せんけつ』派らしい。


 「図にされるとマジでキモいな……キモ……」

 

 「ひどいこと言うお兄ちゃんでちゅね〜」


 「羂索けんじゃく目線で話してます?」


 まぁアイツなら推定:呪胎九相図の『口兄くちあに』さまを慈しむような発言はしないだろうが……


 「はぁ……分かったわ、じゃアプローチを変えて『ロ兄ろあに』にしましょ、ロシア系の兄で白髪碧眼の大男で弟に歪んだ愛情を……」


 「さざなみ 宗也そうやじゃねえか!」

 

 「『愛ほど歪んだ呪いはないよ』ってね」


 「やかましわ」


 ちなみに創作物におけるロシア人といえば何をおいても糸の如き銀髪のイメージが強いが、ロシア人属する東スラヴ民族に素で銀髪を持っている人はごく少数だ。つかほぼいないらしい。


 なんなんだろうねあの傾向。やはり時代は銀髪ヒロインを求めているのか……つまりカグラバチの正ヒロインは偏にさざなみ 伯理はくりに他ならないということ。ハクリかわいいよハクリ、ずっと鼻血出しててほしい。ハクリィ!!


 それはそれとして我が妹君は俺のジャンプラの画面を覗き込みながら「……分かる。」って呟くのやめてくれませんかね。

 ハクリへの拷問が苛烈化するにつれて妹の小さな手の内でグニョグニョに変形するぬいには言葉にしがたい根元的な恐怖があった。


 「じゃ、こう。」

 

 続けて『□兄』と彼女の手帳に記される。


 「おっいいじゃないですか、ホラーっぽいホラー……」


 呟くも束の間、□の上にルビが振られる。


 『カミノあに


 「フフン」


 「フフン、じゃないですよもう意味判んないでしょこれ」


 「弟の頭を撫でても両の手が空になる。心肺に負担をかけること無く弟に褒め言葉を際限無く注ぐ。

 腕と口が常人の倍あるということはお兄ちゃんにとってこれ以上ない優位性となり、加えて宿儺はこれだけの異形の肉体を持ちながら一切の身体機能を損なっていない――」


 「口塞ぎ合わせますよ」


 「口は二つある」


 「マジでうるさいなこの人!」


 頭痛がしてくる。

 誰かこの妖怪週刊少年ジャンプ狂いを止めてくれ、おまえが一番の呪いナンバー1だ。


 「……やっぱり君は面白いねぇ。そういう反応がやけにいい所、私嫌いじゃないよ?」


 「なッ……!?」


 この人は本当にこうやって突然ぶっこんでくるのが良くない。 

 思い出したように早鐘を撃ち始める心臓を他所に、彼女は立ち上がる。


 「フフフ……やっぱり退屈させない。御馳走様、また会おう」


 そうして彼女は、颯爽とカフェから去った。


 ……本当に。あの人だけは、良く分からん。

 いやけどこれあれだな。叩けば音が出るおもちゃ扱いされてるだけだな、宿儺が名前呼んでくるのとほぼ同等だろこれ。

 ……それに。


 「伝票置いていきやがった……」


 俺八五〇円、彼女五〇〇円、占めて一三五〇円也。

 少し控えめにしてるのが奢られる前提みたいでなおのこと腹立つな……

 月末の軽い財布には手痛い出費だった。


   ◆


 翌日。

 来たる12月25日、場所は呪いの坩堝、新宿。


 「クッソ……もう完全にとしか見えねぇ……」


 これも一種の呪いと呼んで差し支えないだろう。

 俺は書店で本日発売の呪術廻戦JC29・30巻を見て、頭を抱えたのだった。

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