第2話 我は人間になる

 われは魔王を引退した。

 煩わしい支配者の仕事とはおさらばである。

 今日から人間になろう。


 パチンと指を鳴らすと、頭にあった二本の角が消えた。変身の魔法を使えば人間になることなど容易いのだ。

 とはいえ、見た目はそんなに変わっていない。

 身長は百八十センチ中盤くらいだろうか。黒髪の美しいロン毛に目鼻立ちの整った顔。

 そして、細マッチョな肉体だ。

 前世のボッチだった頃とは打って変わって美男子といってもいいだろう。

 パリコレにも出れそうなくらいの美貌だよ。

 強さも見た目も最強……。それがわれなのだ。


「ああ、バタケウス様のご立派な角が……」


 と、魔王を就任したばかりの元秘書のレイワーノンが泣きそうな顔を見せる。


「そんな顔はするな。今日からおまえが魔王なのだぞ」

「はい……。ですが、やはり寂しいです」


 まぁ、われも寂しくないといえば嘘になるのだがな。

 今はそんなことより、魔王の仕事から解放された喜びの方が強い。

 これからは農業にいそしみ、ゆっくりとスローライフを過ごすのだ。

 

 あ、そうそう。

 農業といえばこれだよな。

 

 われ異空間収納箱アイテムボックスから麦わら帽子を取り出して被った。

 長髪の美男子に麦わら帽子。なかなか奇抜な組み合わせだが、農作業時の日除け対策にはこれが一番なのだ。麦わら帽子を被った時点で海賊王を目指しそうになるのだがな。われは違う。


「農業王にわれはなる! ありったけの力で!」

「………なんですかそれ?」

「ああ、意味わからんよな。無視してくれ」


 盛大にすべった。

 ついつい、やってしまう前世ギャグ。もちろん、部下で突っ込む者など誰もいない。あの漫画……もう完結しているだろうか?


「し、しかし……。本当に農業をやられるのですね……」

「そう悲観するな。魔王はおまえの夢だったじゃないか」

「うう……。だって……バタケウス様に会えないじゃないですか」

「バカだな。今生の別れじゃないんだ。いつだって会えるさ」

「そ、そうですよね……。えへへ」

「部下には旅に出たと伝えといてくれ」

「秘密にされるのですか?」

「居場所を教えたら来るかもしれないしな。ひっそりと隠居したいのさ」


 この人間になった姿を知っているのはレイワーノンだけなのさ。


 われは魔王城のバルコニーに立った。

 空中に地図を浮かび上がらせる。

 目的地は、ここから南西に位置するアタタカ村。芯まで甘いキャベツを作った凄腕の生産者がいる場所である。


「じゃあ、達者でな」


  飛行フリーゲンの魔法を使えば簡単に空を飛ぶことができる。


「バタケウス様もお体にはお気をつけください。お元気でーー!」


 われの飛行速度は速い。

 一瞬にして魔王城から遠ざかった。


 しばらく飛行すると、目的地に到着する。

 アタタカ村は最近、人間の領土から奪いとった東方魔族が管理する土地だ。

 住民は百人程度。人が少なくてのどかな村だ。

 まぁ、魔族が管理するといっても、世紀末アニメのようにヒャハー的な支配ではない。適度な年貢と税金を納めてもらい、平和的な関係を維持している。魔族に反抗さえしなければ、平穏無事なのが支配者にとってはもっとも好都合なのである。


 われの住居はアタタカ村の外れに造ることにした。

 そこは寂れた森。木々がうっそうと茂っており日中でも薄暗く、モンスターが出るので人間が寄りつかない場所だった。

 ここは東方魔王の占領区。まぁ、要するに魔族の土地だな。

 適当に理由をつけて、人間になったわれの所有地としておけばいいだろう。


 外周は一キロちょっと。

 東京ドームを大きくしたくらいの広さかな。


「野菜を作るにも、まずは生活拠点が必要だろう」


 まずは木を切って開墾する。

 軽く手を払うだけ。


「よっと」


ズババババババババババッ!


 一瞬にして百本以上の木が切れる。

 

「木材は積み上げて色々な用途に使おうか」


 綺麗な木材だな……。

 たしか魔龍杉だ。

 杉のいい香りと丈夫な強度で、建築資材としては人気のある木材だよ。

 これは売ってもいいかもしれないな。

 異空間収納箱アイテムボックスに収納しておこう。


 所持金はゼロスタートにしている。

 こういう物資を売って資金を調達するのが面白いんだ。


 切り株も引っこ抜いて開墾してやろう。


「ほいっと」


ズボボボボボボボボボボッ!


 片手を上げるだけで切り株が抜けまくる。

 

「とりあえず100平方メートルくらいを平らにしてやった」


 この辺を住居にしようか。

 庭と小さな畑くらいなら作れるだろう。

 そうなると、次は寝床だな。


「家は木で作ろう」


 さっき切った森の木を使えばいい。


 異空間収納箱アイテムボックスから必要な木材を取り出す。

 ひょいひょいと手を動かすと、それに連動してたくさんの木が宙に浮いた。


「いらない枝は切ってやろう」


ズバッ! ズバッ!


 木々同士をはめる溝を作ってやって、互いの木々をパズルみたいにくっつければ釘はいらないんだ。

 そうやって家を建てた。


「うむ。簡単な家は作れたな」


 これなら雨風は凌げるだろう。


 しかし、ドアと窓がない。


「うーーむ。扉が難しいな……」


 扉を作る場合、開閉部分は蝶番がいるんだ。

 この細工はできない。

 横にスライドする扉でもいいのだが、このスライドさせるのも難しいんだ。

 細かい作業は苦手だな。


 次に窓だ。

 ガラスがない……。


 よって、入り口と窓は空いたままになった。


 最強のわれでも課題は多そうだな。


 次は水の確保にするか。

 

 川は歩いて二十分くらいの場所にある。

 溝を作って川をここまで引いてくるのも面白いがな……。


 われは地面に向かって手をかざした。


「ふむ……」


 水の音が聞こえる……。

 百メートル先に地下水脈があるな。

 ならば、このまま井戸を掘ればいいか。

 あまり深く掘ると水が溢れてしまうからな。

 五十メートルくらいでいいだろう。


「ふん!」


 手に念を込めるとエネルギー波が発生。

 それは地面を貫いて深い井戸を掘った。


「ふむ……」


 ジワジワと水が出ている。

 飲み水は問題なさそうだが、いかんせん造りが荒いな。

 泥や砂利が溜まっているので飲むには濾過が必要だ。


 家にしろ井戸にしろ、丁寧に造るには職人の腕が必要になるな……。

 元部下に頼めば、こんなことは造作もないことだがな。

 それでは人間になった旨みがない。

 こういうところを工夫してこそのスローライフではなかろうか。


「火も必要だな」


 土魔法を使う。

 土壌を腰の高さまで隆起させて釜戸を作った。


「これでよし」

 

 家の中に台所はないからな。

 自炊は全部、外でやるんだ。


「さっき、切った枝を薪にすれば火は確保できる……あ!」


 しまった……鍋がない。

 生活を一から始めるって色々と必要なものがあるんだな……。


 われは棒読みであたふたした。


「あーー、しまったーー。鍋がなくてはお湯が沸かせないぞーー。料理もできなじゃないかーー」


 ふむ。

 これぞ人間。


 まぁ別に、お湯くらいは簡単にできるんだがな。

 水を宙に浮かせたまま火の魔法で熱したらいいだけなのだ。

 しかし、それでは人間になった意味がないだろう。


「ふふふ。面白いじゃないか」


 不便最高。

 百年振りの人間の生活。楽しくなってきたぞ。


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