引退魔王のスーパーマーケット〜我に逆らう愚かな者どもよ。貴様らに極上の野菜を提供してくれよう〜

神伊 咲児

第1話 我は引退する



「なにこれ……。甘ぁ……」




 それはキャベツの芯だった。

 

 魔王に転生して初めての感動である。


 われの目からは涙が一つ、頬を伝ってこぼれ落ちた。

 それを見た周囲の部下たちは混乱する。


「ま、魔王様。どうされたのですか!?」

「まさか、その野菜に毒が!?」

「魔王様。しっかりしてください!」

「この野菜を調理した者をひっ捕えよ!!」


 魔王になって百年。

 一度だって涙なんか見せたことがなかったらからな。

 そりゃ、部下たちが取り乱すのも理解できる。

 このままいけば料理人が殺されちゃうよ。


「皆の者、落ち着け。われに毒は効かぬ」


 みんなは、そうですよねーー、という空気で安心した。

 秘書の魔法剣士レイワーノンが不思議そうに俺を見つめる。

 彼女は巨乳の美少女魔族だ。少々、気は強いが、見た目はアイドル級に可愛い。

 露出度の高い装備だが、もう見慣れたのでなんとも思わないな。


「東方魔王バタケウス様ともあろうお方が、涙を出されるなんて初めてのことです。あなた様は不死身で最強。たとえ、勇者に体を切り刻まれても、究極の魔法で魂を焼き尽くされても、眉一つ曇らせたことはありませんでした」


 そうなんだよなーー。

 われってば最強だから、無敵なんだよね。


 われが人間だった時の名前は相沢 稲斗。

 二十歳の大学生だった。

 友達を作らないボッチで、いつも図書館と本屋がわれの居場所だったな。

 特に人生が楽しいわけでもなく。コンビニのバイトをやりながら、ただ漫然と生きていたっけ。

 唯一の楽しみといえば新刊のラノベを読むことだろうか。

 あれは新刊のラノベを買いに書店に向かった時だったな……。

 たしか、2019年だったと思う。ちょうど、平成から次の年号に変わる頃。

 バイトが終わって本屋に行こうとしていた時だ。

 目の前にいた婆さんの手提げ鞄が、スクーターに乗った男に引ったくられたんだ。

 婆さんは叫ぶ。


「ああ、誰かぁ!」


 別にさ。

 婆さんのことなんかどうでも良かったんだけどな。

 赤の他人だしな。

 でも、鞄を引ったくられる前にさ。

 孫におもちゃを買ってやるために銀行からお金を下ろした、って携帯電話で嬉しそうに話しているのを聞いたんだ。

 だから、あの鞄を取られたってことは孫のおもちゃが買えなくなるのかな? って。

 いや、また金を下ろせばいいじゃん、って話なんだけどさ。

 咄嗟の出来事だったからな。体が動いたんだ。

 正確にいえば、婆さんを助けることより引ったくりの犯人に腹が立ったのかもしれないな。別に正義感とかじゃなくてさ。人の物を盗んで稼いでるのに腹が立ったんだよ。こっちはバイトで稼いでんのにって……。

 気がつけば、われは引ったくりの運転するスクーターのバックにしがみ付いていた。


「鞄、返せ!!」


 いやぁ……。

 われの人生でも一番ドラマチックなシーンだったんじゃないかな?

 喧嘩なんて一度もやったことがないからね。

 まして、誰かのために体を張るなんてさ。ボッチの身としてはとんでもないイベントでしたよ。

 スクーターはグラグラ。犯人は「放せクソが!」って焦りまくり。

 んで、そのスクーターはわれの重さでバランスを崩してさ。

 そのままガードレールに衝突。われと犯人は深い川の中に落ちてしまったというわけだ。

 水没した時に大量の水を飲んだんだろうな。もう意識は朦朧としていたよ。

 犯人も同じだったと思う。まぁ、二人揃って溺死だな。

 犯人を道連れにできたので、良しとしておこう。

 

 で、気がついたらこの世界に転生していたというわけだ。

 魔王と勇者がいるこの異世界に。

 しかも、ステータスとかレベルも存在してしまう。

 本当にラノベの転生ものだよね。


 われは東方魔王バタケウスの体になっていた。

 目覚めたのは棺の中。

 われは一万人の魔族を束ねる東の魔王になっていたのだ。

 一度、勇者に倒されたらしく、千年くらい封印されていたらしい。

 どこで魂が入れ替わったのかはわからないが、とにかく、われは魔王になっていた。


 この時から一人称が「俺」から「われ」に変わったんだ。

 前世の記憶しかないけれど、なんとなく魔王っぽく振る舞っていたら定着してしまったよ。

 まぁ、転生して百年だからね。

 われわれ、って言ってたら、そりゃ根付くよね。って話。


 百年はあっという間だったな。

 

 もう最強でさ。

 敵無し。

 転生してから一度も負けたことなんかない。

 病気知らずで、毒も呪いも効かない屈強な肉体。

 全属性の魔法が使えるチートステータス。

 レベルはカンストの999。

 ラノベの最強モノを地でいくタイプのやつだったよ。

 最強の勇者でもわれに勝てないでやんの。

 ハッキリ言って無双状態だったね。


 女にも不自由しなかったな。

 東方魔王城には美人、美少女の魔族が山ほどいる。

 毎晩、とっかえ引っ換えさ。


 転生したら悠々自適。

 ……だと思ったんだけどさ。


 いささか食傷気味。

 はっきりいえば飽きた……。いや、疲れた、といった方が正確か。

 魔王になって百年。

 転生してから、初めの二十年くらいは面白かったけどさ。

 無双が続いて飽きたから、自軍の発展を目標にすることにしたんだよな。

 そしたら……。


 われは机に乗っかった書類の山を見て「はぁ……」とため息をついた。


 向こう側が見えないほどの書類の山。



「なんだこの業務の多さは……」

 


 この世界には五つの大陸がある。

 東西南北には、四人の魔王がいて、それぞれが大陸を支配していた。

 そして、四つの大陸の真ん中に位置するのが、大勢の勇者が暮らす人間の大陸だ。

 この五つの勢力が『力の均衡』となって世界の秩序を保っているらしい。

 だから、勇者が魔王を封印しても、その方角の領土が支配されることはないのだ。

 

 しかし、これが厄介な仕組みで。

 われは無敵の魔王なのだが、他の領土を支配することができないのだ。

 『力の均衡』が崩れた時、世界は崩壊するらしい。

 これは予言書に記された事実だ。

 この世界に存在する者たちは、創造神アーゼウスが書いたとされる予言書を信じていた。

 本能的に理解しているといってもいいだろう。

 だから、大規模な戦争などは起こるはずもなく。国境付近で領土の取り合いが発生する、小さないざこざが永遠に続いているのだ。

 これが本当に面倒くさい。

 

 日夜、われの机には書類が山のように積まれている。

 武器の配給。部下の手配。作戦の指揮……。

 労働時間は毎日十時間以上はあるだろうか?

 当然、休みなんかないわけで。

 権力の行使で、美味い物を食べれたり、女を抱いたりは自由なんだがな……。

 たとえ最強の肉体で、病気にならないとはいえ、疲れるのが当然だろう。


 気がつけば八十年。

 こんな毎日が続いている。


 これがわれの求めていた人生なのだろうか?

 

 ラノベの最強ものってこんなだった?


 ……そういえばラノベには他のジャンルもあったような。

 たしか、スローライフ。

 自然の中でゆっくり生活する、そんなラノベ。

 前世は学生だったしなぁ。

 あんまり、農業には興味がなかったんだ。


 だが……。

 今ならわかる。スローライフの尊さが。


 だって、百年も働き詰めだったもん。

 

 ゆっくりしたい……。

 大自然に囲まれて、畑を耕したりさ……。


 そんな時に食べたのがこのキャベツだった。


 われは、このキャベツの甘さに涙を流す。


 野菜を食べて、甘い、なんて感じたことは初めてのことだ。


「レイワーノン。この野菜はどこから仕入れた?」

「最近占領した人間の領土からですね」

「人間が作ったのか……」

「土壌がいいのでしょうか? お気に召されたのならば大量に作らせましょうか?」

「いや……いい」


 これだ……。

 われが求めていたものはこれなんだ。

 魔王に転生して百年。

 安住の地はここにある。


「レイワーノン」

「はい?」

われは魔王を引退する」

「………………………………え?」


 うむ。

 このキャベツを作った者に会いたい。

 畑なんか一度も耕したことがないからな。

 農業を教えてもらうなら、このキャベツの生産者が適任だろう。

 

「あ、あ、あの、ま、ま、魔王様? い、今、なんと!?」

「ん? 引退するんだ」

「え? いや、あの……。ご、ご冗談はおやめ下さい」

「いや、冗談なんかじゃない。われは人間になろうと思う」

「はいーーーー!?」

「こんなキャベツを作りたいんだ」

「いやいやいやいやーーーー!」

「安心しろ。われが作った物はこの城にも届けてやる」

「そんな心配をしているのではありません! 東方魔王はバタケウス様しかおられないのですよ!」


 われはふと前世のことを思い返していた。


「時代は変わるよ」


 あの時は平成の終わりで、次の年号がなにに変わるか話題だったな。

 平成の次の年号ってどんな名前になったのだろう?


「ま、魔王様の時代は永遠でございます!」

「ハハハ。そんなの古いってば。そういえば、おまえはわれを何回も闇討ちしていたな。次期魔王になるのが目的だったんだろ?」

「そ、それは……。昔の話です。今はその……」


 と、彼女は全身を赤らめる。

 クネクネと体をもじらせた。


「もう闇討ちなんてしません。バタケウス様とはベッドの中で何度も甘い時間を過ごしましたから……。私はバタケウス様に生涯を捧げる忠実な下僕なのでございます」

「よし。おまえを新しい魔王に認定してやろう」

「え……?」

「おまえは今日から東方魔王だ!」

「えええええええええええええええええええええ!?」


 これは面白くなってきたぞ。

 平成から新しい時代に生まれ変わるように。

 われも新しい人生を歩むのだ。


「頼んだぞ。レイワーノン」 

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