高慢な王族なんてごめんです! 自分の道は自分で切り開きますからお気遣いなく。

@hiragi0331

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「婚約でしたら、一週間程前にそちらの有責で破棄されている筈ですが……」

 困惑した表情でそう答えたのは、公爵令嬢ヴィクトワール・シエル。そして、数秒前に「お前とは婚約破棄し、新たにエミリ・モントートと婚約する!」と此処シレンス国の第一王子であるアルベール・コルニアックに宣言されたばかりである。

「今更この場でわざわざ宣言なさらなくても良かったのに……」

「わ、私は聞いていないぞ!?」

 先程の威勢はどこへやら。思いっきりうろたえているアルベールに、ヴィクトワールはそっと溜息を吐く。

「聞いていないのも当然です。貴方は話し合いの場にいらっしゃらなかったのですから」

 何度も何度も言いましたし、お手紙でも念を押しました、さらに陛下からも話し合いに来るようにとの手紙が何通も届いている筈です、と付け加えれば、その顔は真っ青になった。陛下からの手紙を無視するなど王命に反するも同然なのに命知らずなことだわ、例え実子であったとしても、とヴィクトワールは思いながら目を伏せてみせる。

「ほ、本人……私の承諾を得ていないではないか!?」

「得ておりますよ。書類にサインもいただきました」

 きっぱりと返せば、アルベールは「覚えがないぞ……」などと呟いてうろうろと視線を彷徨わせていたが、やがて「あっ!」と声をあげた。

「まさか、あの時の……!?」

「ええ、その通りです。そのご様子ですと、よく読まれなかったのですね。常日頃からサインをする時は書類の内容をよく確認するように、と申し上げておりましたのに」

 これだから『字は苦手だ』を言い訳にしたツケを払うことになるのですよ、とヴィクトワールは内心で思った。

「改めて申し上げますが、王家と我がシエル家のサイン、そして殿下と私のサインがされた時点で、婚約破棄は成立しております。なのでどうぞ、殿下は『真実の愛』を貫いてくださいな」

「そ、そうか。エミリ、私と生涯を共にしてくれるかい?」

「アルベール様……!」

 感極まったように青い瞳を潤ませるエミリに、アルベールの頬は赤く染まった。まるで三文芝居のような光景に少しだけ肩を竦め、ヴィクトワールは口を開く。

「そしてほんの数秒前に申し上げましたが、『殿下の有責』にて破棄されました。よって、シエル家に慰謝料の支払いをお願いいたしますね」

「な、何故私が」

「私という婚約者がありながら他の女生徒と恋仲になるのは『浮気』というのですよ。その旨も書類に書いてあります」

 何を当たり前のことを、とヴィクトワールはやれやれと首を振ってみせた。アルベールは悔しそうに呻き、睨みつけながら叫ぶ。

「い、いいだろう、浅ましい女め! 慰謝料などすぐに」

「ああ、国費からの支払いは出来ませんよ。支払いはあくまでも『アルベール殿下個人』でお願いいたします」

 読んでいらっしゃらないようですので付け加えさせていただきますが、と言えば、アルベールの顔は見る見る内に真っ青になった。

「ど、どう支払えと」

「そのくらいご自身でお考えくださいませ。学生として扱われるのは今日が最後ですよ?」

 暗に「大人になるんだから自分で何とかしろ」と言われ、アルベールは愕然とした。反射的に肩を抱いたエミリを見れば。

「えー? アルベール様、借金持ちになるんですかぁ? あり得ないんですけどぉ」

 先程とはうってかわって心底軽蔑した目を向けるエミリに、ざあっと血の気が引いた。

「さよなら、コルニアック殿下」

 あっさりとそう言い捨てたエミリはカーテシーをして、足早にその場を去っていく。アルベールはその背中に手を伸ばしたが、エミリは一度も振り向くことはなかった。

 それを見送り、ヴィクトワールも「失礼いたします」とカーテシーをしてアルベールに背を向ける。そして同じように立ち去ろうとしたところで。

「お待ちください、ヴィクトワール嬢」

 呼び止められ、足を止める。見れば、マレ国からの留学生であるルーク・アトキンが柔らかく微笑んでいた。彼の身分は第一王子であり、王太子。紺色の髪に、海のような深い青色の瞳もまた、優しい光を湛えている。

「婚約を破棄されたのでしたら……私と婚約をしていただけませんか?」

 一瞬言われた意味が出来なくて、ぎしり、と固まってしまう。会場は一瞬の沈黙の後、ざわり、と騒めいた。

 それが目にも耳にも入っていないのか、ルークはさらに言葉を続ける。

「いかなる時でも動じることのない凛とした貴方の姿を、ずっと見ていました。ヴィクトワール嬢……貴方を心からお慕いしております」

 ルークはその場に跪き、ヴィクトワールの手を取ろうとした。

 が、その寸前でヴィクトワールは手を静かに引っ込める。

「謹んでお断りさせていただきます」

 ルークの目が、大きく見開かれた。それにヴィクトワールは、ふっ、と鼻で笑ってみせる。

「『断られるとは思っていなかった』と言いたげなお顔ですね。アトキン様とは交流など何一つ無かったではありませんか。そのようなお方から婚約を申し込まれても、迷惑なだけですわ」

「そ、それはこれから……」

「私は今更アトキン様と交流を深めるつもりは一切ありません。それに私に好意をお持ちなのでしたら、これまでに何故少しでも交流を持とうとされなかったのですか?」

 婚約者がいる、という前提であったとしても節度のある交流をすることは可能だった筈。それに話したこともない相手からいきなり婚約を申し込まれたら、普通に気持ち悪いし怖い。

「ほんっとうに」

 ヴィクトワールは冷たい視線で、未だ跪いたままのルークを見下ろした。

「『私に婚約を申し込まれるなんて嬉しいだろう。光栄に思え』と言いたげな態度、腹ただしいにも程がありますわ。結ばされたが最後、体の良い操り人形として扱われる未来が見えるようです」

「そのようなことはしない!!」

 悲鳴にも似たルークの言葉に、信用できませんね、とヴィクトワールは目を狭めてみせる。

「とにかくお断りします。このような場でいきなり求婚するなんて非常識にも程がありますわ。このようなことで声をかけられるくらいなら、蛙に睨まれた方が遥かにマシです」

 ああ比べるのも失礼でしたね、蛙に、と付け加えてやろうかと思ったが止めておいた。が、代わりに。

「それにアトキン様は母国に正規の婚約者がいらっしゃいますよね? お名前はエーヴァ様、と仰ったかしら?」

「何故それを!?」

 ざあっ、とルークの顔が青ざめた。肯定しているも同然の反応に、周りからは「婚約者がいるというのに別の女性に……?」「女性軽視にも程がありますわ」「王族の男性というのは、どこも一緒なのかしら?」「いやいや善良な男性に失礼過ぎるだろう。一括りにしてもらっては困る」「隣国との関係は見直した方がいいかもな」「違いない。あのような方がいずれトップになるとは、泥船に追従するようなものだ」などとひそひそと囁かれる。

 針の筵に立たされたルークに「失礼いたします」とヴィクトワールはカーテシーをし、一度も振り返ることなく会場を後にした。



 美しく整えられた花壇。

 それを月明かりが青白く幻想的に照らし出す。その間を足早に移動してガゼボに辿り着いたヴィクトワールは、ふ、と息をついた。

 すると。

「ヴィクトワール様」

 声をかけられ顔を向ければ、エミリが静かに微笑んでいた。

「お疲れ様でした」

 深々と頭を下げられ、ヴィクトワールは「いいのよ」と首を少しだけ横に振ってみせる。

「貴方こそ、お疲れ様。そして……ごめんなさいね。貴方を利用した形になってしまって」

「そんな! 私の方こそ、ヴィクトワール様にはすごく良くしていただいて、本当に感謝の念しかありません!」

 エミリが懸命にそう言ってくれたのに、ヴィクトワールの胸がじんわりと暖かくなった。

「そう言ってくださると、少し救われるわ。私は王妃……しかもあの王子の婚約者などなりたくなかったのよ」

 そう、婚約者になどなりたくなかった。もっと言えば、貴族の家になど生まれてきたくなかった。

 ヴィクトワールはおしとやかとは程遠い、活発な性格だった。幼い頃は2つ上の兄と一緒に庭を駆けまわったり、馬に乗せてもらったり、剣を振るったりしたものだ。だが成長するにつれ、両親が、環境が、己に課せられた『伯爵令嬢』という立場が、これらの言動と性格を許してくれなくなった。

 それは仕方ないと、長いスカートを破り捨てたい衝動を堪えながら受け入れはしたけれど、10の時に王家主催のお茶会に招待され、『アルベールに気に入られたから』と理由で強引に婚約者にさせられた時は、絶望するしかなかった。王家からの命令は余程のことが無いと断れない、と自身の本当の性格を知っている両親、そして兄は痛ましい顔をしていたけれど。

 それ以降は未来の王妃になるべく、徹底的に『教育』を叩きこまれた。辛かったし悲しかったし、何度も逃げ出したいと思った。婚約者であるアルベールは寄り添うどころか心配する素振りも見せず、手紙の一つもくれたことがなかった。それどころか『私の婚約者になれたのだから光栄だろう、有難く思え』と言わんばかりの態度で。

 それでもまだ見込みがあれば支えようと奉仕の精神が出たかもしれない、が。「文字が苦手」と堂々とのたまって勉強をサボるわ、己の整った外見を最大限に生かして他の令嬢にちょっかいをかけるわで、もう何度堪忍袋の緒が切れそうになったか分からない。

 そうして虚ろな心のまま王立コラソン学園に入学し……エミリに出会ったのだ。

「入学式の時、コルニアック殿下に声をかけられて困っていた時に助けてくださったこと、今でも忘れていません」

 エミリはその時のことを思い出したのか、穏やかに微笑む。ストロベリーブロンドに青い瞳の可愛らしい容姿をした彼女は、早速アルベールの琴線に触れたらしく、しつこく声をかけられていた。そこに割って入ったのは、今にして思えば大正解だった。

 忌々しそうにこちらを睨んで立ち去るアルベールが見えなくなった途端、エミリはほろほろと涙を流したのだ。慌てて近くの空き室に入り、ぐすぐすと鼻を鳴らす彼女の話を聞けば。


「貴族になんて、なりたくなかったんです」


「母と一緒にパン屋をやっていたんです。でも、ある日いきなり男の人が尋ねて来て、「お前は私の子だ」って。それで母に「金だ」って言って袋を投げつけて強引に連れていかれたんです」


 何てことを。話し合いもせずに強引に連れて行くなど、それでは誘拐も同然ではないか。貴族……いや、人間のすることではない。

 そうして訳も分からず貴族の世界に入らざるを得なかったエミリに、ヴィクトワールは心底同情した。

 そして同時に思った。

 上手くいけば、この立場から逃れられるかもしれない、と。

「取引をしませんか?」

 気付けば、自分の口からはこんな言葉が滑り落ちていた。

 アルベールとの婚約を破棄、もしくは解消したいこと。協力してくれるのであれば、エミリと母の身の安全は保障すること、を条件としてあげれば、エミリはその青い瞳を見開き……そして真剣な表情で「分かりました」と頷いてくれた。

 早速父に「強引に養子にさせられた男爵令嬢がいる。母親の身の安全を確保して欲しい」と自分の計画は伏せて手紙を書けば、すぐに行動に移してくれた。それによりエミリの母親はシエル家の領地内にいるため、男爵が迂闊に手に出せる状態ではない。

 それを知らせればエミリはまた涙を流して喜び、こちらの『依頼』をこなしてくれた。即ちアルベールを誘惑することを。入学式に声をかけられたのだから、目を付けられているのは知っている。後はそれをきっかけにし、関係を深くしてばいいだけ。箱庭にも似た世界でしか育っていないアルベールには、市井ならではの『交流方法』は新鮮だったのだろう。見る見る内にエミリに傾倒していった。

 もちろんヴィクトワールはただそれを黙って見つめていた訳はない。何十回とアルベールとエミリを窘める姿を学園中に見せつけてやった。アルベールはともかく、エミリを窘める時には胸がずきずきと痛んだのは言うまでもないが。

 そして多数の浮気の証拠を確保し、シエル家、並びに王家に送って話し合いをし、無事に婚約破棄をしたのが一週間前。……だったのだが、まさか今日改めて宣言するとは思わなかったとヴィクトワールは内心で重い溜息を吐いた。しかも眼中になかったルークにいきなり婚約を申し込まれるとは……。

「今日は厄日ね」

 折角の卒業パーティだったのに、とヴィクトワールは軽く肩を竦めた。

 そして。

「エミリ。本当にありがとう……そしてごめんなさい」

 優雅にカーテシーをされ、エミリは目を大きく見開く。そして、ぽろぽろと涙が頬を伝い落ちた。

「そんな、私はお礼を言われることなんて何も……! ヴィクトワール様には母の身の安全を保障してもらうだけじゃなくて、勉強や礼儀作法も教えていただいて、お礼を言うのはこちらの方です! 謝られることなんて何もしていません!」

「でも、私は貴方を利用したのよ?」

「いいんですっ! ヴィクトワール様のためなら、私、わたしっ……!」

 エミリの目から伝い落ちる涙を、ヴィクトワールは困ったように微笑みながらハンカチで拭った。

「泣き虫は直らなかったわね」

「う、ううっ……ふっ……」

 エミリはふるふると首を弱弱しく振って、必死に嗚咽を堪えている。

「しっかりしないとね。……私はもう、貴族ではなくなるのだから」

「ヴィクトワール様。本当に、行ってしまわれるのですか?」

 エミリの悲しそうな目に、ちく、と胸が痛むのを感じながら、ヴィクトワールは「ええ」と頷いた。

「学園を出たら、私はシエル家の人間ではなくなる」

 そして貴族でもなくなる。

 それが、婚約を破棄する時に付けた条件の一つ。

「コルニアック殿下の婚約者でなくなった私には、何の価値もない。だから、籍を外してくださいってね」

 もちろん両親は驚き嘆かれたが、これまでの妃教育及びアルベールから受けた身体的精神的苦痛を盾にし、何とか承諾させた。今朝、馬車を見送る両親、そして兄には涙の痕が残っていたのを、ヴィクトワールは生涯忘れないだろう。

 思えば、たったこれだけのために数々の人を傷付け、苦しませてしまった。この重責は一生背負っていかなければいけない。

「貴方のことはお父様……シエル公爵にはよく言ってあるわ、『計画』のことも込みでね。慰謝料は『こんな娘を育ててしまったモントート男爵』に請求がいくから心配しないで」

「でも、でも……ヴィクトワール様とお別れなんて、寂しくなりますわ」

 エミリは、ぐす、と鼻を鳴らした。

 そう、ヴィクトワールはこの後、海を越えた先にあるナディエ国に向かう。そのための準備は、『計画』が始まった当初から整えてあった。

「私もよ、エミリ。……そうだ、このハンカチ、貰ってくださる?」

 こんなもので贖罪になどならないけど。でも、彼女には忘れないでいて欲しいと思ってしまった。

 ああ、なんて欲深いんだろう。

 エミリは目を見開き、そして差し出したハンカチをそっと壊れ物でも扱うように大切に両手で受け取ってくれた。

「ありがとうございます、ヴィクトワール様。……ずっと、大切にします!」

「ありがとう、エミリ。……お母様を、大切にね」

 ヴィクトワールは優雅にカーテシーをし、背を向けて歩き出した。

 すると。

「ヴィクトワール様!」


「わたしっ、会いに行きますから!」


「何年かかるか分からないけど、絶対、ぜったいに会いにいきますから!」


「だから、待っててくださいっ!!」


 ああ、なんて純粋で、残酷な願いなんだろう。

「……っ!」

 ヴィクトワールはぐっ、と唇を噛みしめ、振り返らずに歩みを進めていく。

 きら、とその頬に光る何かがあったのは。

 夜空に浮かぶ月だけが、知っていた。


(終)

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