六、理由

 俺は招かれるままにラナに近づき、手の届く距離から顔の届く距離にまで接近した。


 英雄になったところで急に巨体になったりするわけもなく、彼女の背丈は十年前と変わらず俺よりも少し低い。グレーの大人びた柄のワンピースを着ているさまは、勇者でもなんでもない──ただの一人の女性だった。


「ラナ、どうしてこうまでして俺にこだわる?」


「うーん、教えてあげてもいいけど……ね」


 ハグされた。そして彼女は俺の耳元で言葉を続けた。


「あたしはね、子供のときから剣も魔法も才能を認められていた。でも剣も魔法も誰にも教わることができなかった。師事した先生とすぐに喧嘩になっちゃってね、破門されちゃうんだ。でもあたしには自信があった。冒険者になって実戦を積めば、きっと誰よりも強くなって、誰からも尊敬される存在になれると信じていた。でも当時のあたしはあなたも知っての通り、動きの遅いスライム以外には斬撃も火球もまともに当てることができず、冒険者として成長することも、成果をあげることも叶わなかった」


 俺は相槌を打つことができず、ただ彼女の呼吸と鼓動を感じていた。


「あたしは冒険者ギルドの全員に常日頃つねひごろから悪態あくたいをついていて、当然のことながら嫌われていた。そんなあたしにお金を貸してくれたり、薬草を融通してくれたのは、ソールだけだった」


「…………」


「あなたに対しても散々悪口は言っていたし、小突いたり、蹴ったり、酷い扱いをしていた。それでもあなたはあたしを助けてくれた」


「薬草摘みしかできない俺の護衛を引き受けてくれるような物好きは、お前だけだったからな」


「あたしには他に仕事がなかったもの。毎日、一緒に歩いたよね。同じ場所で、同じ敵を倒して、同じ薬草を拾って。なんて退屈でなんて素晴らしい日々だったのかと、今になって思うのよ。勇者と呼ばれても、優秀な仲間たちに出会っても、いくら新しい思い出を積み重ねても、結局──あなたと過ごした日常が、人生で一番幸せな瞬間だったんだ」


 強く強く、抱き締められる。


「頑張ろうと思ったのも、変わろうと思ったのも、あなたのためだった。でも後悔しているよ。勇者になんてならなくて良かったんだ、あなたとの退屈な日常を失うくらいならね。そして他の女にあなたを奪われるくらいなら──」


「俺は──」


 ラナは急に腕の力を抜いて俺を解放した。俺はよろめきながら少し後退するが、またすぐに肩を掴まれて引き寄せられ、焦茶色こげちゃいろの瞳と対峙する。


「そろそろ始めよっか。マリアベルちゃんを生き返らせる条件。これからあたしの言うことを復唱して」


 なにを言わせるつもりなのか。この状況でそれを尋ねる勇気はなく、俺は素っ気なく「ああ」とだけ返事をした。


「ふう、じゃあ始めるよ」


 彼女は言いながら、室内を照らしていた火球をシュンと消してしまい、部屋の中は暗闇くらやみとなった。


 その闇の中で、彼女の言葉が続く。


「『今日からあなたを永遠に愛し続けます』」


「…………」


 そういう趣向ゲームか。


 趣旨を理解した俺は、指示に従うことに躊躇ためらってしまった。こんな状況でこんなことをするのはマリアベルに対する冒涜ぼうとくではないのか。


 ラナは俺の気持ちを見透かしたように肩から手を離すと、今度は優しく手首を掴む。どういうわけか、それによって俺は不思議な安心感を得て、彼女の言葉に従う気になった。


「……今日からあなたを永遠に愛し続けます」


「よくできました。次ね、『わたしは浮気を絶対にしません』」


「わたしは浮気を絶対にしません」


「『子供が生まれたら、あなたと一緒に名前を考えます』」


「子供が生まれたら、あなたと一緒に名前を考えます」


「『あなたの家族も友人も大事にします』」


「あなたの家族も友人も大事にします」


「『だから結婚してください』」


「だから結婚してくたさい──」


 

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