三、交渉

 俺はラナを自宅であるやすアパートに招いた。


 女を連れ込むなんて意識はない。彼女が『勇者ラナ』であることが周囲にバレれば大騒ぎになってしまうので、他に選択肢がなくそうしただけである。


 彼女は部屋を暖めるために魔法で火球をともし、それを部屋の真ん中に浮かべた。その後、ベッドに腰掛けた彼女に、俺は立ったまま尋ねる。


「で、どうしたんだ。急にこんな街に帰ってきて」


「この街はあたしの故郷みたいなものだよ。むしろ十年も帰って来なかったことの方が不思議でしょう」


「いや、まあ、そうだけど。でもこの時期に帰ってきたのには、なにか理由があるんだろ?」


「本気で言ってる? 理由って、一つしかないじゃないの」


 ラナはサングラスを外し、ニット帽を脱いだ。十年前には見ることのなかった──セミロングにまで伸びた黒髪。それが焦茶色こげちゃいろの瞳とともに完全に姿をあらわす。


 さらにコートも脱ぐと、防御力の低そうな薄い生地きじの可愛らしい服が見えた。


「まさか、か?」


「まさかのね、なんだよ。覚えていてくれたんだ」


 彼女の笑顔はぞわりとするほど無邪気であったが、その声色こわいろにはぞくりとするほど邪気があった。


「馬鹿なこと言うなよ。確かにお互い独身なのかもしれないけど、俺みたいなやつと結婚するなんて……」


「馬鹿なことだなんて言わないでよ。それじゃ言ったあたしも馬鹿みたいじゃない」


「いや馬鹿だよ。お前はだぞ。相応の相手を選べよ。俺みたいな薬草摘みじゃなくて」


「お互い三十歳まで独身だったら結婚しようね──約束はこれだけ。片方が英雄になったら無効になるなんて条件はついてないでしょ」


「約束の内容なんて関係ない。俺みたいな無能の典型みたいな冒険者未満の底辺男に、お前みたいなスターは不釣り合いだ」


「それこそ結婚しない理由にならないよ。あたしが望む以上はね。でも、まあ、だし、困るのも無理ないか」


「──知っているのか?」


「ここ一ヶ月くらいはストーカー行為……じゃなかった、素行調査をしてたから、あなたの人間関係はだいたい把握しているよ。マリアベルちゃん、とっても可愛い子だよね」


 ラナの言い方には少し含みがあった。俺は深く突っ込むべきか少し悩んだが──


「あの子がいなくなれば、あなたは素直に結婚に応じてくれるのかな?」


 俺の迷いさえも見抜いたように──冗談とも本気とも思えるような口調で、彼女はそう言った。


「おい、マリアベルには手を出すなよ」


「じゃあ力ずくでめれば? 剣でも弓でも魔法でも、対決には応じるよ」


「無理と分かっているくせに……。そもそもお前は勇者だろ、市民に危害を加えるなよ」


「分かってないねぇ、あなたって人は。勇者であることなんて、今のあたしにとって重要なことじゃないんだ。魔神フォルティだって殺したんだ。女の子の一人くらい簡単に殺せる」


「いやだから──」


 俺はラナに言い返す言葉を思いつかなくなり、彼女の笑顔を眺めることしかできなくなった。力では勝てないし、説得も通じない。


 どうすることもできない。


「可哀想なソールあなた。でもね、あたしは鬼でも悪魔でもない──かどうかは分からないけど、無慈悲な冷血女と思われるのも嫌だから、ちゃんとチャンスはあげる」


「チャンス?」


「聖夜祭の当日、夜の十二時までに彼女マリアベルへのプロポーズを成功させること。女性に対しては根性なしの熟成されたクズみたいな性格のソール君にそれができたのなら、あたしは結婚を諦めてあげる」


「…………」


 彼女は無慈悲な冷血女ではないとしても、相手を的確に追い詰める狩人であることには間違いなかった。


「そんな可愛い顔しないでよ。押し倒すよ?」


「いや──困る」


「ん、プロポーズするのが? 押し倒されるのが?」


「両方」


「あのね、後半のは困らないでよ。女としての自信をなくすでしょ。さて──これ以上長居するのも迷惑そうだし、今日のところは退散するかな」


 彼女は言いながら立ち上がると、コート、ニット帽、サングラスの順に身につけた。そして「あ、もちろん当事者であるマリアベルちゃんにネタばらしするのは禁止だからね」と言い残し、玄関に向かって歩き出し、そして出て行った。


 彼女がいなくなって、部屋にはメラメラと燃える火球だけが残った。それは長らく消えることなく、優しく部屋を暖め続けてくれた。

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