第4話 たおやかな青年

「おはようございます」


 玄関戸の引かれる音ともに朗らかな声がした。

 後ろを振り返ればコートにマフラー姿の背の高い青年が立っている。


「え、泰明やすあきさん?」


 思いがけない人物の来訪に包丁を置いて近づこうとするも、それより早く彼の方が台所に来てしまう。

 玄関からこの流し台や竈のある台所までは土間続きになっていてそこそこの距離があるのだけど、泰明さんの長い脚だと数歩しかないらしい。


「おはよう、あかり。すずなとすずしろ……ついでに他も全部持って来たよ」


 端正な顔には楽しそうな笑みが浮かんでいるけど、その鼻と耳は少し赤い。

 この寒い早朝にわざわざ彼が七草を届けてくれたことに、嬉しいやら申し訳ないやらで胸がいっぱいになる。


 泰明さんはこの屋敷の本家筋の息子さんだ。昨年春から長かった下宿生活を終えて医師となってこの村に戻ってきたのだった。

 今朝だって医院でお仕事があるはずなのに。


「どうもありがとうございます。泰明さんが来られるなんてびっくりしました」

「そう? 昨日言ったつもりだったんだけど」

「ええ、今朝七草を届けてくださるって話でしたよね。でも泰明さんはお忙しいですから……てっきり別の方が来られるかと思ってました」


 思ったことをそのまま言うと、泰明さんは笑みを深くした。


「もう他の人に任せるつもりはないよ。これからはずっとそばにいるって言ったでしょ?」

「そ……そうでしたね。あ、はは」


 彼はいつも勘違いしたくなるような言葉をさらりと口にする。

 わたしはちゃんと普段通り笑えているだろうか。


「でも朝ごはん食べずに来たからお腹すいちゃって。できればご相伴してもいいかな?」

「もっ、もちろんです! 沢山食べていってください」

「やった。実はそれが目当てだったりして」


 くったくなく笑う泰明さんに、わたしも自然と笑みがこぼれる。


 ああ、胸の奥がくすぐったい。


 その感覚に、もう戸惑いはなかった。この気持ちに名前をつけることはできる。

 でも決して叶うことはない、叶えてはいけない気持ちだった。

 だからわたしはしっかりと蓋をする。


 七草の入った包みを受け取ると、縁側の奥からドドド……と賑やかな足音が聞こえてきた。

 まずい、九摩留だ。


「テメェ泰明この野郎! あかりから離れろ!」


 居間を大きく横切って裸足のまま土間に飛び降りる。牙をむいてガルルッと威嚇する姿は狐というより犬のようだ。

 もともと九摩留はなぜか泰明さんを嫌っていたのだけど、三が日が明けてから――彼が毎晩屋敷に来るようになってからはそれが露骨になっている気がする。


「おや、泰明が来たのだな。さ、上がれあがれ」


 ややして九摩留の後から純白の着物に身を包んだ加加姫かかひめ様がやってきた。

 随所に銀糸の刺繍が入ったそれは儀式用の特別な着物だ。

 彼女は長い白髪をさらりと揺らして手招きをする。


「おはようございます、姫様。お邪魔しております」

「うーん他人行儀だのう。おぬしだってこの屋敷の守り手、ちっともお邪魔ではないぞ。そうだ、今度からここに来たらただいまと言うのはどうだえ。なぁ、あかり?」

「彼女さえよければ、それは願ってもないことですが」

「えっ!? えぇとあの……」


 思いがけず二人の視線が集まってドギマギする。そこに九摩留が割って入った。


「ああ? ちょっと聞き捨てならねえな。ここはテメェの家じゃなくてオレとあかりの家なんだが? テメェにただいまを言う資格なんてどこにもねえから、七草置いてとっとと出てけや」

「ちょっと九摩留! 泰明さんになんてこと言うの。謝りなさい」


 慌てて九摩留をたしなめるも、彼は泰明さんににじり寄っていく。


「九摩留!」


 声を大きくしても全然聞いてない。

 ああもう、反抗期ここに極まれりというやつだろうか。

 つま先立ちで身体が触れそうなところまで近づいてくる少年に、しかし泰明さんはどこ吹く風だった。


「九摩留は今日も元気だね」


 眉間にしわを寄せるでもなく口を引き結ぶでもなく、目を細めて微笑んでいる。

 怒ったのは別の人物だった。


「はぁ? ここはわしとあかりの家だが? おまけのお前が威張るでないぞ。なんなら外で鎖につながれて寝るかこの駄狐め」

「ババア! このババア!」


 九摩留がクワッと姫様に牙をむく。


「まあまあ姫様。ほら九摩留、いいものがあるよ」


 そう言って泰明さんがコートのポケットから出したのは油紙で包んだなにかだ。

 途端、動きを止めてひこひこと鼻を動かす九摩留。わずかに目を輝かせる少年の前で包みを解いてみせると、中から油揚げで作った巾着が三つほど出てくる。

 味付けしてあるのかその色は程よい赤茶色に染まっていた。


「中身は鶏肉だよ。二杯目のお粥のときに出してあげようね。九摩留は油揚げも鶏肉も好きだろ?」

「……とっとと上がれよこの野郎」


 先ほどの勢いはどこへやら、九摩留はお勝手の端にどっかり腰掛けると顎で奥をしゃくる。

 この子が食いしん坊で助かった。そして泰明さんの手際の良さになんとも感心してしまう。


「さ、準備しようか」

「はい」


 わたしは割烹着と半纏を脱いで畳むと居間に置き、準備しておいた黒の羽織を身に着けた。

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