第3話 姫神様とやんちゃ狐

「んしょ、と」


 勝手口を出て、横の薪置きからカラカラに乾いた木の棒を拾っては片腕に積んで小山にしていき、ある程度の量になったところでかまどの脇に持っていく。


 屋敷の竈は土間に地続きで築かれている二口仕様の横長いものだ。

 その上には、ちょうどわたしの頭のてっぺんあたりに細いしめ縄をかけた棚板が据えつけてある。

 置かれているのはお正月のお供え物である鏡餅と御幣、そして荒神様のお札だ。


「今日も火事などありませんように」


 荒神様に手を合わせてつぶやくと、さっそくしゃがんでふたつの竈口に新聞紙と乾いた松葉、小さい薪を入れて、その上にざっくり被せるように大きい薪を載せていった。


「あちち……」


 囲炉裏から燃えさしの竹を一本引き抜いて竈口のくしゃくしゃに丸めた新聞に当てると、小さな火が舐めるように広がっていく。

 またたく間に周囲を焼いて煙とともにうっとりするような熱が土間にあふれ出した。

 すでにはまっている二つの羽釜に何往復かして水をたっぷり汲み入れれば、とりあえず今朝の仕事はほとんど終わったようなものだ。


 冬の間、このふたつの羽釜は部屋を暖めるため、そしていつでもお湯を使えるように一日中稼働する。

 大事な薪を惜しげもなく使えるのは寒がりの屋敷主人、加加姫かかひめ様のおかげだ。


「……姫様、やっぱり起きてこないか」


 少し前に姫様が寝ている奥座敷の長火鉢に火を入れて、そして囲炉裏で沸かした鉄瓶も置いてきた。

 少しは部屋が暖まって起きやすくなっているはずなのだけど。


「よし。起こしに行っちゃお」


 柱時計は六時前を指している。

 姫様大忙しの三が日、そして仕事始めの四日をのり越えてからはずっと昼近くまで寝ていたのでちょっとかわいそうな気もするけど、今日で松の内も明けるので通常の生活に戻さなければならない。

 それにもうすぐ七草が届くので、その前に身支度を整えてもらう必要がある。

 割烹着を脱いでお勝手から奥座敷の戸を控えめに叩く。返事はない。


「失礼いたします」


 一応声をかけてから中に入ると、ほんのりと暖かな空気に包まれる。

 部屋の真ん中には寝心地のよさそうな豪華な布団があり、足側の片隅でもふっと丸まっていた狐が頭をもたげた。


「おはよう九摩留くまる


 黄褐色の毛並みを撫でるとしっぽがぱたぱた布団を叩く。起き上がって畳の上でぐぅっと背伸びをすると、こちらに琥珀のつぶらな瞳を向けて小首をかしげた。

 その姿に軽くうなずきを返して枕もとに膝をつく。


「おはようございます、姫様。そろそろ起きてください」

「…………ん…………」

「もうすぐ七草粥のお仕度ですよ。さ、起きてください」


 布団のふくらみに手をかけて軽くゆすってみる。

 反応はほとんどない、が。


「……、……」

「え? なんですか?」


 もにゃもにゃと何事かをつぶやかれた気がして耳を近づける。すると。


「わ!?」


 いきなり手を掴まれてぐいっと引き寄せられる。身体の支えを失ってべちゃっと畳に沈むと、掛け布団から小さな頭が現れた。


「おはよう、あかり」


 くすくすとおかしそうに笑うこの少女こそ屋敷の、そしてわたしの主の加加姫様だ。

 古くからこの里山一帯を守る神霊でもある。

 ともすれば冷たさを感じるほどの美しい精緻せいちな顔に、今はしてやったりという表情が浮かんでいる。それだけで幼い見た目とあいまって、とても愛くるしいお転婆さんに変貌していた。


「おやおや、こんなに手を冷やしてしまって。あかりは働き者だな。どれ、こんな可愛い嫁御はわしがあっためてやろうな」

「いやちょ、ま、姫様……!」


 可憐な見た目とは裏腹に、物凄い力で布団の中に引きずり込まれる。

 至近距離で向かい合うと彼女はにっこり微笑んでわたしの両手を小さな手で包み込んだ。

 指先にはぁっと息がかけられ、わたしのふくらはぎにも華奢な足が絡まっていく。

 少女の体温が移って、手もふくらはぎもじんわりとぬくくなっていく。


「あったかいです……」


 思わずそう言うと姫様はごきげんな猫のように目を細めた。


「ふふ、そうであろ。では一緒にひと眠りといこうかえ。おやすみ、あかり」

 

 少女の真紅の瞳にゆっくりまぶたが落ちていく。しかしそういうわけにもいかない。


「九摩留。おふとんはがして」


 わたしの言葉に掛け布団がばさっと宙を舞う。


「ひぃぃぃいいい! 寒いいいいい!」


 敷布団の上で己を抱き締め、うんと縮こまる姫様。

 かわいそうだけどこれも世話役の勤めである。


「朝ですよー。起きてください」

「意地悪ぅ~鬼嫁ぇ~」

「姫様を起こすためなら鬼にもなりましょう。さぁ、お仕度お願いします。寝るのはお昼まで我慢してくださいね」


 真っ白な髪を振り乱して畳をゴロゴロ転がる姫様を起き上がらせ、小さな肩に綿をたっぷり入れた褞袍どてらをかける。それから寝具を温めていた行火あんかと陶磁器の湯たんぽをいったん部屋の端にどかして布団を押入れにしまった。

 座敷に続くふすまを開けて、座敷の障子戸も開けて。

 縁側に角盥つのだらいを運び、火鉢につけていた鉄瓶の中身と持ってきていた水差しの中身を混ぜあわせた。

 指先で温度を確かめてうなずく。これで洗顔も辛くないだろう。


「姫様、九摩留をそろそろ……」


 少女にそっと声をかけるも、彼女は薄紅の襦袢ごしにお腹を掻いてぼんやりしている。

 九摩留が姫様の足元にお座りし、じれったそうに前脚でつついて催促した。


「わかったわかった。そう急かすでない」


 ふわぁ、と大あくびのあとで少女は何気なく柏手を打った。

 その瞬間、狐の姿がぐにゃりと歪み、十三歳くらいの作務衣姿の少年へと変化する。

 人間の姿はしているものの、首の後ろでくくった長い髪は狐の時と同じ黄褐色で瞳も琥珀のように明るい薄茶色をしており、只人でないことは一目瞭然だった。


 九摩留は霊狐でも妖狐でもないごく普通の狐だったけど、わたしの補佐役として姫様の眷属となった。彼女の力によって人間へと化し、この屋敷の下男として二年ほど前から一緒に暮らしている。

 その少年はぴょんぴょんと後ろへ飛び退すさると主たる姫様にカッと牙をむいた。


「朝っぱらからあかりを襲ってんじゃねぇぞババア! 盛ってんのかこの野郎!」


 九摩留は今日も朝から絶好調だ。

 すぐさま姫様が拳を振り上げ、逃げる少年を追いかける。

 持ち前の賢さで今では人間社会のあれやこれやも理解している彼ではあるけど、難点を挙げるとしたらこれだった。


 口と態度がとにかく悪い。


「九摩留、姫様の洗顔を手伝ってもらえる? あ、ふざけたりいたずらしたら朝食抜きだからね。終わったら姫様の行火をかたして雨戸を開けてちょうだい」

「やだよ面倒くせぇ。つーか顔くらい一人で洗えるだろ。狐だってそれくらいできるぜ」

「わしだってこんな粗忽者そこつものに手伝われるのは嫌だ。あかりがいい。あかりじゃなきゃ嫌だ」


「…………………………」


「わ、わかったよ。やればいいんだろやれば。ほらババア、こっち来い」

「誰がババアだクソガキめ。そうさな、あかりは忙しいものな。着物も自分で着るから、あかりは他の仕事をしておいで」

「お二人とも、ご協力ありがとうございます」


 にっこり笑い、わたしはお言葉に甘えて下がらせてもらうことにする。


「お姫、テメェのせいであかりが怒ったじゃねえか」

「はぁ? 怒らせたのはお前であろ。あぁ、でもわしの嫁御は怒った顔も愛らしいのぅ。ぞくぞくするわ」

「うわタチ悪。イカれてんなこのババア」

「なんだと馬鹿狐が」


 なにやら後ろが騒がしいけど、気にしているときりがない。

 わたしはいそいそとその場をあとにした。

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