第2話 囲炉裏

 朝最初の仕事は囲炉裏の火を熾すこと。

 この屋敷の囲炉裏はお勝手の土間寄りに一基だけ作られていて、その敷き詰められた灰の中から昨晩の燃え残り……ごくごく小さな火種を探すことから始まる。


「あ、よかった。ちゃんと生きてる」


 白っぽい灰の海から蛍のような淡い光の粒を発見して、今日もホッと安堵する。

 火種を管理するのはわたしの重大な使命だ。

 春夏秋冬いつ何時も囲炉裏の火を絶やしてはいけない。絶やしてしまえば災いが起こる……とまでは言わないけど、それだけ大事なものとされている。

 なにがあろうと火種を失うことは絶対に許されないと、そう親から教わった。


 そんな神聖な火種をそっと囲炉裏の中央に置いて松葉や枯葉を上に載せる。煙が出始めたらよく乾燥させた竹片や木片を載せて、火吹きでゆっくり火を大きくしていく。

 パチパチと音を立てて火があがり始めたら薪を円錐形に立てかけて完了だ。


「はー……あったかい」


 薪の爆ぜる音を聞きながら冷え切った両手を炎にかざす。

 手のひらと前身ごろ、そして顔がじんわり炙られて、そこだけ氷が解けたようにやわらかくなった気がする。


 勢いよく昇っていく煙は柱や屋根を燻して、そして煤で表面を覆って頑丈にしてくれるそうだ。防虫効果もあるらしい。

 灰は畑に撒いて肥料にしたり、山菜や筍などのあく抜きに、はては洗顔料にも使ったりする。

 そのひとつひとつに意味があり、知恵にあふれていて、なに一つ無駄なことはない。


「――でも、電気が来たらいろいろ変わるんだろうなぁ」


 村で電気が来ていないのはこの屋敷だけだったけど、ついに近日開通する予定となった。

 他の家では先の大戦前から電気が通っていて、それを合図のように照明はもとより屋根も茅葺から瓦葺へと変える家も増え、囲炉裏も少しずつ使われなくなってきているそうだ。

 裕福なお宅なんて土竈を文化竈へ変えるどころかガスコンロさえ使うのだとか。


 確かに囲炉裏や土竈を使うと家中が煙でぼんやり白くかすみ、全身がとても煙たくなってしまう。でも家を燻す必要がないなら、もっと便利に炊事ができるなら、新しい文明の利器に変えてしまおう――そんなふうに思うのは至極もっともといえる。


 終戦して十数年、都会ではとんでもない勢いで生活が変わってきているというし、その波は確実にこの里山にも届いていた。

 もちろん不便なこと大変なことが多い生活が楽になるのはとてもありがたい。

 でも愛着のある道具たちが埃をかぶっていくのかと思うとちょっと寂しくもあった。


 ……とはいえ、三種の神器はちょっと、だいぶ、かなり気になるところだけど。


 この村でテレビ、洗濯機、冷蔵庫を持っているのは新しいものに目がない名主さんくらいだけど、そのうちそれらも各家に浸透していくだろう。数十年後にはこの屋敷にも三種の神器がやってくるかもしれない。

 これから世の中がどう変わっていくのかわからないけど、なんとなく未来は明るいと信じられるような不思議な高揚感がわたしの中に、そして周りの人たちにあるのがわかる。

 それでも、今は。


「よいしょ」


 水甕みずがめから鉄瓶てつびんに水を汲んで、囲炉裏の自在鉤に引っ掛ける。鮒の形をした横木をいじってそのしっぽを玄関口に向けた。


出鉤入魚しゅっこうにゅうぎょ、と」


 魚の頭を部屋の奥に、しっぽを外に向けることで福が入ってくるというおまじないだ。

 それに横木を魚の形に彫刻することで火事を防ぐともいう。瞼のない眼が火を見張ってくれるからなのだそうだ。


 昔からの道具には随所に先人の祈りと想像力の豊かさを見ることができる。

 台所を預かる身としては生活改善運動大歓迎。

 でもこういった知識も引き継いでいきたいと、わたしはそう思ってしまうのだった。

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