第4話 葬儀でのパニック

 それは、例の無言電話の件で私に相談をしてきた、施設一の美人である石嶌聖美が殺されてしまったからだ。彼女は今年の4月に就職したばかりで、中年のオジサンである私の目から見ても、こんな福祉施設で働くよりも都会でファッションモデルでもすれば良いと思う程のスタイルと美貌であり、また子リスのような優しそうな瞳をしている事もあって、廊下ですれ違った時など何度も振り返ってしまう程であった。


 その彼女が、何と自分の車の中で殺されていたと言うのである。

 しかも、問題はその殺害方法であって、何と、彼女の顔面部分と下半身の局部周辺にかけて数百本の針が刺さっていたと言うのだ。直接の死因は、その最初の針の一本(これだけは他の針より遙かに大きかったそうな)が喉に突き刺さった事による外傷性ショック死とされたが、針の先には猛毒のニコチン(多分、市販のタバコを数十本煮詰めて作った代替物であるらしい。これは後に警察の鑑識から聞いた話であるが……)まで塗ってあった言う。


 ところで最初、警察は、単に私を石嶌聖美の上司として色々と質問をしていたらしいのだが、何処かで私がホラー小説の『針いっぱいの密室の部屋』と言う、何か訳の解らない得体の知れない小説を書いていると知って、急に矛先を私に向けてきたのである。


 一応、警察で言う「応接室」に案内されて、色々と質問を受けたのだが、正にそれは質問とは名ばかりで、尋問そのものであった。ちなみに「応接室」とは要するに窓に鉄格子の入った取調室の事である。


 ただ、彼女の死亡推定時刻がその事件当日の昼時と判明し、その時、私は高橋介護係長と共に事務室で仕事をしていたので、お互いに証人となり何とか私のアリバイが証明され無罪放免となったものの、しかしこの猟奇殺人の犯人像の手掛かりは何ら解明されなかったのである。


 また、田辺君も別棟で勤務中だったという。清水施設課長は夏風邪をひいて医者で点滴を打ってもらった後、自宅で一日寝ていたと言う。


 この時点で、一番怪しかったのは例の林施設長であったが、本人の弁明によれば愛人とモーテルで会っていた最中だと言うのだ。しかし、その愛人とお互いに口裏を合わせられたら警察と言えどもアリバイを崩すのは相当に難しいであろう。


 しかし、その愛人はモーテルの部屋番号や間取り等を完全に覚えており、林施設長のアリバイは立証されたのである。


 更に、今回の石嶌への殺害方法の奇怪さも、この事件の解明を一段と難しくしていた。


 と言うのもここで少し冷静に考えてみて欲しいのだ。一度に数百本もの針を、多分、わずかの犯行時間内(あまり長時間かかれば誰かに見つかる危険性があろう)で、次々に突き刺していくという芸当が簡単にできのるか、と言う点をである。この点だけでもいかに奇妙な事件であるかという事が想像できるではないか!


 しかし、それだけで今回の事件は終わらなかったのだ。


 それは、石嶌聖美の葬儀の時に、現実に起きたのである。私は、職員一同と葬儀に出席したのだが、彼女の遺影の前で、今は亡き石嶌聖美の生前のあの美しい姿や顔を思い出すと、いい歳をして涙が止まらなかった。


 ところが、私が焼香に行こうとした、その時である。


「あっ、祭壇が!血だ、血が流れている!」と、誰かが、会場中に響き渡るような大声で叫んだのだ。


 何と、石嶌聖美の遺影のガラス上にダラダラと真っ赤な血が流れて来たではないか!私は、ショックのあまり思わず手に持っていた数珠を落としてしまったのだが、他の参列者達も、同様の異変に気づいたのだった。


 葬儀会場は、突如、パニック状態と化した。真っ先に顔色を変えたお坊さん達が逃げ出したからである。他の参列者達も、絶叫し、泣き叫び、逃げまどった。当の石嶌聖美の遺族は、その場に座り込んでしまった。


 修羅場とは、この時のような事を言うのであろうか?私も、最初は逃げ出そうと思ったが、あまりの会場のパニック状態に、体の小さい私は身の危険を感じ、逆に、遺影に近づいて行ったのである。そのほうが安全だと考えたからだ。


 林施設長、清水施設課長、高橋介護係長、部下の田辺君も、急いで駆けつけて来てくれた。ところが、皆が近づいたその瞬間、「シュボッ!」と言う音と共に、石嶌聖美の遺影から急に猛烈な火の手が上がったのである。それはほぼ瞬間的であって、あっという間にその火は祭壇に燃え移った。この葬儀会社の花輪は、経費削減のため、実は、献花の半分近くがプラスチック製の造花であり、瞬く間に火は広がっていったが、その燃えさかる炎は、逃げまどう参列者達を、更なるパニックに陥れただけであった。


その後、消防と警察の合同検証があったものの、出火の原因は特定できず、結論は、祭壇の蝋燭からプラ製の造花等の可燃物に引火した事による火災と断定された。


 ……しかし、例の遺影の鮮血の問題は、では、どうなるのだ?それに、この出火の原因は断じて蝋燭からではない、あの石嶌聖美の遺影から急に出火した事は、私自身がこの目で確かに見たのである。しかし、あまりに奇妙な事実故、私達職員一同は示し合わせ、その話しを警察にも消防にも誰も言わなかった。例え、顔中口だらけにして言ったとしても、絶対に信じてもらえそうに無いと考えたからだ。


 ところで、私は、いつの頃からかホラー小説を書きたいと考えていた事は最初に述べたとおりである。


 それも単に、呪いで人が殺される(ちなみに日本の「刑法学」では、呪いよる殺人は不可能として『不能犯』とされ、犯罪構成要件に該当しないのは学会の定説となっている)とか、怨念で死体が生き返る、とか、恐ろしい顔をした幽霊がテレビの画面やトイレの奥から這い出して来る、とか言うような「非科学的と言う意味での」子供だましのような安直な小説では無く、正当的な現代科学に正確に裏打ちされたものを書きたかった。


 そういう訳で、執筆中の小説『針いっぱいの密室の部屋』の猟奇殺人事件は、遺伝子の突然変異による「先祖返り」による犯行(医学用語では、DNAの塩基配列の欠失(deletion)と言われる遺伝子病が原因)とする内容であった。


 そのために難解な遺伝子の解説書を何冊も買い込んで読んだのだった。つまり、いくらホラー小説と言えども、単に怖い怖い話にするだけでなく、科学的で医学的なな根拠も当然に必要だと考えたからである。


 しかし、私の身のまわりに次々と起きた怪事件は、既に現代科学で説明できる領域を超えているとしか思えなかった。あの石嶌聖美の葬儀会場での火災事件もそうであるし、私の施設内での数々の異変や、遡れば、近所の女子大生の一家惨殺事件や、約1,000年も前の「蛇神様」の憑依による近所のお嫁さんの全裸自殺事件だって、皆そうなのだ。


 どれを取ってみても、現代科学で説明できる枠からは、皆、少しづつだが乖離しているような気がしてならなかったのだ。これは一体、どういう事なのか?現代科学は全く無力なのだろうか?


 私は、石嶌聖美の一連の事件が落ち着いてから、部下の田辺君を家に呼んで、今までの半年間に、私の身の回りに起きた様々な不可解な事件を時系列順に細かく話してみた。


 私は、頭からオカルト的な話は信じていなかった。しかし、このように連続して色々な怪事件が起きたとなると、その点も含めて、改めて考慮せざるを得ないのだ。そこで、田辺君であるが、前にも言ったように彼は東京の有名私大の文学部「心理学科」卒である。


 心理学の世界では、このような超常現象を研究する分野で超心理学という部門もあるのだ。私には、今となってはこの田辺君のみが頼りであった。


「そういう訳で、この半年間、私の周りではともかく不可解な事件が頻発。しかもそのどれもが結局、迷宮入りのような事件ばっかりや。一体、田辺君や、君ならどう考える?」


「うーん、石嶌さんへの無言電話の話など今日初めて聞きましたよ。そんな事があったがですか。それなら、もっと先に相談をしてくれりゃ良かったのに」


「悪い悪い。でも、プライバシーの問題もあったしの。何と言っても、あの美しい石嶌さんに、絶対秘密にね、と頼まれたら、もう口が裂けても他人には言えないやろうが」


「そ、そりゃそうですね。でも、総務係長、今までの事件を、連続して一本の糸にして考えてみると、以外とこの事件の謎は簡単に解けるかもしれませんよ」


「と、言うと」


「実は、ぼ、僕ちゃん、某有名私立大学で心理学を専攻していたんですけど、もう一歩先の心理学、いわゆる超心理学も、相当に勉強していたがですよ」


 やった!やはり私の勘は当たっていた。それは、私が、昨年の暮れにホラー小説の話しを語っていた時の、田辺君の目が異様に輝いた事から、私が感じていた直感であった。

 もしかしたら、この田辺君は意外とこういう分野(オカルト関連)や怪事件に興味があるのではないか、と言う点であった。


「超心理学と言うと、ほとんどオカルトの世界の話になってしまうちゃのう。しかし、私は法学部出身の文系人間で理系人間じゃ無いけど、どうしても信じられんな。


 と言うのも、超心理学とかオカルトとか超常現象とか言うと、何か、現代科学と乖離していると言うか、何処か矛盾しているような気がしてならんがいちゃ。


 ホラー小説を書きたいと言う人間が、こんな事を言っていては変なのかもしれんけど。だけどな、超有名なホラー作家自身が自分ではそういう怪奇現象を全く信じていなかったと言うれっきとした事実もあるしのう。私も同じ考えで、どうしてもオカルト関連の話はインチキ臭くて信じられないがや」


「皆、そういうイメージを頭から持っているがですよ。僕ちゃんも、学生時代、非常に肩身の狭い思いをしましたからね。特に、この日本では、戦前の東京帝国大学助教授の福来友吉(ふくいらい ゆきち)助教授のの念写実験の失敗以来、超心理学等の話はタブーになっているがです。でも、それ以外に今回の怪事件の謎は解けんと思いますよ」


「で、それじゃ、田辺君では、一体、何が原因でこうなったと?」


「総務係長、C・G・ユング博士の名前を聞いた事ないですか?」


「ああ、ユング博士なら知ってるちゃ。あのフロイトの弟子だった人やろ。だけど、彼は純粋な正統的心理学者であって、確か、アメリカのデューク大学のJ・B・ライン博士のように超心理学は研究していなかった筈じゃ」


「それは表向きそうなっておるがです」と、田辺君は大きな声で反論した。


「でも、超心理学の世界では、ユング博士の唱えた深層心理学での「共通的無意識の理論」は、過去・現在・未来を記録するオカルトの「アカシック・レコード」の存在の理論的根拠にもなっているがです。「アカシック・レコード」と言っても、事務係長、何の事か分かります?」


「ああ、それぐらいの知識は持っている。そうでなければとてもホラー小説など書けんからのう。要は、この世界の総ての情報がこの宇宙のどこかに膨大なデーターとして、存在しているという仮説やろ」


「その通り。で、ユング博士は、更にもう一つ有名な学説を唱えているんですよ。で、多分それが今回の怪事件の謎を解く鍵じゃないかと、僕ちゃんは、さっきからの総務係長の話を聞いていて、思ったがです」


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