少年はサンタクロース~夕子はクリスマスイヴに奇妙な少年と出会う~

青雲空

少年はサンタクロース~夕子はクリスマスイヴに奇妙な少年と出会う~

 ――あー、なんで外に出たんだろ。わざわざブルーになりにきてどーすんのよ。

 聖なる夜。

 駅前広場にある大きな銅像に寄りかかりながら、松山夕子まつやまゆうこは胸中でつぶやいた。

 今日は、クリスマス・イヴ。

 恋人達にとっては特別な一日――らしいが、長いこと彼氏もいない三〇女の夕子にとっては、一人アパートでケーキを食べるくらいのなんてことのない一日である。

 わびしいことこの上ないがいまさらこの事実を覆せるわけもなく。

 普段だったら、日々の仕事に追われて独り身の寂しさはあまり感じないのだが、今日のような日は、いやでもそのことを気づかされてしまう。

 この時期はテレビやネットでも、皆話題はクリスマス・イヴをどのように過ごすかばかり。いい加減にして欲しいな、と思う。

 世の中には、一人寂しくクリスマスを過ごす人間だっているのだから!


 数時間前。

 夕子は仕事を終えて帰宅後、お気に入りの服に着替えてわざわざ駅前に出た。

 特別に用事があるわけではなかったが、ただアパートで一人寂しくケーキを食べるぐらいならば、少し奮発して高級レストランで美味しい食事でもした方が気が紛れるかな、と思ったからだ。

 だが、それは大失敗だった。

 よくよく考えてみればそんな『高級レストラン』に行けば、この特別な一日にふさわしい食事をしようとやってくるカップルや家族連ればかりに決まっている。

 実際そうだった。

 独り寂しく食事に来ていたのは夕子だけだった。

 やばすぎだった。

 己の選択ミスをこれほど悔やんだことはない。

 他人は他人、自分は自分――と開き直ろうとしたが、無理だった。

 夕子はレストラン内全体に漂う幸せオーラに当てられて、まったく食べた気がしなかった。

 そんな状態で自宅に帰ってしまってはさらにブルーになってしまいそうなので、とりあえず人通りの多い駅前広場にやってきたのである。


「はぁ……」

 街灯りであまり星の見えない夜空をなんとなく見上げながらため息をつく。

 ため息の数だけ幸せが逃げていくという話をどこかで聞いたことがあるが、別に自分なんかにはもともと逃げていく幸せなんかないよ、とか思ってしまう。

「…………なんか重傷ね……」

 自分のあまりのダメっぷりに自嘲気味につぶやく。

 そして再びため息。

 別に人生に絶望してるとかそういうレベルではないのだけれど、こういうことがあるとテンションが激しく下がってしまうのはどうにもならなかった。

 と、その時。

「ほんとにそうみたいだね。あはは」

 その声はすぐ隣で聞こえてきた。

 今まで気づかなかったが、隣で夕子と同様に銅像に寄りかかっている少年がいた。

 見た目一四、五歳ぐらいの見知らぬ少年だ。

 彼はやけにさわやかな笑顔でこちらを見ていた。


「な、なに? あんた?」

 その少年は夕子の言葉をあまり聞いていないようで、いきなり手を差し出してきた。

「初めまして、夕子お姉ちゃん」

「え、ええ。初めまして………………」

 あまりに屈託のない顔で言ってくるので、夕子は思わず差し出してきた手を握ってしまう。だが、すぐあることに気づいた。

「………………って、ちょっと待ってよ」

「なに?」

「なんで、あたしの名前知ってんの? ――あんたって、あたしのこと知ってるの?」

「うん」

 あっさりうなずく少年。しかしそれで納得できるわけもなく。

「でも……あたしはあんたのことなんか知らないわよ」

「うん。それはそうだね。――だけどね。僕は夕子お姉ちゃんを知ってるんだ。どうしてだと思う?」

「そ、そんなの知るわけないじゃない。――も、もしかしてあんたその年でストーカーとかやってるんじゃないでしょうね」

「あはは、違うよ。――僕が、お姉ちゃんの名前を知っている理由はね」

 そこで、言葉を止めた少年は、銅像に寄りかかるのを止め、身体をこちらに向ける。

「僕ねえ、実はサンタクロースなんだ」

 と、それはもう、さわやかな笑顔を告げた。


「はぁ?」

 あまりのことにしばらく硬直していた夕子が我に返り、初めに出た言葉がそれだった。

「ちょっと意味わかんないわよ。――あんたが、サンタクロース? 冗談もいい加減にしなさいって」

「冗談じゃないよ。僕、本当にサンタクロースなんだ」

 少年の口調は至極真面目なものだった。からかうような響きはなかった。だからといってあっさり信じられるわけではないが。

 夕子はごく普通の私服姿の少年を見て、言った。

「……そんな言葉で信じられるわけないでしょ。――だいたい、その格好でサンタとか言われて信じる方がどうかしてるわよ」

「ああ、この格好ね? これは世を忍ぶ仮の姿って奴だから。――だってこんなところサンタクロースの格好したら目立っちゃうでしょ」

「……クリスマス・イヴにサンタが世を忍んでどうすんのよ……」

 だが、少年は真面目くさった顔で「そうでもないよ」と人差し指を立てた。

「サンタクロースの本番は、深夜だからね。まだ姿を現す時間じゃないんだ。――それに、まだこのくらいの時間だと、いろんなお店の人たちがサンタ姿になってるしね。なんか、紛らわしいじゃない?」

 少年は、変わらぬ笑顔で言った。

 ――なんなの……この子……

 夕子は、少年が本当にサンタクロースなどとは露ほども思っていないが、こういうタイプの人間にこれ以上なにを言ったとしても無駄だろう、とも思った。

 そんなことよりも。

 気になるのは、どうして少年が夕子の名を知っていたかと言うことだ。

 その事を問うと、少年は明るく答えた。

「僕はこの辺り一帯の担当だからね。夕子お姉ちゃんに限らず、みんな知ってるよ」

「…………はいはい。わかりましたよ……」

 それを聞いて、この少年といくら話そうが望む答えを得ることはできないことを理解した。

 ――もう、いいか……

 どのようにして少年が夕子の名前を知っていたのかは気にはなるが、どうやら少年は夕子に対して悪意はないようなので、大丈夫だろう。

「じゃあ、その夕子お姉ちゃんは疲れたから帰るわ……」

 と、少年に軽く手で挨拶して、そのまま歩き出そうとしたが――止められた。

「待ってよ。夕子お姉ちゃん!」

「ちょっと、あんた服引っ張らないでよ! 伸びるって!」

「だって、お姉ちゃん帰ろうとするんだもん」

「そりゃ帰るわよ。別に用ないし」

「もう少し僕とお話していこうよ」

「なんで?」

「さっき言ったでしょ? 僕たちの仕事は深夜になってからだから、このくらいの時間だとやることないんだ」

「…………つまりは深夜までヒマだから、あたしに話し相手になって欲しい、と」

「うん」

 少年は微塵も悪びれる様子もなくうなずいた。

「――帰る。あたしは忙しいの」

 少年の自分勝手な言い分なんか相手にしていられない。再び帰るべく少年に背を向けて一歩を踏み出そうとしたが――止められた。

「だから、あたしの服引っ張るなって言ってるでしょ! 結構高かったんだからね、この服!」

「だってだって、お姉ちゃんが帰ろうとするから」

「だから、あたしは忙しいって言ってるでしょ」

「ウソだー。そんなこと言って、実はヒマでヒマでしょうがないんでしょ? 僕知ってるよ? お姉ちゃんに彼氏とかいないの。だから帰っても一人寂しくケーキ食べるぐらいしかやることないはずだよね。――それを知ってるから僕、お姉ちゃんに声を掛けたわけだし…………ん? どうしたのお姉ちゃん、顔真っ赤だよ?」

 ごつんっ!

「あいたっ!」

 夕子に頭をグーで殴られた痛みで、少年は頭を押さえながらしゃがみ込んだ。

「痛いよ、お姉ちゃん……」

「それ以上言うと、殴るわよ」

「もう殴ってるじゃないか!」

「まずは見せしめってことよ。次は当社比一二〇%で行くから。――わかった?」

 と、夕子が言うと少年は素直にコクコクと頷いていた。

 少し、すっきりした。


       *


「まあ、確かにあんたの言う通り、今日はヒマだからいいけど………………でもさ」

 夕子は、頬杖をつきながら、美味しそうにチョコレートパフェを食べている少年を見た。

「なんで、ファミレスに来なきゃいけないのよ」

 二人は、駅前広場から徒歩五分ほど歩いたところにあるファミリーレストランに来ていた。クリスマス・キャンペーンを謳った店内は、なかなかの賑わいを見せていた。カップル比率は……………それほどでもないようだ。せっかくのクリスマス・イヴのデートにファミレスはさすがに使わないと言うことなのだろう。

「結局、あんた、あたしとお話したいっていうのは方便で、ほんとの目的はそのチョコレートパフェなんじゃないの?」

 少年は、チョコレートパフェを食べている手を止めて、にっこりと笑った。

「違うよー。僕は、お姉ちゃんとじっくり話したかったんだよ」

 そう言うと少年は再びパフェを食べ始めた。

「………………ほんとかしらね」

 夕子は、半眼で少年をじっと見ながらつぶやく。

 そして、コーヒーをひとすすり。

 高級レストランで充分食事してきた夕子は、目の前のチョコレートパフェを見ているだけで胸焼けしそうだった。

「お姉ちゃんは食べないの? もしかして、甘い物嫌いなの?」

「そんなことないけど、前のレストランで充分すぎるほど食べたから。さすがにこれ以上食べられないわよ」

 夕子の言葉に、少年は意外そうな声を上げた。

「えー、そうなの? 女の人って、『甘い物は別腹』なんじゃないの?」

「みんながみんなそうじゃないって。――あれは満腹感を吹き飛ばすほど、甘い物が食べたいという欲求を持つ、真の甘い物好きだけが持ち得る特殊技能なんだから」

 真面目に答えるのが馬鹿らしいので適当に答える。

「じゃあ、お姉ちゃんは、甘い物嫌いなの?」

「別に嫌いってわけじゃないけど……特別好きってことはないわね」

「じゃあ、もしかしてお酒好きだったり?」

「お酒? ……飲み会とかではそれなりに飲んだりするけど好きってほどじゃないわね。そもそもそんなにお酒に強くないし」

「そうなんだ」

 うなずく少年。そうやって夕子と会話を交わしながらもパフェを食べる手はまったく止まっていない。器用なことだ。

 本当に美味しそうに食べている少年の顔を見ながら夕子は言った。

「そういうあんたはかなり甘い物好きみたいね。――でも、サンタだったらチョコパフェなんかじゃなくてクリスマス・ケーキでも食べたら?」

 少しからかうように言うと、すると少年は、「とんでもない」と首を振った。

「サンタクロースやってるとクリスマス・ケーキなんてありふれてるからもう飽き飽きなんだ」

「なるほど、そういうもんか」

 夕子は、自称サンタクロースの少年に対して、その真偽について突っ込むことはやめていた。

 疲れるだけなので。

 どうせこの少年とは今日限りの縁だろうし、このノリに付き合ってあげようと思っていた。

 と、自称サンタが、単刀直入に訊いてきた。

「お姉ちゃんってどうして彼氏いないの?」

「……どうしてあんたはそういうことをストレートに訊いてくるかなー」

「もしかして、恋愛に興味ないとか?」

「そういうわけでもないけど……」

「じゃあ、なんで?」

「なんでって言われても……いないものはいないんだからしょうがないじゃない。いくら彼氏が欲しくったって相手がいなきゃどうにもならないことだし。――まあ、あたしが女優並みの美貌でも持ってればなにもしなくても男が寄ってくるかもしれないけど、そんなことはないしね。かと言って自分から積極的に動くタイプかと言うと――そうでもなく。なかなか難しいのよ」

 夕子は肩をすくめて見せた。あんまり言いたいことではないが、いまさら自称サンタの少年に見栄を張ってもしょうがないだろう。

「もっとも、そんなことよりも一番の問題は、彼氏欲しいって欲求が非常に弱いってことなんだろうね」

「……それって……彼氏欲しくないってこと?」

「欲しくないわけじゃないけど、優先順位はあまり高くないのよ。だから『どんなことしても彼氏ゲットするぞー!』というパワーはなくて、『なにもしてないけど、あわよくば彼氏できないかな』というぐらいにしか思ってないのよね」

「そうなんだ」

「そうよ。――まあ、きっとこういう考えがダメなんだろうけど、齢三〇になってから急に性格改造なんてなかなかできないから……」

「でも、お姉ちゃん、今日とっても寂しそうだったじゃない? いいの? それで」

 少年は、パフェを食べる手を止めて、言った。いつもの笑顔が少々かげっていた。どうやら、夕子のことを心配してくれているようだ。

 ――なかなか可愛いところもあるじゃない。

 夕子は、手を伸ばしてテーブル越しに少年の頭にぽんと手を置いた。

「……そりゃ今日みたいな日はね。でも、いつもはそんなことはないから。そんなに深刻な問題に考えなくても良いわよ」

 余計な心配させないように、努めて明るく言った。実際、この少年のおかげでブルーな気分が随分とやわらいでいた。

 少年とは今日限りの縁ということでなんの気兼ねなく自分のことを話せたからかも知れない。

 それを聞いて、少年はまたいつもの笑顔で言った。

「大丈夫だよ! お姉ちゃんには素敵な人がきっと現れるから! 僕が保証するよ」

「あんたに保証されても仕方ない気がするけど……ありがと」

「なに言ってるんだよ。お姉ちゃん。サンタクロースの言うことを疑っちゃダメだよ。――サンタクロースは絶対にウソはつかないんだから」

「あ、そうなんだ。――なら、その素敵な人はいつ現れるのかな? サンタクロースさん」

 少年のノリに付き合って問いかけてみると、私服のサンタクロースは、迷わず答えた

「もう現れてるよ。お姉ちゃんの目の前に」

「ぷっ!」

 少年の、まったく似合わないクサイ台詞に夕子は思わず吹き出してしまった。その後も笑いが止まらずクスクスと笑い続けていた。

「な、なんで笑うのさー」

「だってそこって笑うところでしょ? 『もう現れてるよ。お姉ちゃんの目の前に』だって。あんたちょっとそれ面白すぎよ」

「そんなぁ」

 そんなことを言いながらも少年の口元は笑っていた。夕子もまだ笑いが収まらなかった。

 ――こんなに笑えるとは思わなかったな。

 ついさっきまでは最悪の一日だと思っていたのだが、そうではなかったようだ。


       *


 いい加減、話し疲れてファミリーレストランを出た頃にはそろそろ日付が変わろうとしていた。

「あ、そろそろ時間だ。ありがとう、お姉ちゃん!」

 ようやく深夜と言っていい時間になったので、サンタクロースの仕事をしにいくのだという。

 まあ、そういうことにしておこう。

「そう。頑張ってね」

 夕子はそれだけ言った。それ以上言う必要もないと、思ったから。

「うん。わかった! またね! 夕子お姉ちゃん!」

 少年は元気よく言うと元気よく走り出していった。

 と――

 少年はすぐに立ち止まった。そして、こちらに振り返り、夜空を指さした。

「お姉ちゃん、見て! 雪だよ」

「え?」

 言われて、視線を上に向ける。が、雪など降っていなかった。

「……まったくなに言ってんの――あら」

 と、視線を戻すと少年の姿は姿は見えなくなっていた。

 よほど速く走って見えない所まで行ってしまったのか。

 それとも――

「……ふふっ」

 夕子は深く考えることは止めた。

 ――さて、帰ろっかな。明日も仕事だしね。

 自称サンタクロースの少年と過ごしたの奇妙なひとときを思い返しながら、夕子は元気な足取りで家路についた。

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