第8話 丁寧にケアさせていただきます
冒険者ギルドのクエストボードを眺めていると、小規模なダンジョンに関する依頼を見つけた。場所はリスタウンの北東にある下水道跡――かつて街の拡張とともに廃止された地下施設で、今ではモンスターが潜む“迷路”のようになっているらしい。
「『スラッジラット』の群れが下水道跡で繁殖していて、衛生面に問題が出ているから駆除してほしい……だそうだ。報酬はそこそこ、だけど初心者でも挑みやすいって書いてあるな」
俺が依頼書を手に取りながら呟くと、アメリアが隣で軽く首を傾げる。
「スラッジラット……悪臭を放つネズミ型のモンスターですよね。集団で襲ってくる可能性がありますが、戦闘能力はそれほど高くないと聞きます」
「うん、確かHPも防御も低めだけど、毒や病原菌持ちの場合があるとか。まあ、初心者向けには手頃なクエストかも」
「ご主人様が望まれるなら、このクエストを受けましょう。いつものように、毒対策のアイテムだけはしっかり用意しておきますわ」
「助かるよ、アメリア」
こうしてクエストを受注し、ギルドに必要書類を提出したあと、二人は地下水路跡へ向かうことにする。リスタウンの外れにあるその入り口は、古びたレンガ造りのアーチが残っていて、すでに冒険者向けの警告看板が立てられている。薄暗い通路の奥からは、かすかな湿った空気が感じられた。
「わ……想像以上に湿っぽくて、独特のにおいがするな」
「ご主人様、マスクをなさるといいかもしれません。私も予備を持ってきましたので、よろしければどうぞ」
アメリアが差し出すのは簡易のガーゼマスク。臭いを少しでも緩和するためにはありがたい。俺は笑顔で受け取り、耳にかける。
「ありがとう。ほんと、何から何までアメリアに助けられてばかりだな……」
「そんなことはございませんよ。ご主人様がいらしてこそ、わたくしもこの世界でメイドとして生きる意味を感じるのです。それより、足元がお滑りにならないよう、どうかお気をつけて」
彼女は俺の背後からさりげなく手を添え、濡れた石畳で足を取られないようサポートしてくれる。こういう細やかな気配りが、俺を何度も救ってくれてきたことを思い出す。
(……よし、ちゃんと頑張ろう。アメリアが安心してついてきてくれるように、俺だって守るんだ)
身を引き締めつつ、下水道跡の通路を進む。だが、最初はただ暗いだけでモンスターの気配は薄い。ライトを照らしながら奥へ進むと、水たまりが増えてくる場所に差し掛かる。
「ギチギチ……」という妙な擦れた音が響き、少し先の暗がりから小さな赤い目がこちらを睨んだ。スラッジラットだ。五匹ほどの群れがこちらの存在に気づき、キーキーという不快な鳴き声を上げながら散開する。
「ご主人様、どうやら集団行動しているようですわ。あまり深追いなさらぬよう」
「ああ、わかってる。とりあえず、俺が射撃で牽制するから、アメリアは周囲の警戒頼む」
「かしこまりました。ご安心ください、後方から来る敵はわたくしが対処いたします」
そう言ってレイピアをすらりと抜くアメリア。その横顔は落ち着きはらっている。俺はハンドガンを構え、一番手前にいた一匹へ狙いを定めた。
「――そらっ!」
パンッ!という乾いた発砲音。跳ねた弾がラットの胴体を貫き、血飛沫を上げて倒れる。すると残りのラットたちが、鋭い牙をむき出しにしながら突進してきた。
「うわっ、けっこう速い!」
想像以上の素早さに焦りそうになるが、アメリアの落ち着いた声がすぐに背中を押してくれる。
「ご主人様、落ち着いて。次は左側の個体が先に噛みついてくるようですわ」
「助かる!」
指示された通り左のラットに再度狙いをつけ、二発目を撃ち込む。小さな悲鳴とともに二匹目が沈む。すると、残りのラットがこちらではなくアメリアの方へ回り込もうと足を変えた。
しかし、アメリアは冷静に一歩退きながらレイピアを振るい、一匹の頭を的確に刺し貫く。あっという間に仕留め、最後の一匹は俺がナイフで急所を斬りつけて倒した。
「ふう……臭いが強烈だな。念のため解毒ポーションを使っておこう」
「そうですね。ネズミ系のモンスターはどんな病原菌を持っているか分かりませんから」
アメリアは袋から小瓶を取り出し、俺と自分の口に少量含む。ほろ苦い味が喉を通ると、じわりと身体が温まっていくような気がする。
「はい、ご主人様。こちらのタオルで手を拭いてください。雑菌や毒が付着している可能性がありますわ」
「ああ、ありがとう」
言われるがままタオルを受け取り、手指を丁寧に拭く。彼女はさらにアルコールスプレーも取り出し、俺の手を消毒してくれる。一連の動作が、なんだか母親のような、あるいはとても頼れる姉のような、そんな優しさに満ちている。
(……いつもそうだ。戦闘の後もすぐにケアをしてくれて、心から安心できる)
アメリアはまるで“究極のメイド”だ。俺が傷つかないように常に前後を見つめ、危険を避けられるように誘導し、さらに終わった後には手厚いアフターケアまでしてくれる。
「ご主人様、もし疲れを感じるようでしたら、しばらく腰を下ろして休憩なさってください。暗くてじめじめした場所ではございますが、私が回りを見張っておりますので」
「い、いや、まだ大丈夫だよ。まだまだ動ける」
「そうですか。ご無理なさらないよう、いつでも遠慮なく仰ってくださいましね」
優しい微笑みに、思わず顔が熱くなる。アメリアは俺を甘やかしすぎなのかもしれないけど、悪い気はしない。いや、むしろ最高だ。彼女がいてくれるだけで、恐れや不安よりも“やってやろう”という勇気が湧いてくる。
そのままさらに下水道跡を奥へ進む。脇道や崩れた壁の隙間から、時折スラッジラットが現れるが、俺とアメリアの連携でもう危なげなく撃破できるようになっていた。
「こうやって二人で戦うと、あっという間だな。相性がいいのかも」
「はい。ご主人様が私を信頼してくださるから、スムーズに動けますの。連携が取れていると実感できるたび、胸が弾みますわ」
アメリアは優雅に礼をしながら、ほんのり頰を染めている。俺も自分の頰が火照っているのを感じた。
……やがて、ひととおりのスラッジラットを駆除し終えると、下水道の最奥と思しき行き止まりにたどり着いた。そこにはかつての排水口らしき大きな扉があり、その周囲に大量のラットの亡骸が散乱している。
「目標数は充分に狩ったみたいだね。これで依頼も達成だろう」
「ええ、そう思います。ギルドへ報告すれば十分かと」
依頼の達成証明として、一部のラットから収集した特定の部位(耳や尻尾など)を袋にしまい、帰路につく。思ったより短いクエストだったが、実はゴミや汚泥を踏み抜くストレスが大きい。早く外の空気を吸いたいと願うばかりだ。
「……しかし、本当に臭いな。服に染みついてないか心配だよ」
「ふふ、では後ほど宿へ戻りましたら、私がご主人様の服をしっかり洗濯いたしますね。匂い残りがないよう、丁寧にケアさせていただきます」
「頼りになるよ。アメリア、ありがとう」
そうやって会話を交わしながら、地上へと向かう。やっと明るい陽光の下に出ると、アメリアがくすっと笑いを漏らした。
「ご主人様、今のお顔、とても誇らしげですわ。スラッジラット退治など、もはや容易にこなせる実力を得たのですね」
「そ、そうかな? ま、でもアメリアが一緒だからだよ。俺だけじゃ心細いし」
「そのお気持ちだけでも十分嬉しいです。どうか今後とも、私にいっぱい頼ってくださいませ。私はどんなときもご主人様を全力で肯定し、お支えいたしますわ」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。そう、アメリアの“全肯定”が俺の一番の力になるんだ。苦しかった前世の俺とは違う――今、俺は確かな充実感を手にしている。
「……ありがとう、本当に」
自然とそう呟くと、アメリアは柔らかく微笑んでくれた。俺はその笑顔を見つめながら思う――この世界で、彼女と一緒にまだまだ前進していきたい、と。
こうして、下水道跡のクエストを終えた俺たちは、ギルドへ戻り報酬を受け取り、また一歩、冒険者としての道を歩んだのだった。
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