氷河期フレンズ
板倉恭司
氷河期フレンズ
ネット小説界隈で、よく言われているセリフがあります。
「リアルの生活がつらいから、ノーストレスの異世界転生作品が好き」
「つらい現実と戦っている人ほど、ハッピーエンドが確約されたチーレム作品を好む」
特に、氷河期世代ほどノーストレスな異世界転生作品を好む……と言われているそうです。ちなみに氷河期世代とは、バブル崩壊後の一九九〇年代から二〇〇〇年代に就職活動を行った世代を指し、ロストジェネレーション世代とも呼ばれているそうです。私も、その世代に該当しております。
さて、ここからが本題です。
まずは、私の軽い自己紹介をしましょう。私が生まれ育ってきたのは、都内の某地区です。ガチでヤバい地域に比べると、かなりマシな方ではありましたが……それでも、治安は悪かったですね。
近所の公園に行くと、必ずといっていいくらい制服姿でタバコを吸っている中学生がいましたし、時には小学生も混じっていました。半ズボン姿で自転車に乗りながら、タバコを吸う小学生……今思うと、なかなかシュールな光景でした。もっとも、下町では珍しくないのかもしれませんが。
また夕方から夜になると、明らかにヤバいものをキメてご機嫌になっている若者の一団に、よく出くわした覚えがあります。ひどい時など、薬物の影響でしょうか? お兄さんがゲラゲラ笑いながら追いかけてきて、必死で逃げた記憶があります。まあ、向こうはからかっているつもりだったのかも知れません。
そんな地域に育った友人たちの中でも、特に印象に残っているのが……今回の主役ケンジン(仮名)です。
まず、ケンジンの家は母子家庭でした。さらに、彼の兄と妹は知的障害者だったのです。特に兄の方は症状がひどく、よく奇声を発しながら街中を徘徊していました。そのため、ケンジンはちょくちょく兄の世話をさせられていたようです。今でいうヤングケアラーでしょうね。
妹の方は、まだ症状が軽かったようですが……それでも、障害があることに変わりはありません。その兄妹の存在は、彼の人生にのちのち深い陰を落としていくのですよ。
これだけでも、充分に不幸なのですが……それに加え、ケンジンの母親は『エホバの証人』という宗教へと入信しました。彼が小学生の時のことだったようです。これまた、ケンジンの人生にはかなりの影響を与えたのです。
ケンジンと私は、同じ小学校に通っておりました。クラスは違っていましたが、ケンジンがどういう環境で育ったかは聞いていました。そのため「大変な奴だな」と思ってはいましたが、それ以上の印象はなかったです。小学校の時は、話した記憶もありません。
そんなケンジンと私とが友人になったのは、中学生になってからでした。私と彼は、ヤンキーのグループに属していたのです。
私は中学に入った直後から、イジメられるようになりました。現代の若い人たちには理解できないことかもしれませんが、この当時イジメに遭うというのは恥ずかしいことでした。
今もはっきり覚えていますが、何かの討論番組でタレントの故・飯島愛さんが「あたし、学校ではイジメる方だったし」とドヤ顔で言っていました。当時、イジメる方が学校内のカースト内では上位であり、イジメられる奴は下位で情けない奴……という見方が一般的だったのです。
で、私はその情けないイジメられっ子になってしまったのです。ならば、ヤンキーになるしかない……というわけで、私はヤンキーのグループに入ったのです。
それから、ほどなくしてケンジンもヤンキーになりました。彼もまた、イジメを受けていたのです。しかもケンジンの場合、兄妹が障害者で母が得体の知れない宗教の信者ですからね。これはもう「イジメてくれ」と言っているも同然の状態でした。
そこから、私はケンジンと話すようになったのですが……この男の中には、堅苦しいまでの真面目さと斜に構えた虚無的な部分とが同居していました。少なくとも、他のヤンキーとは明らかに違うものを秘めていたのです。読書量も豊富で、会話の中に時折とんでもない作品名が出てくることもあったのです。
にもかかわらず、やることは無茶苦茶でした。仲間に煽られると、とんでもないことをしでかすのですよ。
当時の私は、せいぜいタバコ吸ったりケンカしたりする程度でした。で、とにかくケンカに強くなるため筋トレしたり格闘技をかじったりしていました。バイクで暴走したりシンナー吸ったり……ということはしていません。
ところが、ケンジンは明らかに危険な方向に行っていたのです。私は見ていて「こいつ大丈夫かな」と思っていたのを覚えています。
しばらくして、我々は高校に進学しました。私は都内でも最低レベルの工業高校、ケンジンはそれよりはいくらかマシな普通高校です。
私は、その工業高校をどうにか卒業しました。しかし、ケンジンは一年も経たぬうちに学校をやめてしまいました。その後、ケンジンはバイトなどしながら生活していたようです。
やがて二十歳をすぎると、我々の生活にも変化が訪れます。ケンジンは、人が変わったように真面目になりました。彼女が出来たのを機に、生き方を変えたようです。ちなみに彼女は超美人……というタイプではなかったですが、地味で優しくて真面目な子でした。笑顔の可愛い癒やし系でしょうかね。
一方、私はといえば……高校を卒業した後は、しばらくの間何もせずブラブラしておりました。昔の友人たちともツルンでいましたが、その頃になると「あいつはケンカで逮捕されて執行猶予中だ」「誰々はクスリでパクられて少刑(少年刑務所のこと)にいった」みたいな噂を耳にするようになります。
たまにケンジンと会い、そんな話をすることもありました。すると「今の俺には関係ない連中だ」みたいなことを言っておりました。
ある時など「彼女と結婚し、あの家から離れたい」みたいなことを、ポロッと漏らしたこともあります。彼の口から、結婚という言葉が出るとは思いませんでした。
この時が、ケンジンにとってもっとも幸せな時だったのかも知れません。
その後、ケンジンは彼女と別れました。理由は、はっきりとは語りませんでしたが……当時、ケンジンが暗い目でこんなことを言ったのを今も覚えています。
「俺の子供ってさ、遺伝的に障害児になりやすいみたいなんだよな」
おそらくですが、これが別れた原因のひとつではないかと思っています。もちろん、本人から確認をとったわけではありません。
その後、ケンジンの暴走が始まります。
中学の時、同級生にヤクザとかかわっていたパコ(仮名)という男がいました。こいつはどうしようもない奴で「俺は昔、百人の子分がいた」「山に死体を埋めた」などと、ホラばかり吹くのです。ヤンキーないし元ヤンキーにありがちなタイプですね。
このパコですが、覚醒剤の依存症……いわゆるポン中でした。また、ヤクザから買った覚醒剤を小分けし、友人たちに高く売りつける(元値の数倍)というセコい真似をしていたようです。
ケンジンは、よりによってこのパコとツルむようになったのです。彼は、たちまち覚醒剤にハマりました。仕事も辞め、プラプラしつつ時おり闇バイトのようなことをやっていたようです。ちなみに、当時も闇バイトのようなものがありましたが、知人からの紹介がほとんどでした。強盗や窃盗のような直接的な犯罪は少なかったようです。
ほどなくして、ケンジンは逮捕されました。覚醒剤取締法違反です。ただ、この時は執行猶予で済みました。
これで懲りないのが、ケンジンという男です。彼は、その後も覚醒剤をやり続けていました。今も覚えていますが、目の下は真っ黒で腕には数か所のシャブ痕、しかも顔の肉は削げ落ちた状態です。
そんな姿で、外を出歩くケンジンを見ているうちに、私にもある思いが生まれたのです。
ある日、ケンジンに電話をかけると、明らかに様子がおかしい状態でした。私は、出来るだけ冷静に言いました。
「お前なあ、いい加減にしろよ」
「何が?」
ケンジンは、とぼける気のようでした。私は腹が立ち、電話にて怒鳴りました。
「またシャブやってんだろうが! 今度パクられたら刑務所だぞ! お前、川越少刑に行きてえのか!?」
一応、説明します。川越少刑とは川越少年刑務所のことです。イジメが凄く運動もキツい量をやらされ、上下関係も厳しくリンチもちょいちょいある……と、当時のヤンキーたちから恐れられていた場所です(今は知りません)。
とにかく、私はケンジンに立ち直ってほしかったのてす。ところが、これは逆効果でした。
「うるせぇんだよ! てめえに関係ねえだろうが! だいたい、シャブやったこともねえお前に何がわかんだよ!?」
怒鳴り返してきたケンジン。そのテンションは、一瞬にして上がっていました。これ、ポン中の特徴なんですよね。
私は、怯みながらも言い返しました。
「お前、このままたと人生めちゃくちゃだぞ! それでいいのか!?」
対するケンジンは。さらにとんでもないことを言って来ました。
「俺の人生はな、生まれた時からめちゃくちゃなんだよ! てめえ、今度会ったら絶対に殺すからな!」
これで電話は切れました、細部は違っているかも知れませんが、ほぼ記憶通りのやり取りです。
その後、別の友人から連絡があり、「ケンジンの奴、板倉をブッ殺すって言ってたぞ。あいつ本当にやりそうだから気をつけろ」と言われました。ビビった私は、しばらく外出を控えました。
その後何年かして、ケンジンは逮捕されました。またしても、覚醒剤取締法違反です。執行猶予は切れていましたが、実刑判決を受けたとか。ただ、年齢制限をパスしたため川越少刑への送致は避けられたようです。
今になってみると、このケンジンの抱えていた問題の大きさが、幾分かわかってきた気がします。
ケンジンには、生まれた時に父親がいなかったのです。しかも、兄は知的障害者でした。彼は、弟でありながら兄の面倒を見るという特異な環境で育ってきました。そのことで、周囲から奇異の目で見られるという体験もしてきました。
しかも、小学生の時に母親がエホバの証人に入信します。ケンジンも、幼い頃は無理やり集会に参加させられていたようです。そこで、いろいろなことを教えられました。「校歌を歌うな」「盆踊りに参加するな」などなど……どうやら、校歌を歌うことは学校を崇拝することになり、偶像崇拝に繋がるようなのです。
ケンジンは、教えにバカ正直に従い校歌を歌わなかったところ、教師や同級生から散々にイジメられたとか。他にも、エホバの証人の教義に従ったがゆえに、他の者から奇異な目で見られることも少なくなかったようです。
余談ですが、宗教二世の方々の書かれた体験記など読むと、幼い頃のつらかった思い出が切々と書かれています。ケンジンも、同じ気持ちを味わってきたのだろうな……と今になって感じました。
そうした歪みが、中学生になると一気に押し寄せてきました。ケンジンへのイジメはさらにひどくなり、そこから逃れるためにヤンキーになったのです。エホバの証人の集会へは、それを機に行かなくなったそうです。エホバの証人で学んたことは、ケンジンの人生にマイナスの作用しかしなかったようですね。
当時のケンジンは、結構とんでもないことをやってました。他人に直接の暴力を振るったりはしなかったものの、こちらが引いてしまう悪さを平気でやっていました。素面で立て看板を車道に投げつけたり、神社か公園に刺さっていた立て札を自宅に持って帰ったり……誰の得にもならない破壊的なことを、何の理由もなく突然やらかすのですよ。
今になって思えば、これは彼なりの世の中に対するメッセージだったのかもしれません。映画『アマデウス』で、サリエリという人物が神への信仰を捨てるため十字架を焼くシーンがありますが……ケンジンの行なってきた悪さも、同一線上にあるような気がします。
それでも、二十歳を超えた頃に彼女が出来たため、ケンジンは真面目に生きようとしていました。将来は、彼女との結婚も考えていたようです。
ところが、そこで遺伝的な問題が浮上してきました。兄と妹が障害者であるため、自分の子供も障害児になりやすいのではないか……というものです。ひょっとしたら、相手方の親からも何か言われたのかも知れません。まあ、それだけが原因ではないでしょうが、彼の生き方を歪めていった一因なのは間違いないでしょう。
彼女と別れたケンジンは、よりによって覚醒剤に手を出してしまったのです。
一年も経たないうちに、ケンジンは完全なポン中と化してしまいました。私はケンジンに、何とかまともな人生に戻って欲しい、と思いましたが無駄でした。
ちなみに、ポン中に一般人がかかわるのは、絶対にやめてください。ましてや、更生させようなどと考え説教したりしないでください。何を言おうが、聞く耳持ちません。それどころか、ポン中特有の勢いと勘ぐりとで、本当に殺されてしまうケースもあります。
最後になりますが、ケンジンとはその後一度だけ話しました。十年近く経ってから、電話で連絡してきたのです。ただ、それからまたしても連絡が取れなくなりました。未だに消息不明の状態です。
そんなケンジンですが、最後の会話の中で忘れられないやり取りがあります。私が「最近、ネット小説とかよく読むんだよね」と言いました。実は当時から少し書いていたのですが、ちょっと恥ずかしくて言えなかったのです。
すると、ケンジンからこんな言葉が返ってきました。
「ああ、あの異世界行ってスゲー強くてハッピーラッキーで話が進むやつだろ。あんなくだらねえもの読めねえよ」
もちろん、ケンジンが異世界ものをたくさん読んでいたとは思えません。表面的な印象で語っていた可能性もあります。単に好き嫌いかも知れません。ただ、彼レベルの不幸を異世界もので癒やすのは不可能でしょうね。
ちなみに、ケンジンがポン中になる前「なんか面白い本ある?」と彼に聞いたところ、北條民雄の『いのちの初夜』を勧められました。さっそく読んでみたところ、あまりにもヘビーな内容で衝撃を受けました。その日一日は、軽く鬱だったことも覚えています。
氷河期フレンズ 板倉恭司 @bakabond
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