鳥影 8

 十七



「滝岡さん?」

神尾が滝岡が患者に関して問い合わせてきた内容に関して返信したとき。

 しばらくして、受信確認と同時に滝岡のメッセージが入ったのに気付いて開けてみる。

「…ありがとう、ですか。何だか本当にらしいな」

思わずも微笑んで、滝岡が返してきたメッセージをみる。それから、ふと。

「…起きてるかな?」

滝岡さん、とコールしてみたら。

「…神尾?どうした?」

「滝岡さん、あ、…はい」

思わず滝岡さんだ、とぼんやり神尾がデータを送ったばかりのタブレットをみていると。

 少し、おかしみを感じて微笑うような滝岡の気配がして。

「患者さんの情報をみてくれてありがとう。…そちらはどうだ?神尾」

「…滝岡さん、はい。調査は順調です。おかげさまで、フィールドでの採取も明日には終わりそうですから」

「そうか、それはよかった。採取というのは、何をするんだ?」

「鳥の糞とかの採取をするんですよ。人数があるだけはかどりますからね。僕もやらせてもらっています」

 そうした会話をして。



 十八



 翌朝。

 ホテルのロビーで、出発の準備を済ませて神尾がニュースをチェックしようとタブレットを開いて。

「――東京都内、神田の公園で、野鳥から鳥インフルエンザの陽性反応が、―――」

「千葉の印旛沼で、コハクチョウの死骸がみつかり、鳥インフルエンザ疑い例として、――」

凝然と神尾が鳥インフルエンザに関するニュースアラートを集めていたタブレットの画面を見つめて。

 吉岡がロビーに下りてきて、無言で置かれていたテレビのリモコンを操作して画面をかえる。

「――――東京都内、神田の公園で、野鳥から鳥インフルエンザの陽性反応が出たことを受けて、環境省は周辺十キロを監視地域に指定しました。次のニュースです。――」

 ちっ、と険しい顔をして吉岡が画面を睨み、傍らに座る神尾を振り返る。

「神尾」

「――はい、ニュースでは野鳥でしたが、種類は何ですか?回収したのは?」

「回収したのは五日、関東圏では初めてだな。コハクチョウより早い。…―――千葉のコハクチョウはもう知ってるか?」

「いまニュースで読みました。印旛沼はコハクチョウですが、東京は」

環境省のデータにアクセスしようと検索しながら神尾が問うのに、吉岡が頭を掻きむしる。

「…くそっ、まだ載ってない。担当に聞き出したんだが、…。オオタカだ」

「…オオタカ」

茫然と見返す神尾に、吉岡が毒づく。

「…ったく、オオタカだよ!くそっ、…――今年は本当に広がりが、―――」

「オオタカですか。――」

神尾が立ち上がり、沈黙して立ち尽くす。

茫然としながら、神尾が言葉を無くしていたとき。

「…――滝岡さん?」

「何だ?」

驚いて目を見張り動けない神尾に、吉岡が気付いて振り向く。

 ホテルのロビーに姿を現わした長身にコートと鞄を手に持ち、スーツ姿の立派な穏やかに落ち着いた印象の人物が歩み寄って来るのに。

「滝岡さんって、…?」

吉岡が何か言葉を継ぐ前に。



「…神尾?」

「…――滝岡さん、」

慌てて腕を差し伸べて、滝岡が神尾を受け止める。

「…―――」

思わずも沈黙している滝岡の肩を枕にして、立ったまま睡眠に突入している神尾。

沈黙したまま神尾を腕に支え、驚きながらも何とか倒れないようにしている滝岡を。

 これも無言で、首を捻りながら吉岡が近付いて。

「どーも、おれ、北大の吉岡です。あんた、神尾がいってた、変人に囲まれてて気の毒な滝岡さん?」

無精ひげが浮いて出ているフィールド調査の格好をして柄が悪くも見えかねない吉岡を、驚きながらも滝岡が見返す。

「はい、その、…おそらくその滝岡です。初めまして、神尾が世話になっています。滝岡総合病院の滝岡です」

「あー、うん。世話っていうか、こっちが手を貸して貰ってるんだけどな、助かってる。あんたが、神尾の出先の人か。どうしたんだ?どうしてここに、―――っていうか、神尾?本気で寝てるのか?」

眉を寄せて寝ている神尾を覗き込む吉岡に、滝岡が微苦笑を零しながら答える。

「どうやらそのようです。話せる場所はありますか?」

「あー、うん」

吉岡が驚いている内に、神尾の手にあるタブレットを器用に取って、神尾を軽く肩に担ぎなおす滝岡に。

「ここでは何ですから、移りましょう」

 うんうん、と吉岡が滝岡をみて無言で頷く。

それに穏やかに微笑んで、滝岡が神尾を肩に担いで、先導する吉岡についていく。

そして。

運ばれながら、全然まったく目を醒ます気配のない神尾。

ちょっと言葉を無くしながら、滝岡を連れてとりあえず、人目に立つロビーを出る吉岡。

周囲に構わず、その中で思い切り睡眠に突入している神尾がいるのだった。



 十九



「すみません、…昨夜ちゃんと寝たと思ったんですが」

反省しながら、車が止まった移動先で一応起きた神尾がいうのに。

「いや、目が醒めてよかった。このままずーっと眠ってたらどうしようかと思ったよ」

吉岡が頷きながらいうのに、神尾が困った顔をして見返す。

 それに、隣で穏やかに微笑んで。

「確かに驚いたが、それで、寝不足は解消できたのか?」

「ええと、…多分、はい。すみません」

 ――滝岡さんの顔をみて反射的に寝るなんて、と。

しみじみ反省している神尾の顔を楽しそうに吉岡がみる。

「しっかし、移動の車に乗せられたときも全然目を醒まさないんだもんなー、神尾、おまえよっぽど最近寝不足だったのか?」

「ええと、その、はい、…すみません」

口を濁す神尾を、楽しげに車を降りた吉岡がみて身体を伸ばす。

「まあ、移動時間で目が醒めたんなら、丁度いいだろ。しかし、神尾おまえ面白いな」

楽しげにからかう吉岡に視線を逸らしながら、同じく車から降りて構内の道を歩き始めた神尾が隣に立つ滝岡を見る。

「どうして、いらしたんです?」

「いや、…すまん。こちらに呼ばれてな」

微苦笑を零してみる滝岡に神尾が困って視線を逸らして。

「ええと、その、」

「睡眠不足が解消できたならいい」

「それで、何故こちらに?」

「そうか、おまえはまだ聞いていないんだな。吉岡さんにも話したが、こちらの大学病院に呼ばれたんだ」

「僕達がこれから分析に使わせてもらう大学のですか?」

「偶然だろう?とにかく、おまえが行けと光にいわれてな、…」

今度は、滝岡が遠くをみるようにしてしばし青空に視線を置くのに。

「光さん、神代先生にですか?」

「そうだ、…。まあ、詳しい事情は後で話す。とにかく、行こう」

「そうですね」

構内――秋田大学の構内を歩いていた彼らの先を行っていた吉岡が、入口で大きく手を振って呼んでいるのに。

 滝岡と神尾が互いにみて頷いて。

「ほら、神尾!滝岡さんも、―――はやくこいよ!」

大学の古い渡り廊下の入口に立ち、丸い硝子の大きな掴みを取って、吉岡がガラス扉を開いて二人を待っている。

 廊下の向こうに見える古い中庭を見ながら、滝岡と神尾が少し急ぎながら歩いて。



 二十


 廊下を行くと出迎えに出ていた痩身白髪の紳士が穏やかに頷いて招くのに話をしていた吉岡が気付いて挨拶する。

「検査に検体を送って北大でも分析は始めてるんだが、こっちで器機が借りられるって話になったからな。あ、どうも滋原先生、お世話になります」

「どうも、滋原です」

小柄で穏やかな紳士といった風情の滋原が、微笑みながら研究室に招き入れてくれるのに吉岡が肩に担いだクーラーボックスを直しながら、破顔して中に入る。

「お久し振りです。この度はどうも、ありがとうございます。こっちは、神尾と滝岡先生です。神尾はご存じですね?」

「勿論、お久し振りだね、神尾君」

「はい、お久し振りです、滋原先生。この度は検査器機と場所を貸してくださってありがとうございます」

穏やかに微笑む滋原に頭を下げる神尾の隣で、滝岡も一緒に軽く礼をする。それに、滋原が少し驚いたようにみて。

「こちらは、それで、…滝岡先生?」

「あ、はい、」

言い掛けた滝岡を遮って吉岡が明るくいう。

「こちらの病院に呼ばれて来たんだそうです。神尾の出向先の先生なんですと」

「ほう、神尾君の?しばらく日本にいるらしいとは噂できいてたがね」

興味深そうに滝岡をみる滋原教授に、滝岡が瞬いて。

「いえ、その、…――いまうちで感染症の研究と術後管理等での相談等をお願いしています。滝岡総合病院の滝岡です」

よろしくお願いします、と手を差し出す滝岡の手を握って。

「滝岡総合病院、――神代先生のいる、横浜の滝岡総合病院かね?」

訊ねる滋原に滝岡が破顔する。

「はい、神代のいる滝岡総合病院です。神代をご存じですか」

うれしそうに訊ねる滝岡に、神尾が思わずその様子を見あげる。

「天才だと聞いているよ。とても腕の良い外科医で国際的にも活躍していると」

「ありがとうございます。ええ、今度、神代にも伝えておきます。今回は、神代ではなくて申し訳ないのですが、こちらの病院に相談を受けて、私が来ました」

光を褒められて本心から実にうれしそうな滝岡に、内心、神尾が驚きながらつい見つめてしまう。

 ――本当にうれしそうだなあ、…滝岡さん。

これが永瀬辺りなら、滝岡ちゃんの光ちゃんラブは極まってるもんね、という処だが。いとこの腕を褒められて純粋にうれしそうな滝岡に、ちょっと神尾が感心しながらみていると。

 吉岡が、クーラーボックスを顕微鏡などが置かれた台において振り返る。

「じゃ、滝岡先生、神尾とその呼ばれた方に行ってください。こっちは滋原先生とやっておくから、頼んだぞ、神尾」

「…え?あの?その?」

思わず茫然としていると、目の前でもう滋原教授と吉岡がクーラーボックスに屈み込んで検体を取り出して何か話を始めていて。

「ええと、僕は、…?」

「…―――」

無言で滝岡が混乱している神尾の肩を抱いて扉から外へ。

「え、え?あの、…滝岡さん?」

廊下を遠ざかる神尾の声にもまったく構わず、滋原教授と吉岡は既に何やら話し込んでいて。



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