鳥影 7

 十三



 海岸線に近い場所で、神尾が地面に屈み込んでいる。コの字型の定規を地面に置いて写真を撮る神尾の傍に吉岡が来て肩をすくめる。

「おまえさんが来てくれて助かったよ。採取の仕方も教える必要ないしな」

コの字型のスケールの間に置かれているのは、水鳥の糞。写真を撮って大きさを記録した後、次はビニールに入れて重さを計測する。

「お役に立てているのなら幸いです」

「立ってる立ってる。おかげで、若いののチームを別の地区に回せるしな。機動力が増えるってのは大事なもんだ」

「吉岡先輩。」

重さと大きさ、採取日時等を記録してシールしてから採取箱に収めて。顔をあげて微笑むと神尾が立ち上がる。

「機動力ですか」

穏やかな表情で見返す神尾に、吉岡が海面を見通そうとでもいう風に眺めて息を吐く。

「おまえさんの勘が移ったわけでもないがな」

腰に手を当てて、まだ白む前の日本海を見つめる。

「…データを出来るだけ、はやく集めたい。」

「わかりました」

それ以上何もいわずに、次の採取対象を探して海岸線をみる作業に戻る神尾の背を吉岡がみて。

「ったく、おまえさんはな」

苦笑して、自らも神尾と採取に入る前に取り決めた区画の中で野鳥の糞を採取する為に注意深く視線を地面へと向けていく。



 十四



「午前中の採取が二十検体、カモ、五、と。ありがとよ。おかげさんで、思ったよりはやく仕上げられる。点と線、そして面、だな。この地区のグリッドはここまで埋められそうだ」

「一度戻って分析ですか?」

「夕方にもう一度生息地の観察してな。朝夕でねぐらに帰る様子とできれば群れ全体の記録を撮って分析だな」

車に戻って記録を纏めていう吉岡に、ノートパソコンに同じく資料を纏めていた神尾が顔を上げずにファイルを吉岡のPCに送る。

「それですが、使えるようならみてください」

「って何、…だっ、て本当におまえ使えるなあ、…」

送られたファイルを開いて吉岡があきれた風にいうのは、再生が始まった動画だ。

「あーと、動物園近郊の生息地の記録か、…おまえ、これ本当に着いて三時間程で撮影したのかよ?」

「ここへ来る途中のものですからね。データが少なくて申し訳ないんですが」

日時とロケーションが画面の隅に同時に表示される画像をみて吉岡が唸る。河川、湿地帯、動物園近郊の里山。それぞれに群れる鳥達の映像と、ズームされた画像にはそれぞれの種別が解る形で記録が撮られている。

「…調べる場所の参考になればという程度のものですから」

「おまえさんな」

あきれた視線を吉岡が向ける。

「…はい?」

「こんだけ完璧なのを寄越しといて、―――お、これ緯度経度マークすると地図に連動してんのか。すげえ便利だな、神尾」

吉岡が食い入るように画面をみて別画面で場所がマークされた地図が開くのに凝視しながらいうと。

「西野さんっていう、いまの出向先の人が僕の要望で作ってくれたんです。便利でしょう?感染症の時系列での伝搬を知りたいときにすごく役立つんです」

目を輝かせていう神尾に、胡乱な視線を吉岡が向ける。

「…そーいやおまえ、忘れてたけど感染症専門だったな」

「忘れないでくださいよ。これ、遺伝子変異のタイムスタンプも作れて、非常に便利なんですよ。検体から採取したRNAとかを記録しておいて、後でサーチして変異箇所をリマークすることもできるんです」

黒瞳をきらきらと輝かせて感染症の原因であるウイルスや細菌の遺伝子解析について熱く語り出しそうな神尾を、吉岡が手をあげて遮る。

「わかった!おまえのウイルス愛についてはよーくわかってるから、いまは語るな!」

「ウイルスだけじゃありません。細菌のことも愛してます」

「…とうとう否定しなくなったか、…――いや、わかったから!おまえさん、本当に微生物以外に愛はないのなあ」

あきれた顔でみて大きく眉を寄せて云う吉岡に、神尾が不思議そうに首を傾げる。

「ありますよ?愛は。別に微生物にだけ愛があるわけではなくて、多細胞生物に寄生して交換が起きることで生活環が成り立っているわけですから。多細胞生物の始まりは、そうした単純な構造の生物同士が増殖や栄養素を得る為に互いに共生を始めたときから始まっているわけですから、その原始の形態である細胞共生を始める以前の形態である細菌やウイルスという生命形態が、地球上に生命が発生してから、人には計れない数億、数十億年を超えるオーダーが過ぎる中、それでも殆どの生命の基本であり、かわらない姿のままある意味生き続けているという点には感動しますが」

にっこり実に爽やかに微笑んで語る神尾に、がっくりと肩を落として吉岡がいう。

「おれが悪かった、…」

「もう行きましょうか?この地点での採取は終わりましたよね?」

「ああ、…だな、車出すわ、…おれは多細胞生物っていうか、できれば恒温動物で脊椎があって羽毛とかだな、…」

ぶつぶつとつぶやきながら吉岡が運転席に移ってエンジンを掛ける。

「シートベルトしめろよ!」

「はい」

にっこり、神尾が笑顔で応えるのに、半ばやけくそで吉岡が。

「よーしっ!行くぞっ!」

「安全運転でお願いしますね」

害の無い笑顔でいう神尾の整った容貌を吉岡がいやそうにみる。

「おまえ、本当に先輩に対して敬意抱いてるか?」

「勿論です。どうしたんですか?」

「…いや、――よし!発進!」

吉岡が再度うなって、車が合流場所へと向けて動き始める。



 十五



「神尾、今度手術をする患者さんなんだが、…――」

言い掛けてがくりと肩を落とす滝岡に、秘書の西野が隣のデスクから、さらりと留めを刺す。

「神尾さんはいませんよ?今朝から、患者さんの術後管理、手術予定の患者さんの感染症管理、術前データによる疑う必要のある感染症等について、と神尾さんに質問しようとして、おられないのに気付くのはこれで四回目です」

「…四回、…――――」

真っ暗になって肩を落とす滝岡にさらに西野が追い打ちを掛ける。

「そうか、四回か、…」

「ちなみに、感染症以外の件で神尾先生に話し掛けようとしてやめた回数も聞きたいですか?」

「…数えるな、西野、…」

がくりと肩を落としたまま右手で額をがっつりとつかむようにして無言になる滝岡に西野が淡々と視線を送る。

「ちなみに、神尾先生にも手術等に関する問い合わせならしても差し支えないのではありませんか?」

「…いや、だが、向こうでは忙しいだろう」

顔を上げて見返す滝岡に西野があっさりという。

「問い合わせを送っておけば、可能な際にはお答えいただけるのでは?確認したいことがあれば、送ってみられたらいかがですか」

「それは、…だが、…うん、そうだな、――」

真剣に考えて、滝岡が。



「あ、滝岡さんからメッセージだ。珍しいですね」

いいながら、助手席で神尾がメッセージを開く。

「その滝岡ってのは、おまえさんがいう変人か?」

吉岡の問いにアクセス制限のついた接続を開く為に要求されてカメラに目をじっと向けながら神尾が答える。

「変人っていうのはかわいそうですよ。ヘンな人ですけど、あの人の周辺には本当の変人がもっと沢山いますから、…揺れてたら無理かな」

「…何してんだ。と、いまおまえ自分のこと、その変人の中にちゃんと含めてるか?」

「うーん、無理みたいですね。後でまた開いてみます。僕が何で変人なんですか。僕は極普通ですよ?」

車を止めた吉岡が思い切り引いて眺める。

「おまえなー?」

「冗談です。変人だっていう自覚くらいありますよ。あ、もうあちらのチームも来てますよ」

タブレットを手に先に降りていく神尾の背を吉岡が見送る。

「つまり、神尾クラスの変人に囲まれてるのか、…?それも沢山、…?ちょっと同情したくなるな、それは」

しみじみとまだ見ぬ滝岡に同情しながら、吉岡が思わず深くうなずく。



 十六



 調査を終えてホテルに戻り、部屋のデスクにタブレットが動かないように固定して神尾が改めて滝岡からのメッセージを開く。

 ――指紋認証だけでなく、虹彩認証まで求めるなんて、西野さんが作ったシステムらしいですね。

吉岡が運転する車内では揺れで虹彩を認証させることができなかった為に、開けなかったデータをみていく。

 ――患者さんのデータですから、慎重になって当然ですが。

僅かに微笑んで、滝岡が患者に関して問い合わせてきているデータをみていく。

 呼吸器感染で治癒したのが二十年前、――…。

術前に集められた病歴データに、現在の検査結果等を神尾が見比べていく。



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