鳥影 5

 五



 爽やかな早朝の秋田駅。

 良く晴れた空を仰いで神尾が背負ったリュックも登山に行くような格好で駅の外に出て山を仰ぐ。

「さて、と」

明るい笑顔で神尾が周囲を見廻してから、カメラを取り出す。



 六



「おはようございます、吉岡さん」

にこやかに爽やかな笑顔で神尾がおじぎをする。

山登りの格好をした神尾に気付いて、動物園の前まで来て車を降りた吉岡が驚いて見直す。

「神尾か!まったく、駅じゃなくて動物園の前で会いたいとかいいやがって、…――その格好はもしや、と、紹介しよう。うちの研究員で、但野と朝川。」

「神尾です。急に同行させて頂くことになって、お手数をお掛けするかと思いますが、よろしくお願いします。」

爽やかな笑顔でいう神尾に、驚きながらも研究員の但野と朝川がおじぎをする。それに、吉岡がかるく息を吐いて神尾をみて。

「で、その格好はおまえさんお得意の研究の実地調査とかをしてたのか?もう?」

「すみません。こちらの方が着くのが早かったものですから。秋田駅からここまで歩いたんですが、ここへ来るまでに河川と潟の様子などもみられましたから。あ、後で記録みますか?」

にっこりと笑んでいう神尾に吉岡があきれた視線を送る。

「…あの、神尾、さん?秋田駅からって、…ここまで歩いたんですか?」

秋田駅からさらに二駅、その駅からタクシーでこの動物園前まで来たことを考えて、朝川が驚いてみるのに吉岡が振り向いて応える。

「こいつはこういう奴なんだよ、…。うちの大学でもそうそう敵わんくらいのフィールドワークの鬼だぞ?…まったくな、しかし、秋田駅から?何時間かかったんだ?」

まだ若い研究員である朝川達を振り向いていう吉岡に神尾が苦笑する。

「そんな。先輩方には敵いませんよ。僕なんてまだまだです。…時間は、そうですね。三時間くらいかな?あまり時間をかけてこられなかったので。でも、本格的に調査に入るには防護も不足ですからね。本当に流して観察してきただけですが」

当り前のように、あっさりいう神尾に軽く吉岡が天を仰いで。

「…おまえさんらしいよ、…全然かわってねーな、神尾。おまえさんの調査は参考になるからな。後でみせてくれ」

「はい、ありがとうございます。参考になるといいんですが。――調査ですね」

神尾が動物園の職員が入ってくるのに振り向く。

晴れて明るい陽射しの中にも、冬の厳しさが空の薄い水色に映るように、空を白く刷毛で掃いたような薄雲が疾っていく。





 動物園に入る前に、靴を履いたままで消毒液を入れた箱に足を入れて外部からウイルスを持ち込むことがないように消毒して。

 職員に連れられて吉岡が先頭になって園内に入る。その後ろに付いていきながら、手にした園内の案内図をみて、神尾が周囲を見廻す。本来なら、既に観客で賑わうはずの園内には、遠く樹木にカラスが飛ぶだけで、檻の前には人の姿は無い。

 鳥インフルエンザの発生をもって、動物園は入園を一時閉鎖して調査に備えている。休園日ではないのに人の姿の無い動物園の景色は、何処か物哀しげにみえる。

 乾いた冷たい風が、樹木を揺らし檻を渡るのを神尾が目に止めて。

「おい、神尾、入るぞ」

「はい、吉岡さん」

視線を梢に留まるカラスから外して、神尾が吉岡に呼ばれて動物園管理事務所の扉を潜る。





 管理事務所で手続きをした後、離れた箇所にある動物達の病院施設に移動して、保管されていた鳥インフル陽性反応が出た個体の死骸を職員が出してくるのを待つ。

「これがその個体です」

職員が保管場所から取り出してきたパッケージされた死骸を前に、神尾が厳しく眉を寄せる。

 吉岡達も無言で見詰めるのは、ビニールで二重に密閉された中に白いホウロウ引きのトレイに置かれた鳥の死骸である。

 コクチョウ――黒鳥と呼ばれる黒い羽根をもつ中型の水鳥は、この動物園で飼育されていた個体で、白鳥などと共に水鳥達の展示施設に飼育されていた。

 痛ましいように眉を顰めて神尾がその死んだ黒鳥の姿を見詰め、次に細部を観察していく。

「記録は構いませんか?」

「大丈夫だ」

吉岡に確認して、神尾がカメラを取り出して、動画モードで撮影していく。

「眼瞼、流涙黄色痕跡、鼻漏あり、頭部、顔面、浮腫あり、羽毛、――所見不明瞭、…――腹部逆立ち多少あり、…水掻き、水泡か、右脚部と底部境、――汚れ、…」

声で観察した事実を記録しながら映像を撮る神尾に、吉岡が職員から書類を受け取る。

「剖検の結果はもらってあるんですが、あらためてこちら持ち帰らせて頂いてもよろしいですか」

「…―――はい、お願いします」

書類を渡した職員が深く頷くのに、吉岡が助手達を振り向く。

「これ、入れてくれ。神尾、もういいか?」

「はい、ありがとうございます」

屈み込んでコクチョウの死骸を観察してホウロウのトレイにおかれてみることのできない背側を除いて四方から映像を記録していた神尾が顔を上げていう。

 それに、朝川と但野が持ってきた保冷ケースに二重にビニールで密閉されたコクチョウの死骸を収めて。

「さて、と。それで、シロフクロウが?」

「はい、…こちらに隔離してあります。それと、先のコクチョウと同じ飼育舎にいたコクチョウがもう一羽、…症状が出てきました」

暗い表情で動物園職員が吉岡達を案内する。

 その先に病気の動物達を治療する為の施設の一部が区切られていて、隔離室となっている。隔離室の中に、弱った鳥達がそれぞれの檻に入れられていた。

「…かわいそうに、…――」

神尾が思わずつぶやく。弱々しく首を垂れたコクチョウは殆ど動かず、シロフクロウは目蓋を閉じている周囲に流涙が固くこびりついている。

 どちらの鳥もまるで置物のように動かないだけでなく、羽根が艶を失い、ぐったりと弱々しくわずかに身体を震えさせているようにみえる。

「…――この鳥類は、同じ舎に入れていたのですか?シロフクロウとコクチョウは」

痛ましいというように鳥達をみていた神尾が、視線を上げて職員に質問する。

「いえ、それが、…――。そちらにお持ちになっている案内図の通り、コクチョウとシロフクロウは別の展示施設で、檻も離れていました」

神尾が手にしている園内の案内図を示していう職員に、神尾がいま一度図を見直す。

「この図でいうと、潟が近くにあるのですね?コクチョウとシロフクロウの檻の共通点は、どちらも潟に近い側にある」

「はい、その通りです。…潟にはシーズンで渡り鳥が幾種類か既に飛来しています」

職員が身体を小さくしようというように縮こまり動かないシロフクロウと首を折るように垂れたまま動かないコクチョウを、くちをぐっと結んでみる。

「飼育の担当の方ですか」

「…あ、失礼しました。はい、鳥類担当の大森です。…」

「こちらこそ、僕は今回の調査に同行させていただきました、神尾と申します。潟のカモなど鳥類には異常は特に観察されていないのですね」

穏やかに名乗る神尾に、鳥達をいま一度みてから、大森が振り向く。

「いえ、…はい。いつも観察される種類と数も十一月としては平常で、…カモ類が鳥インフルに強いとはきいてはいるんですがね」

何処か口惜しそうに頷いていう大森に、吉岡がくちを挟む。

「本来なら、潟と山の自然が園と調和して自然観察もできる優れた施設ですが、今回は飛来する渡り鳥との接触の点で不利にでてしまいましたな」

残念そうにいう吉岡に、大森がはっとしたように視線を向けて無言で大きく頷く。

 病気の鳥達を隔離した檻のある部屋を出て、施設の廊下を僅かに肩を落として大森が歩きながら溜息を吐く。

「簡易検査の結果は御存じの通り陽性でした。詳しい結果は、――」

吉岡をみる大森に、難しい顔で応える。

「まだ出ませんが、H5であることは確定してます。追加で送ってもらったいまのコクチョウとシロフクロウについても分析中です」

「…それで、…―――」

何か云い掛けて、外へ出る前に再度靴の消毒をしながら無言になって。

 一同を外へ案内しながら、大森が空を仰ぐ。

 水色に澄んだ美しい空は、灰色の雲を遠くから連れて来ようとしている。

「明日は、いや、…もう夜から降りますね、これは。園内をみていただくのを少し急ぎましょう」

大森が案内していくのを、神尾と朝川がそれぞれビデオに園内を記録していく。

 朝川が大森の案内とそれぞれの檻におさめられている動物達を撮る中で、神尾がふと気付いて園内に大きく聳える幾つかの樹々に留まる黒いカラスをみる。

 樹の天辺に黒く留まる影は、一羽のカラス。

 ――カラスは、頭の良い鳥ですね。…

人を観察しているようにもみえるカラスの視線を感じながら、神尾がその記録を撮りながら、僅かに眉を寄せた。

 ――動かない?…いや、動きが鈍いのか…?

首を傾げるようにカラスが天辺で神尾達をみて、いや。

「吉岡さん、…あれ」

「どうした、神尾」

神尾がビデオを撮りながらいうのに、呼ばれた吉岡が指さす先に視線を移す。

 頭を垂れたようにして、…―――。

「おい、あれは?」

思わず吉岡が上げた声に、カラスが鈍い動きから突然目が醒めたようにして羽ばたいて梢を離れて行く。

「ちっ、…―――捕獲は無理か」

大きく眉を寄せて云う吉岡に、神尾も息を吐く。

「後でビデオをみましょう。少し動きが鈍かった気がします。…この園では、カラスがエサなどを漁ることはありますか?」

神尾の問いに少し驚いてから大森がうなずく。

「どうしてもやってきますね。ゴミ箱とかそういうのは漁らせないようにしてますが、カラスは頭が良いですから。…そういえば、鳥舎にも時々、―――」

「そうですか。死骸をみつけるのは難しいでしょうね」

大森の言葉に頷いた神尾が、吉岡に訊ねる。それに、カラスの飛んでいった方向を睨むようにしていた吉岡がうなずく。

「難しいな。カラスの死骸がそれでも発見されるとなったら、もう結構流行ってるってことだ。いまの個体、動きが鈍かったな」

「…ええ」

大きく溜息を吐いていう吉岡に、神尾も厳しい顔で頷く。大森がそれを何かを悩むような顔で見詰めて、思い直して案内を続ける。

「では、こちらの方が、シロフクロウの鳥舎がある場所です。隣にはオオタカがいます。コクチョウの飼育舎は、あの通路のしばらく先です」

シロフクロウの飼育舎から、潟沿いの園内通路をコクチョウ舎まで大森が案内していく。


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