鳥影 4

 四



 滝岡家のダイニングには、最近は珍しい一名が増えていた。

 尤も、滝岡のいとこである神代光が同居していた頃には極普通の光景だったのだが。別居しはじめてからは珍しく滝岡家に押し掛けて、一緒に夕食を採っている光だが。

 光が隣の席に座って夕食を食べている滝岡を怪訝そうな顔でみる。それにも気付かずに、ぼーっと何とか食事をしている滝岡を見て眉を寄せて。

「どうした?正義、そういえば、神尾さんが出て行ったって?」

「…どういう言い方だ、…。光、鳥インフルの実地調査に秋田に行くそうだ。珍しく連絡があってな」

右に頬杖をついて浮かない顔でいう滝岡に、光が軽く左の眉をあげてみせる。

「おまえな?折角小野さんが作ってくれた飯、ちゃんと食えよ」

「勿論食うに決まってるだろ。…」

考え込んでぼんやりとしたまま夕食をつつく滝岡にあきれてみて。あきらめて光がひとつ頷き、滝岡を見なおす。

「処で、神尾さんは秋田に自費でいくのか?」

「調査隊に同行させてもらうとかいってたが、…光?」

目が醒めたように見返す滝岡に光があきれたように眉を寄せてみて。

「役所からの調査隊にこんな急に付いていくんじゃ自費だろ。正義、自腹にさせる気か?」

「あ、いや、…いいのか?」

驚いてみる滝岡に、むっ、と光がくちを結ぶ。

「当たり前だろ?出向とはいえ、神尾さんはいまうちの職員なんだぞ?出張に自費を使わせられるか、予備費から出せ!」

いきなりびしっ、と指を指していう光に、滝岡が驚きながらもうなずく。

「そうだな、…気が付かなかったな、…すまん」

「連絡しとけよ」

あっさりといいうなずいて食事に戻る光に滝岡が茫然としながら繰り返しうなずく。

「ああ、…ありがとう。そうだな」

慌てて横に置いていた通話機器で神尾にメールを打つ滝岡を光があきれてみて。

 御茶を手に一口飲んで。

 軽く眉を寄せて、訝しげに滝岡をみる。

「それにしても、そちらは大丈夫なのか?患者さんに響かないだろうな?」

「…ああ?―――うん。先輩もいるからな。大丈夫だ」

「正義」

「うん?」

生返事を返す滝岡をそっとみて。

「おまえな、…。鳥インフルエンザのシーズンは四月迄続くのが例年らしいぞ?知ってたか?」

「…―――いや、そうなのか、…」

光の言葉に振り向いて、本気で愕然と見返す滝岡にあきれて溜息を吐いて。

「おまえな、…神尾さんの出向期限は一年だったな?半分以上出たままになるかもしれんが、覚悟しておけよ」

「…ありがとう、光、…」

がっくりと肩を落としている滝岡に。

 あきれて、ぽん、と頭に手を置いて。

「おまえな?…神尾さんは出向何だ。おまえも解ってたろ?確かに研究体制は神尾さんがいなくなっても協力は続くだろうが、神尾さんがいる前提で仕事を組むのはまずい」

何処か慰めるように穏やかな黒瞳で光がいうのに、滝岡が額を手で支えて大きく溜息を吐く。

「そうだな、…わすれていた。…光」

「何だ?飯ちゃんと食えよ」

「…―――ありがとう、…」

沈み込んで、それでも食べ始めた滝岡に、光が軽く息を吐いて。

 ―――まったく。

それから、何とか食べている滝岡を確認して、ごちそうさま、と既に食事を終えて片付けたテーブルに、通信機器を取り出して。

 ――神原、めしくってるか?こちらは何とか正義に飯を食わせた。悪いがこっちに合流してくれ。

メールを打って送信してから、ぼんやりと食事をしている滝岡を軽く息を吐いて眺めて。

 ――小野さんに、これからしばらくこちらに泊ると連絡しないとな。

従兄弟である滝岡と同じく外科医であり、つい最近までこの滝岡家に住んでいた光だが。

しばらく、こっちに泊って様子をみるか。…

「困った奴だ」

「…きこえてる、光」

「しってる。しっかりするのは無理だろうから、おれがしばらく一緒に住んでやる」

「…――たのむ」

ごちそうさまです、ときちんと食べ終えていう滝岡をあきれてみながら。食器を片付けにいくしょぼくれた背に。

 取り敢えず、業務に支障がないようにはしないとな。

滝岡と同じく、滝岡総合病院と同じ敷地に建つ滝岡第一の外科責任者でもある神代光だが。

 偶にはこういうのもいいか。

院長代理としての職務もあり、普段は光が持ち込む面倒を滝岡が何とか片付けていたりするのだが。

 しかし、随分と神尾さんはうちに無くてはならない人になってるな。

感染症専門医である神尾がこの滝岡総合病院に来たのは、ほんの偶然の出来事からで。しかも、まだ半年にもならない内に。仕事が回らないということは確かにない。だが、神尾がいることで処理できるデータの量や、分析できる件数が桁違いなのを、西野から連絡が来て再確認して感嘆したのだが。

 ――感染研から出向じゃなく引っ張れるようにおじさんに頼むか。

そんなことを考えている光を知らずに、食後の御茶を茫然と手にして滝岡が空を仰ぐ。

 ――…神尾、そうだな、出向だったな、…確かに。

神尾に患者の術後管理を頼んだり、手術や色々な事で相談するのが日常になっていたのに気付き、遠くをみて肩を落とす。

 …――いかんな、これでは。…

しみじみしている滝岡の肩を、後ろから、ぽん、と光が叩いた。

「光」

情けない顔で振り向く自分より背が高い従兄弟に光が軽く眉をあげて見返す。

「おまえな?いいから寝るぞ!神尾さんには連絡したんだな?なら、おまえは睡眠をとれ!明日も手術がある!下手な考え休むに似たり、だ!ならいっそきちんと休め!」

「…おまえのいうのはいつも無茶だが一理あるな」

滝岡が情けない顔で眉を寄せて見返すのに、光が元気に強い黒瞳で言い切る。

「当然だ!おれは神代光だからな!はやくこい!寝るぞ!」

光に連れられて滝岡がぼんやり歩いてようやく気がつく。

 広い和室に合宿よろしく並べられた布団に、座って文庫本を読んでいる浴衣を着た神原良人。

 光と共に滝岡第一に所属する外科医である神原がいるのに驚いて滝岡がみる。

「…神原先生?ここは?」

「おまえな?本当にぼーっとしてるな。…関の家だ!ここなら雑魚寝が出来るし、おまえがどれだけ寝相が悪くても転げて落ちたりしないだろ!」

「…すまん」

光が軽く滝岡の頭をはたいて大きく眉を寄せてみていうのに。反論もせず、そのままぼーっとしながら、おとなしく敷かれていた布団に適当に横になってすぐに寝る滝岡を神原が珍しそうにみる。

「本当に落ち込んでますね、…大丈夫ですか?滝岡さん」

「大丈夫だ。こいつはばかだから、神尾さんが一年限定の出向なのを忘れてたんだ」

冷たいともあきれているとも違う視線で、既に速攻で眠りに落ちた――一瞬で眠りに落ちることができるのは外科医として磨いてきた特技だが――正義を光がみていうのに。

 神原が少し首を傾げて、隣に座る神代に云う。

「滝岡さん、こうしてみると、神代先生より年下なのがわかりますね。普段は全然そうはみえませんけど」

少しおかしげに微笑んでいう神原に、む、と神代が眉を寄せる。

「いいけどな?こいつにはおれが五才でこいつが三才のときに世話になって以来、確かに世話になりっぱなしだからな」

難しい顔でいう神代に神原が微笑む。

「…それにしても、滝岡さん」

「こいつは、結構情が深いし入れ込むからな。神尾さんがいなくなる、ここにずっといない人だってことにいま気付いたんだ」

神原がそう語る神代の背を無言で見る。

「まあな、仕事になればしっかりする。…少しぐらいぐだるのもいいだろ」

優しい視線で光が眠る正義をみて、軽く微笑むと伸びをする。

「よし!ねるぞ!神原!」

「…はい」

微苦笑を浮かべて、神原が枕許に読んでいた文庫本を置く。

「…本当に合宿みたいですね」

「ここは雑魚寝には最高だからな」

そして、同じく外科医として即睡眠に落ちる特技に力を入れている神代光が一瞬で眠りに落ちて。

 寝付きがいいですねえ、…。

 流石にこの二人と比べると、同じ外科医とはいえ、眠る能力で勝てる気はしませんね、と思う神原良人。

 そして、実は隣の家――滝岡と光の幼馴染である関の家だが――に来て、眠っている彼等なのだが。ちなみに隣に来た理由は、関の家に温泉が湧いていることと、こうして雑魚寝が出来る広い和室があるからだが。

 光に連れられて隣の関の家まで来ていたことに全然気付いていないくらいにぼーっとしていた滝岡は。

 枕を横抱きにして、確かに寝相悪く既に隣に寝ている光の処まで転がり込んでいたり。

 果たして、これで明日からしっかり滝岡総合病院外科医長であり、院長代理である職務を果たしていけるのか。

 そんなことは、既にこれも眠りに就いた神原――彼も外科医であり、さらにいえば第一の心臓血管外科専門医だが――も含めて。 

 いまはまったく考えず、ひたすら睡眠を取る外科医達である。



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