鳥影 3

 三



 神尾は感染研のオフィスで、モニタを前に顕微鏡を覗き込んでいる。真摯な表情で手許の検体を見ながら、左手でモニタに映し出される画像を切り替えていく。

 集中している神尾は、自分がどうやってここに来たのか解っていない。滝岡が依頼した車の運転手が感染研に着いても画面をみたまま動かない神尾を連れて、裏口の守衛室まで連れて来てくれたことも意識の外にある。

 集中して顕微鏡を見ながら、顔をあげてモニタに拡大して映し出したウイルスの画像を見つめる。

「…―――これは、…」

沈黙してその灰色の画像を見詰め、ぼんやりと何かを思うように言葉を失くす。

 ――まさか。

そして、急に黒瞳に光が灯ったようになり、左手を伸ばして受話器を取る。北大と短縮に書かれたボタンを押し、繋がるのを待つ。

 北大――北海道大学大学院獣医学微生物研に繋がる短縮番号を押して、神尾は呼び出したインフルエンザデータベースと見比べながら、その応答を待っていた。

 その神尾の手許で、顕微鏡の傍に置かれたタブレットが良く響く警告音を出す。

「…――――!」

テクニカル・アラート。新着メールを通知するよう設定している警告が届き、その件名に神尾が驚いてメールを開く。

「…これは、―――」

 OIEとWHO、CDCからのテクニカル・アラートを纏めたメールに、神尾は思わずも茫然とその英文を読んでいた。

 ―――滝岡さん、…。

「――――…」

滝岡に連絡しようと通信端末を取り出し、呼び出したアドレスに掛けようとしたとき。

「もしもし?…吉岡です、――…もしもーし?」

スピーカになっている電話から呼び出した相手が電話に出て話しかけるのに僅かに眉を寄せて。

「…―――すみません、神尾です。お久し振りです、吉岡さん」

「えーっ?神尾?神尾なのか?…おまえ海外にいたんじゃないの?これ感染研からだよな?国内?何してんだよ、戻ってたのか!」

「はい、それで実は、…お伺いしたいことが。シーズンに入った鳥インフルエンザの事なんですが」

あらためて向き直り、消息に関する質問は完全にスルーして神尾が単刀直入に問い掛けるのに、吉岡が溜息をつく気配が。

「…相変わらずだなあ、神尾。何訊きたいんだ?こっちへ来てる検体は五つ、分析はうちと鳥取で別けてるんだが、…――」

「ああ、鳥類はあちらにセンターができましたからね。秋田は東北でそちらの管轄だったと思うんですが。いまも同じですか?」

「変わってない。秋田はうちだが、…?」

少しばかりためらう気配をみせて、神尾が口にする。

「――…率直にいって、吉岡さん。このシーズンはいつもより広がりがあるんじゃないかと思うんです。秋田は確か、動物園でしたね?」

「まだニュースになってるのは三ヶ所の時点で耳がはやいね、確かに動物園だが、―――…」

「飼育動物だけですか?他には?」

「…―――まだニュースにはしてない」

「はい」

沈黙する気配がして。

「…―――飼育動物だけなんだが、…―――フクロウが出た」

「吉岡さん」

驚きを隠せずに神尾が黒瞳を瞠る。受話器を握り直して。

「…――それは、吉岡さん、…。他の動物の検査は?」

「既に行ってる。実をいうと、明日出来るだけはやく、人員を揃えて調査に入る予定だ」

「調査隊の派遣ですか、…――吉岡さん、僕をそれに一緒に連れて行ってもらう訳にはいきませんか?個人参加で構いませんから」

「おい、神尾、…そいつあ、…―――まあ、できないことはないが、本当に手弁当になるぞ?こっちは環境省から指定で行く研究員は決まってるしな。…予算が」

「手弁当で構いません。同行させてください」

熱心に云い切る神尾に吉岡が唸るような声を出す。

「あー、まあ、…。おまえさんが来てくれれば、…。上司の許可はとってんのか?ってか、おまえさんの事だから、後か、…。いやまあ、…―――本当に手弁当だぞ?」

「それで構いません、吉岡さん、ありがとうございます」

笑顔になって云う神尾に吉岡があきれた溜息を吐く。

「いや、いいんだけどな?」

「秋田は現地集合で構いませんか?そちらからは秋田までは列車ですか?」

生き生きと訊ねる神尾に困り果てた声で吉岡が応える。

「もースケジュールつめて逃げられないように追い込みかけてきやがるんだからな?」

吉岡の声ににっこりと神尾が微笑んで。

「すみません。現地で車移動は?」

「一応、レンタカー借りる予定だ。…解った、駅で合流しよう。明日朝一でこっちを出るから、時間わかったら連絡する。携帯番号変わらないか?」

「僕の方は同じです。でも、先輩。一応教えておいてください。僕からもかけますから」

にっこり、笑顔でいう神尾に吉岡が向こうで天を仰ぐ気配がする。

「いや、それでこそ神尾だけどなー、妙なとこで細かいだろ、おまえ」

「行き違いで置いて行かれたりしたら大変ですからね。合流するのにお手間をかけてもいけませんから」

にこにこと追い打ちをかける神尾に溜息と共に吉岡が云う。

「わかった、番号いうぞ?で、俺が繋がらないときに備えて誰か助手のをっていうんだろ?」

「よくお解りですね?はい、お願いします」

 根がくらいよなー、暗いよこいつ、と吉岡が呟く声が受話器から少し遠くなって届き、手帳か何かを捲っている音が届く。

「…―――いーけどな?本当に手弁当だからな?うちから予算はおりねーぞっ?」

「わかってます。我儘いってすみません。いつもありがとうございます」

番号を教えながらぐちる吉岡に。にっこり、爽やかな笑顔でいう神尾に唸る声がして。

「あー、何とかって列車で十一時には着くそうだ。おまえ間に合うか?それと、…環境省から一人、東京から来るそうだ。農水はまだだな。おまえさんが来るってことは、厚労省さんから話があるのか?」

「いえ、僕は本当に私的参加ですから」

「―――…聞いとくわ。じゃあ、細かいことはメール送らせる。明日現地でな!」

「よろしくお願いします」

神尾が電話に向かって頭を下げ、切れた通話にしばし何かを見つめるように動きをとめて。

 ―――滝岡さん、…。

手許にコールしかけた番号を見詰めて。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る