狩人
Pygma
狩人
玄関の扉を開けると強くて冷たい刺すような北風が吹きつける。秋もすっかり暮れてしまって、夜中は特に身に滲みるような寒さになった。外は既に真っ暗だ。家から出て、ふと見上げると、隣にある教会の時計の針は十時過ぎを指している。
もう食事は済ませたものの、まだ何か物足りないような気持ちになっていた。どこかで飲み直そうと思って外へ出てきたが、この寒さのせいか道には人はほとんど歩いていない。彷徨うように街の方へ歩いていたら、いつしか馴染みのバーまで辿りついていた。
バーに入ると中は暖房が効いていて温かく、カウンターには人もいつもより多くいるようだった。このバーのマスターは知り合いで、目が合うと軽く会釈をしてきた。空いていた席に座ると自然な間の後にマスターがさっとカクテルを出してくれる。一人でゆっくり酒を飲みながら店内に座っている客をなんとなく見回していると、その視線に気づいたのだろうか、隣に座っていた立派な口髭を生やした陽気な男が話しかけてきた。
「よお兄ちゃん、少し話さないか?」
そう言って、男はニカッと笑った。その男は丈の長いブラウンのチェスターコートを着ており、その明るい話しぶりに反してというべきか、いかにも紳士らしい格好をしている。こちらがその提案を快諾すると男はまた微笑み、そして話し始めた。
「聞いてほしい話があるんだが、兄ちゃん、聞いてくれねえか?ちょっとした野暮用があって国境の町から遥々ここらへんまで来たんだがな、如何せん話し相手がいなくてよ。ちょいと長くなるけどな、まあ退屈はさせねえから聞いてくれよ」
酒を片手に行きずりの人の話を聞くのも悪くはないなと思い、軽く了承すると、男は周りを見渡してから顔をぬっとこちらに寄せて、声を潜めて言った。
「吸血鬼殺しって知ってるか?俺はな、吸血鬼を殺すことを仕事にしてるんだ」
突拍子もないその単語に驚きを隠せずにいたが、男は続けた。
「信じられないって顔をしてるな。でも本当なんだぜ。この世界には俺たち人間に気づかれないように身を潜めながら、人間を殺して血を吸う吸血鬼がいるんだ。そいつらを探し出して殺すのが、俺ら吸血鬼殺しなんだ。俺だって最初から吸血鬼なんてものを信じてたわけじゃねえさ。俺は元々国境の町で警察官をしてたんだ。交通事故は多少あるにしても事件なんてそうそう起こらねえ平和な町だったからよ、俺は適度に仕事をしたり、たまには家族と一緒に休日を満喫したりして過ごしていたんだ。でもある日、俺らの町で殺人事件が起きた。しかも殺されたのは、俺の愛する妻と息子だった。けれどな、この目で死んだ妻と息子を確認したわけじゃねえんだ。仕事から帰ったら俺の家は既に大勢の警察官に囲まれてて、俺が警察官だって説明しても決して通しちゃくれなかった。それからも一度も妻と息子の顔は見せてもらえなかったんだ。何度も、少しだけでもいいから見せてくれって訴えたんだが、結局聞き入れられることはなかった。その晩はひとまず泊まったホテルの部屋でただただ声をあげて泣くことしかできずに、いつの間にか寝ちまっていた。その翌日に、上司に呼び出されてな。それも誰にも口外せずに一人で来いっていうんだぜ。家族が事件で殺された警察官は精神的なダメージを慮って解雇されるなんて話を聞いたことがあったからよ、もしかしたらクビになるんじゃねえかって内心ビクビクしてたんだがよ、上司の話を聞けば『お前、吸血鬼殺しになれ。』なんて言うんだ。別に吸血鬼殺しは趣味でも民間の事業でもねえ。市民には隠された、国家に認められた立派な公務員なのさ。その日、上司から吸血鬼についての情報をたくさん聞いたんだ。上司が言うにはな、吸血鬼は山奥の怪しくて立派な城に住んでるわけじゃない。昼間には人間社会に融け込んでそれなりに働いて、それなりに休日を満喫しながら、夜になると人間を襲って血を吸うんだとよ。これは上司に直接聞いたわけじゃないんだがな、俺は思ったんだ、ひょっとして俺の妻と息子は吸血鬼に殺されたんじゃないかって。吸血鬼の存在はもちろん市民には隠されている。吸血鬼が関わった事件についても同じだ。俺の妻と息子は吸血鬼に殺されたから、その現場もその死に顔も見せてもらえなかったんじゃないかって。それからというもの俺は、上からの指示がある度に吸血鬼を殺していったんだ。吸血鬼ったって人間離れした力があるわけじゃないし、昼間は普通に人間と同じように生活してるわけだからな。捕捉したり拘束したりするのはそんなに難しいことじゃねえ。ただそれを周りの人間たちに悟られちゃいけねえのが少し大変だな。しかしそんなことは大して問題じゃない。問題は吸血鬼を殺すときだ。こればかりは人間と同じようにはいかねえ。吸血鬼はただ包丁で刺したり銃で撃ったりしただけではすぐに傷に治癒して生き返っちまう。でもな、吸血鬼は銀にめっぽう弱いらしいんだ。一時期には銀の弾丸を撃ち込んで吸血鬼を殺す方法が流行ったらしいんだがな、銀の弾丸が吸血鬼の体を貫通しちまっては折角の銀の効果が無駄になっちまう。今では専ら銀のナイフで刺し殺す方法が主流だな。ああそういえば。吸血鬼が死ぬと埃になって消えちまうっていう噂ってあるだろ?この仕事につくまで俺もその噂を信じてたんだがな、残念ながらあれは嘘だな。死ぬときはほとんど人間と同じでな、唯一違うのは、吸血鬼は銀のナイフで刺されると途端に身体が動かせなくなるらしいんだ。それでもすぐに死ぬことなんてできねえから、大体の奴は苦しみながら命乞いばかりしてるさ。これはこの前殺した吸血鬼の話なんだけどよ、その吸血鬼は隣町でナイトクラブのオーナーをしてたんだ。それも歓楽街の真ん中でだぜ。しかもそのナイトクラブで働いていた従業員のほとんどが吸血鬼だったんだ。吸血鬼にも吸血鬼のコミュニティってのがあるらしくてな、時にはそういう風に吸血鬼同士が協力しながら人間を襲って血を吸っているんだとよ。中には客に紛れて来店する吸血鬼もいて、ナイトクラブで獲物を見つけてはその場で話しかけたり、帰り道をつけたりして襲うなんてこともあるらしいんだ。従業員もオーナーも吸血鬼だからつまりグルってわけだな。まさにそのナイトクラブが狩り場だったというわけだ。オーナーをしていた吸血鬼の胸に銀のナイフを突き刺した後、必死で命乞いする奴に聞いたんだ。『他の町にも知り合いの吸血鬼はいるのか?』ってな。そしたら隣町にいるって教えてくれたんだ。そのあとすぐにそいつは死んじまったんだけどよ。まあそういうわけで、この町でこうして吸血鬼さんが現れてくれないかと見張っているというわけだ。吸血鬼殺しの仕事なんて、最初はもちろん面倒くさかったさ。でもな、今では面白ささえ感じてるんだよ。人間を狩る奴らを、逆に人間が狩るなんて、そんな気持ちの良いこと他にはないからな」
男がそこまで話したとき、ちょうど男の携帯電話が鳴った。男は携帯電話を耳に当て、二つ三つ返事をする。もう店内には自分たち以外に客は誰もいなくなっていた。通話を終えた男は携帯電話をコートの内ポケットにしまい、こちらに向き直って言った。
「なあ兄ちゃん、聞きたいことがあるんだが一ついいか?」
嫌な予感がして、徐ろに椅子から立ち上がる。
「ここらへんで人を襲ってる吸血鬼について何か知ってることはねえか?」
その質問を無視して、もう店を出てしまおうと、向かい合って立っている男の右横を通り抜けようと走り出したが、男に左腕を強い力で掴まれる。咄嗟にマスターに助けを求めようとその姿を探したがマスターは既にそこにはいなかった。
「ついさっき教会の隣の家で吸血鬼による殺人事件が起きたそうだが」
男が右手でコートの内ポケットから銀のナイフを取り出した。
「心当たり、あるよな?」
腕を振り払おうともがいて必死に抵抗したが、掴まれている左腕を振り払うことができない。そのまま男に、左の脇腹に銀のナイフを突き刺される。鈍く鋭い痛みが身体を巡る。肋骨にあたっているようで傷は深くなさそうだが、刺されたところがとてもとても熱い。すぐに四肢の感覚がなくなっていく感覚がして、その場に膝から崩れ落ちた。両腕がだらんと下がって意識もだんだん朦朧としてきたとき、正面に立ち、こちらを愉しむように見下ろして、男が髭をたくわえた口元をにやつかせて言った。
「狩られる側の気持ちはどうだい、兄ちゃん。狩人に狩られる獲物の気分は」
狩人 Pygma @Pygmalion_effect
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます