《霧島》

ドクンドクンドックンドックン

心臓は鼓動を早めていた。息は荒くなり、今にも倒れそうだ。恐ろしくて、意識も遠のきそうだ。いっそ、意識が無くなればこの先の言葉を聞かずに済むのに。無情にも意識は途切れそうで途切れない。『 まさか、汐梨さん』その言葉を彼女が発するということは、私がなにか隠していることに、気が着いているということだろう。恐る恐る、彼女の方をむく。私と目が会った瞬間、続きの言葉を言うと思い、身構えたが、彼女は言いにくそうに、口をパクパクさせていた。意を決して、私は口を開く。

「あの、私の席、どこですか……?」

不意をつかれたように、彼女は目を見開く。口をパクパクさせ、席を案内しようとした後、何も言わず、一つの席を指さした。席に座ると、一息をつき、ふと彼女を見る。彼女は、驚いた様子でその場に立ち尽くしていた。

仕事の書類を取りだし、読み進める。かつて、同じような仕事の経験はあるが、分からないことが多い。ちらっと隣の人を見る。朝、初めに話しかけてきた女性だった。

「あの……。少しいいですか…?」

彼女が私を見ると、何と聞き返す。私と彼女は親しい中のようだ。しかし、私は汐梨ではない。どう関わるべきか、検討もつかない。名前も知らなければ、具体的な関係すら分からない。

「この書類、どうやって使うんですか?」

私が聞くと、やはり彼女は驚いたような顔を見せた。初めてやる仕事なのだ。仮にこの仕事を経験していたとしても、私が生きた昭和と、今の時代では、書類の書き方が違うだろう。

「えっ……。この書類、毎日何枚も、汐梨書いてたでしょ?どうしたの?朝も、この前も変だったよ。忘れちゃった? パソコンから情報を取得してここに書くだけだよ。」

書類のやり方は教えられたが『パソコン』とは何だろうか。私が生きていた時代からは何十年もの時が経ったのだ。まるで、似ているけど違う世界のようだ。

隣に座る彼女が扱う機械が、それなのだろうか。度々手を煩わせているのは彼女に申し訳ない。聞かずに済む方法を考える。しかし、私の知っている時代は、昭和四十年までだ。どうしても分からず彼女に聞く。


私が質問すると、彼女はすぐに答えた。使い方まで詳しく教えてもらい、仕事に取り掛かる。しかし、集中できない。朝、女性が言おうとしていた言葉の続きは何だったのだろうか。聞こうとも考えたが、あの様子を見ると、聞くのが怖くなる。もし、私が汐梨では無いことが、彼女に知られていたなら、どうなるのだろうか。想像もつかず、恐ろしい。結局、聞けず、私は仕事に取り掛かる。どうしても、言葉の続きを考えてしまい、集中できず、上の空になってしまう。

そして、悶々としながら、一日を過ごすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る