《┈第一部┈》第三章

《洋子》

気づけば、美湖がおかしくなり、1年余りがすぎていた。

いまだに実感はわかないが、これは現実なのだろう。

現実にはありえないと思えど、わたしの脳裏には〝憑依〟その言葉が時折ちらつく。

ここ一年、毎晩夢を見る。それは、一回一回が物語のように繋がり、不思議な夢だ。夫と、娘の夢。

夢の中で、わたしはわたしでは無い。

そして、夫も靖史ではなく、娘も、美湖では無い。

まるで、誰かの記憶のような夢だ。

ショックで頭がおかしくなってしまったのだろうか。不安に襲われる。

美湖はどんどん窶れてゆき、今や骨と皮のようだ。

そして、部屋と会社を往復するロボットと化している。

急に眠気が襲い、瞼が堕ちた。

そして、わたしの意識も薄れ、夢に堕ちた。

眼の前に娘が眠っている。何度も直してもわかるほど、彼女は、苦悶に満ちたように、顔を顰めていた。

しかし、その娘は美湖では無い。その事にわたしは疑問も抱かず彼女の死を嘆いている。

葬儀の時、わたしと夫は涙を流している。

彼も、靖史では無い。

しかし彼にもわたしは疑問を抱いてはいない。

轟々と炊きあがる火を眺め、わたしは嘆く。

その状況になんの疑問も抱くことなく、わたしはただただ嘆いていた。


目覚めるとリビングに美湖が倒れていた。

一瞬、頭の中が真っ白になった。

「美湖!美湖…!」

気づけば、わたしは美湖を揺さぶっていた。

しかしわたしの呼び掛けにも答えず、美湖は眠り続けるのであった。

「シーン」とした夜空を切り裂くように、サイレンの音が響き渡る。遠くから聞こえてきた音は、だんだんと大きくなり、窓ガラスを震わせる。赤い閃光が、闇を切り裂きながら近づいてきた。

救急車のサイレンが、わたしの心臓を打ちつけるように響き渡る。窓の外には、赤く光る救急車の姿が見え る。赤い光が、まるで焦りを表しているように感じた。

救急隊員たちが、慌ただしく美湖を担架に乗せる。

そして美湖は救急車に姿を消した。


気付くとわたしは病室にいた。ショックで、ここに来るまでの記憶が無い。恐らくは、救急車で来たのだろう。

病院特有の消毒薬の匂いが充満する、白い壁の部屋が美湖の病室だ。

窓の外には、真っ黒に塗り固められたような冬の空が広がっていた。その闇は、わたしの絶望と比例するように、深みを増す。

ベッドの上には、白いシーツに包まれた美湖の姿があった。

真っ白なシーツよりも青白い美湖の肌は、ますます青ざめてゆく。

生きているか不安になるほど生気のない。

ピッピッピッピッ……。

呼吸器の音だけが、静寂を破っていた。

がらーっと扉が開き、医師が入る。

口を開き、美湖の病状をわたしに伝える。

「衰弱がかなり酷いので、余命は、数時間程度でしょう。」

躊躇もなしに発せられた医師の言葉が、わたしの耳に突き刺さる。まるで、心を抉られるような絶望がわたしを襲う。

気づけば、夜は明けて、病室には朝日が差し込んでいた。朝日と言えば希望的な印象なのに、今の状況と対称的で、絶望が塗りこめる。

ハッと気づいたようにわたしは靖史に電話をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る