取り戻せない怒り
事の真相が明らかになった時、人は大いに狂った。漆黒の極彩色の中、頭の中身を吐き捨てて狂い果てた。丸い世界の終わる瞬間を見た。たかが一つの真実で、人間が完全に終わってしまう瞬間を見た。人々が築いた文明とか、英知だとか──そんなものは藁の家よりも軽く脆いのだと、身をもって思い知った。空が落ちてくることを望み続けた。いっそこの世界のすべての人間が死ぬこと以外に、この大罪は償えないのではないかと皆が思って、けれども誰一人行動には移せなかった。殺意を誰かに向ければ──【天使】がやって来るからだ。
人々が【天使】に殺意を向けて、二年が経った。
【天使】の正体が判明した。
世界にその確信を与えたのは、アメリカに住む夫婦で──彼らは生まれたばかりの子どもを衰弱死で喪っていた。世界各地で起こっている症状と全く同じかたちで、親と子という関係からも突き放されて心を割った。以来すべての私財を投げ打って【天使】の解明と抹殺に尽力してきた。彼らは今の世界で英雄とされていて、けれどもそんな賞賛は何の意味も持ちはしない。反対意見など在りえないからだ。怒りを抱けば、白い子どもが降ってくる。
世界中の眼が彼らに降り注いだ。
それは勿論、期待の籠った視線であって、誰も夫婦に敵愾心など、微塵も抱いていなかった。
──けれども二人にとって、その全ての注目は神からの断罪であり、その会見は大いなる懺悔だっただろう。世界に数人しか知らない、全ての残酷な真実を自らの口で明かすことは、勇気などという単純な言葉では言い表すことができないほどに重く苦しい物だった。世界を地獄へ堕とす呪文を言い放つことを彼らは強いられていた。
ふと私は思う。この二人は生贄だったのではないか? と。
後に消息を絶ったことも含めて、彼らに救いは──全く無かったのだから。
全てを白日の下へ曝け出すようにカメラのフラッシュは止まらない。白い光に照らされて、しかし彼らは酷く骨のようだった。年齢は二十九と三十一。まだ杖を突くような齢ではない。
顔に全くの隙間はなかった。全ての滑らかであるはずの部分に、皺が濃く刻まれてしまって、影に埋もれて表情は読み取れない。
ただ、どうしようもない事実に押しつぶされてしまったこと。
そしてこの世界において、夫婦しか取ることの出来ない責任を果たすために、二人はなんとか息をしていた。
事実は
単純にして明快で──どんな阿呆にも理解できてしまって、それ故に誰にも言い訳の利かないものだった。
【天使】の正体は生まれる前の子どもである。
たった一つ、全ての説明は片付いた。
私たちが怒る時、悲しむ時、昂る時。彼らは彗と降ってきて、それを失くしてくれる。いいや違うのだ。無くなってなんかいないのだ。彼らが──持って行ってくれただけなのだ。
どういったメカニズムで世界の法則が変わってしまったのかは結局解明されていない。ただ、機材を通してやっと捉えた【天使】の相貌が、やっと出会えた我が子と一致していたことが全ての証左であると夫婦は述べた。【天使】の数に限りが無いことも、決まった人に決まった天使がやってくることも、すべてすべての道理が通った。
何故生まれた子どもは親を避けるのか? 何故衰弱してゆくのか? 解答は理不尽な怒りにあった。
些細な怒りも大きな重圧も、ストレスと呼ばれる物全てを、愛する人から失くしてあげたくって代わりに背負う、嗚呼素晴らしいことなのかもしれない。それが成熟した精神を持つ大人ならば。
けれども裸の心を持つ天使のように可愛い子どもたちに、その蒼は苦過ぎた。
銃の携帯が許されている国では、拳銃自殺が爆発的に増えた。理由は明白だった。五秒以内に命を絶つ方法が手元にあったからだ。
銃を持たない私たちは、日付が変わると同時に両手を組む。目を閉じて空を見上げる。
私たちは祈っている。怒りを抱かぬよう、祈っている。何事も泰平に受け流すことのできる自分を祈っている。
私や貴方の大切な子どもの為に
愛という言葉をもう一度信じる為に
怒りの火が、どうか貴方に降り注ぎませんように
私の怒りと引き換えに、元気な産声が──天使の鳴らすラッパのように──鳴り響いてくれますように
堕天までの6秒間 固定標識 @Oyafuco
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