ヒーロー側の事情7 ~キミと手を繋ぎたいのにつなげない~


カラコロ、カラコロ。


心地よい音をさせて君の下駄が、アスファルトを鳴らす。夕方になり、また打ち水をした道からは、仄かに焼けた石の匂いが漂う。


キミの赤い下駄には日に焼けていない、真っ白なつま先がちょこんと収まっている。

その先には透き通るように白い君の両足と、吸い込まれそうなくらいに青く淑やかな着物の裾が見えた。

君は藍色の浴衣を着ていた。

僕は君の足元から視線を上げることができなかった。


綺麗な足元に意識を奪われたからじゃない。

怖くて、ただ怖くて、その先を見ることを躊躇った。

キミの顔を見てしまえば、二度と視線を離すことが出来ない。

そう思ったんだ。


僕の心臓の収縮は必要以上に血液を絞り出して、全身を巡らせている。

ドクン、ドクンと脈打つ鼓動が、痛みを伴うものだとは思わなかった。




川原までの道のりを君と二人で歩く。

30分くらいのこと。

僕と君との間にちょうど一人分の隙間が開いていた。


つかず、離れず。

微妙な距離。


花火大会に向かう流れの中で、僕の記憶は曖昧になる。

緊張している。

頭は働かず、心は整わない。

そんな状況の中にあって、一つだけ覚えていることがある。


途中、数えればきりがないほどの多くの人たちが、君を見て「わぁ」と声を上げるんだ。

僕はそのたびに胸の奥に、チリっと焼け付くような痛みを覚えた。


どうしてだろう?


痛みの正体の分からない僕は、君の隣にいながら遥か遠くに隔たれたような気持ちになる。

焦燥感に襲われた。

息苦しかった。

この焦りは何をすれば和らぐのだろう?

幼い僕には分からなかった。

僕は、ただただキミとキミを見つめる全ての人たちを意識した。


ギュゥッ。

意識するたびに胸の締め付けはどんどん強くなる。


キミは何度も僕に語りかけてきた。

僕はその度にキミとは真逆の方向を見て、曖昧な返事に終始した。

大切なものと遠ざけたいものが同じ場所にある。

そんな息苦しい時間と空間を歩く。


僕の後ろにはキミがいる。

どれくらいの距離を歩いただろう、僕たちは目的の川原に到着した。



フワァ。



お祭りの雰囲気が流れ込む。

僕の心の中が騒めいた。


河川敷には既に多くの人々が集まっていた。

僕はキミと二人、できるだけ落ち着いて花火を見上げることのできる場所を探す。


川原に面した河川敷には多くの屋台が出ていて、赤や橙の淡い光を灯しこの夕暮れを彩った。

綿菓子屋がザラメを焼いているのだろう、甘く香ばしい香りに満ち溢れていた。

僕は屋台傍の土手を選ぶと、キミと二人でそこに腰を下ろす。


「……」

「……」


僕とキミとの間には、やはり一人分の隙間があった。

この距離はキミでなく僕が作ったもの。

これ以上に距離を詰めることが、幼い僕には出来なかった。


キミは、ヒーロー未満の僕をどう思っているのだろう?

屋台の営みを静かに見つめるキミからは心の中が読み取れない。


キミの右手には、白いうちわが握られていた。

時折、パタパタとさせる君の動きに合わせて、後ろ髪に結い上げた先から零れ落ちた僅かな、そして瑞々しい黒髪たちは、風にさやさやと揺れている。

ザラメの甘い匂いの中にあって、確かに感じ取ることのできるキミの香。


僕は夜空を見上げた。

まだ陽の名残があるのだろう、紫色に染まった天の中心に半分に欠けた月がいる。

かぐや姫の物語を想う。


キミはいつか、僕の隣からいなくなる。

グォン!

不意に心の中に沸き起こったこの結末は、激しい焦燥となって、津波のように折り重なって僕を襲った。

やがて天の遣いに連れ去られる、キミ。

天の遣いとは何?

それは、やがてキミと結ばれる人だろうか?

一緒になる人だろうか?

それが僕でないことだけは、本能で分かった。


僕は自らの“容姿”を完全に理解している。

あまりに釣り合わない。

背が低くて、足が痛むせいで運動も大して出来ない。

醜い自分を呪った。


美人のお母さんに似て生まれれば、こんな顔で生まれてくることもなかったのに……。

僕は死んだお母さんの本当の子供ではないのかもしれない。

そんなことを考えた。


だからこそ、こんな僕がキミの傍にいることのできる今は、奇跡に等しい。

今を過ぎれば再びは訪れないであろう、二人きりの大切な時間。

砂時計は刻々と流れ、二人の時間を削り取ってゆく。


時の流れが切ない。

序々に涼しくなってゆく夕刻の風が、青から藍に、紫から深淵の黒へと落ちてゆく。

空の移ろいが、やがては終わりを迎える。この花火大会が切なくて、苦しくて、胸が締め付けられて痛い。



一人分隔てた先にそっと座るキミ。

俯いたままの僕。

小さく握り締めた拳。

ふいに届く、キミの声。


「はじまる……」


キミは空を見上げる。

皆も空を見上げる。

僕はキミを見つめた。



ドンっっっ!!!



静かに重低音が響き渡った。

そして、ぱぁ、と、赤、青、緑と幾重にもなった光彩でキミの横顔が輝く。


「わぁ」


キミの感嘆。

キミの溜息。

キミの言葉。


「きれい……」


キミのほうがきれいだ。

そう思った。


胸が苦しい。

今が永遠になればいい。強く強く思った。


時折、投げかけられる君からの問いかけに、僕は何一つ答えることができない。

ただ、キミと真逆を向いてキミに気の無い振りをした。

精一杯だった。


もしもこんな僕に、少しでもキミの気を惹く機会が与えられたのなら、それは今だというのに。僕は何もできない。

胸を締め付ける焦燥の正体に気付く。


そうか、そうなんだ……。

僕はキミのことが好きなんだ。


なにを当たり前のことを今更のように気づいているのだろう?

遥か天空を見つめるキミの横顔ばかりを追った。

少しでもいい、奇跡に近いこの瞬間を記憶に封じ込めたい。


キミの感嘆、溜息、問いかけ、その全てに心で応えて、態度で拒絶する天邪鬼な僕の心の全てを満たす、キミの横顔。


「ねぇ、京くん? どうしたの?」

「うわっっっ!」


心臓を握りつぶされるかと思うほどびっくりした。

横顔ばかりを盗み見ていた僕の視界に、突然、キミの瑠璃のように美しいな瞳が飛び込んできたからだ。

キミの瞬きよりも素早く、ついっ、と真逆を向いた。


「な、なんだよ」


少しだけ投げやりで強い口調になってしまう。

ワザとじゃない。


「あ……」


わずかばかりのキミの戸惑い。

しまった……。


そんな強い口調で返すつもりはないのに、どうしても体に力が入ってしまう。

後悔は遅れてやって来るから、後悔というのだろう。


「あ、あの、中休みだって……花火」

恐る恐る僕に問いかけるキミの声。

「あぁ、そう」

真逆を向いたままぶっきらぼうに答えることしかできない情けない僕。

「うん」

小さな相槌。

いたたまれないこの空気を何とかしたくて、僕は少しだけ勇気を出した。


「なぁ、じゃあさ、次の花火が始まるまで、屋台でも見て回る?」

「え?……うん!」


少し間があって、キミの嬉しそうな声がした。

僕はホッとした。同時に嬉しくもなった。

だって僕の一言でキミが嬉しそうな顔をしたのだから。


人でごった返した屋台の広場を、僕はキミでなく“キミとの距離”を守って歩いた。

はぐれないよう手を引いてやるのが正しいのだろう。

そんなこと、今の僕に出来るはずもない。

なぜなら、先ほどからずっと手は震えて、汗ばんでさえいるのだから。


もしも手をつないでしまえば、キミにバレてしまう。

僕がキミを好きだということが。


知られることが怖かった。

僕はヒーロー失格だった。


それでも、キミは嬉しそうな顔をして、けっして逸れないよう僕の後ろにピタリとついて回った。

折角の屋台だ、何かキミに買ってあげたい。

家を出る時、父さんから千円をもらっていた。

小学生の折、千円は大きな金額だ。

父さんは、『これで君に綿飴でも買ってやればいい』と言った。


綿飴は嫌だ。

食べればすぐに消えてしまう。

キミの中から、この風景も、香りも、僕の記憶も溶けて、やがて消えてしまう。


僕は形に残るものを探した。

いつかは壊れて消えてしまうとしても構わない。

すこしでも長い間、消えることのないよう形を留めるものを探した。


水風船屋さん、金魚すくい屋さん、お面屋さん。

両親に手を引かれた小さな子供がたくさんいた。

恋人同士なのだろう綺麗なお姉さんとお兄さんもいた。

僕はそれらを選ばなかった。


水風船はやがては萎むか破裂する。

金魚はどれほど丁寧に育てても君より早く死んでしまう。

お面は今だけは楽しめるけれど、いずれは部屋の片隅に眠るだろう。


キミがけっして忘れることのない何かがいい。

お願いします、神さま。

やがてはキミの記憶から消える僕。

せめて贈り物は消えないモノにしたい。




ちりん、ちりん



風鈴のおと。




☆-----☆-----☆-----☆-----


「ヒーロー、京一のステータス」

1、覚醒までに消費した時間 :3か月間を消費

2,ヒロインの残り時間   :5.5年マイナス3か月間

3,ヒロイン?母親?    :(母)☆☆☆☆☆0★★★★☆(ヒロイン)

4,Mっ気         :レベル1→0へ下降


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