第3話
茶の間からテレビの音が聞こえた。タキと照が台所で何か話しながら食事の支度をする気配がする。
瑞紀は携帯電話に手を伸ばして時刻を確認した。六時十五分。
この辺りの家々の朝は早い。元々半農半漁のこの地域は、早朝から皆忙しく立ち働いている。
瑞紀が腹這いのまま、茶の間でお茶を飲んでいる泰司の姿をなんとなく眺めていると、背中に人がのしかかってきた。
「おはようさん」
颯真だ。腹這いの瑞紀の上に腹這いになっている。
「おはよう。暑い。降りろ」
「茶の間まで連れてって」
「いやや」
「天気予報見た?」
「見てへん」
「どっか行きたいなあ」
「苦しい……お前の方がでかいんやぞ」
洗顔を終えたらしい千春が両手で顔をパンパン叩きながら側を通る。
「颯真、甘えてんと降りたりいな。今日もええ天気みたいやで」
「あんたら顔洗うて早よ行きや。もう時間やで」
照が台所から顔を出して言った。
「へいへい」
颯真は立ち上がると井戸の方へ向かう。瑞紀もタオルを持って後に続いた。井戸端の蛇口をひねって顔を洗った颯真にタオルを渡しながら、瑞紀が言う。
「宿題終わったら、どっか行く?」
「行こうや。他にも誰か誘うてみる。ほなお先!」
颯真は瑞紀にタオルを投げて走り去った。行き先は公民館だ。瑞紀も顔を濡らすと、後を追って駆け出した。
ラジオ体操。この音楽を聞くと瑞紀はどこにいても和歌山を思い出す。神戸では夏休みの間は毎朝八時過ぎまで布団の中にいた。両親はもっと遅くまで寝ていた。進二も真紀子も、店を終えて三階の自宅に戻るのは瑞紀が眠ってしまった後だった。それから真紀子は伝票の整理や帳簿つけなどをする。明け方近くに床に就く日もあるようだった。
学期中は瑞紀は一人で起床し、寝ている両親を起こさぬように静かに家を出た。真紀子が瑞紀の朝食にと店の残り物を冷蔵庫に入れてくれているのは知っているが、朝から油っこい洋食を食べる気にはならず、何も口にせず登校することが常だった。
朝の家の中に進二の気配がないことが多くなったのは、いつ頃からだったろうか。店には出てくるが閉店する前にはどこかへ飲みに行くような素振りでふらりといなくなるようだった。
今年の四月のある日を境に、進二がうちで寝る日はほとんど無くなってしまった。
瑞紀は大きく頭を振った。
せっかく和歌山にいるんじゃないか。しばらくは神戸の家のことなど考えずにいよう。
瑞紀は毎年、夏休みのうちの一週間ほどは、和歌山で子どもの時間を楽しんだ。
早朝に起きてラジオ体操をする。
従兄弟たちと思い切り遊ぶ。
三度のご飯を食べて夜九時頃には床に就く。
瑞紀にとってはごっこ遊びのようなこの生活が、この土地のきれいな水と空気と共に、自分の体に滲み込んでくる良剤なのだった。
深呼吸。
音楽が終わると誰かが瑞紀の手に触れた。
「瞬」
「兄ちゃんたち、ずるいぞ。ぼく起こしてくれんと、二人で行くなんて」
瞬は肩で息をしている。
目が真っ赤だ。
「よう寝てたから……ごめんな」
「なんでそんなことで泣くねん。赤んぼかお前は」
「颯真やめえや。瞬、ハンコもらいに行こ」
瑞紀のカードは無いのだが、瞬のために 一緒に列に並んだ。
前にいる少年二人が振り返って、颯真に何か話しかけている。一人は颯真と同じくらいの体格で颯真よりも黒く灼けている。もう一人は小柄で眼鏡をかけている。
「そいつ誰?」
眼鏡の少年が瑞紀を見て言った。
「お前、瑞紀やろ。去年も来とった」
瑞紀が名乗る前に、大柄な方の少年が言った。
「おれ、高木力。覚えてるか?一緒にプール行った」
ああ、と瑞紀は応えた。名前は忘れていたが、顔には見覚えがある。目尻の上がった、気の強そうな顔だ。去年の夏、プールで颯真とクロールの競争をしていた。瑞紀が審判を任された。どちらが勝ったのだったか、今はもう思い出せない。
「親戚?」
眼鏡の少年が尋ねる。
「いとこ」
「こいつ、同じクラスの田村。うちから見える青い屋根の新しい家に住んでる。田村、宿題教えてくれ。ついでにゲームさせくれ」
颯真は田村という少年の肩に手を置いた。
「ゲームは時間制限あるし無理。宿題は自分でしいや。おれ、昼まで夏期講習やねん。遊ぶなら午後からな」
「ぼくも遊ぶ。ぼくも行きたい」
瞬が颯真の手をとった。
「あかん」
「なんで?なんでぼく、いっつもあかんの?」
「足手まといや。昼寝しとけ」
「いやや、行く」
「あかん」
「いやや」
瞬の目から涙が落ちる。
「ほらすぐ泣く。せやからあかんねん。リキ、田村、後でな」
颯真は軽く手を振って歩き出した。瑞紀が瞬の肩を抱いて後に続く。
「颯真お前、瞬にきついねん。弟やんか」
「弟やからやろ。おれかて隆にいにガツンガツンやられてここまでになったんや」
「……瞬、おれが兄ちゃんになったるわ。性格歪まんようにな」
「どういう意味や。ほんま甘いな、一人っ子ちゃんは」
そう言って颯真は一人でどんどん坂を下って行く。瑞紀は瞬の手を引いて歩きながら、ため息をついた。
昼食後、出かけようとする颯真と瑞紀の後を、虫取り網を持った瞬が追って来た。
「あかんて言うてるやろ。それにその網は何や」
「蝉取りすんねん」
「蝉取りなんてガキの遊びはせえへんの」
「連れてったれや。この辺り、瞬くらいの小さい子は居れへんから退屈なんや」
自転車のタイヤに空気を入れながら、隆哉が口を挟んだ。
「隆にいが遊んだりいや」
「おれはもうすぐ出かける。友達と約束あんねん」
「なんや、人にばっか押し付けよって」
リキと田村がやってきた。虫取り網を持っている。
「なんや、お前らまでそんなもん」
「リキがうち来る途中でカブトムシ見つけたゆうから」
「ちょうどそこで愛結に会うてな。今、愛結が見張ってるわ」
「カブトか。早よ行かな逃げるな。瞬、その網、貸せ」
「お前、瞬に蝉取りなんてガキの遊びや言うてバカにしよったくせに」
隆哉が笑って言う。
「あほう、蝉とカブトは全然ちゃうわ。瑞紀、瞬、行くで」
少年たちは駆け出した。
公民館の入り口近くにある木の上に、愛結という少女はいた。
「何やってんの。待ちきれへんから、あたしが取ったで」
「見して。でかいか?」
「まあまあ。でもカブトムシやない。クワガタやわ。網貸して」
颯真が背伸びして虫取り網を渡すと、愛結は網の中に虫を入れ、包むようにして、それを颯真に返した。そしてするすると木から下りてくる。
「愛結、お前、虫好きなん?」
「別に好きやない。高木がカブトカブトて騒ぐから、よっぽど欲しいんやろ思て取ったげただけ」
「おれ、もろてええの?」
「ええんちゃう」
愛結が手についたごみを払いながら言う。リキはクワガタムシを虫かごに入れた。
「愛結、引っ越し、いつなん?」
颯真が尋ねる。
「あさって。今、家の中めちゃくちゃで、お母さんヒステリーや。あたしの荷物はほとんどまとまったし、うっとおしいから逃げて来た。なあ、祭り行かへん?」
「祭り?」
この町には東京に本社のあるシイトスという大手企業の工場がある。愛結はそこが主催するイベントに今からクラスメイトの女の子たちと一緒に行くという。
「暇やから行ってもええけど。でもお前、引っ越し準備ほんまにもうええんか?」
「ええねん。あとの物は子どものあたしにはどうにもならんもんばっかりやし。あたしエリちゃんたちと待ち合わせしてるから先行っとくな。あっちで会おう」
愛結は軽く手を振って坂を下って行った。
瑞紀は颯真と愛結のやり取りを、すべり台の縁に腰掛けて聞いていた。瞬は登っては滑りを何度も繰り返している。
瑞紀は隣で使わなかった虫取り網を弄っている田村に尋ねる。
「あの子、引っ越すの?」
「うん。親の離婚でな。名古屋に転校すんねんて」
「……ふうん……」
何とも言いようがなかった。親の都合で子どもの居場所が決められるのは仕方のないことなのだろうと思った。
「行くとは言うたけど、どうやって行くかなあ。リキと田村は自転車で何とかなるやろけど、うちのは隆にいが乗ってったやろからな」
颯真はそう言って頭を掻いた。生沢の家にある乗り物は、照がパートに行くのに乗って行ったスクーターと、隆哉が乗って行った自転車だけだ。イベント会場までは歩いて行くには少し辛い距離だった。
「峰子おばちゃんに頼んでみたら?」
「ああ、なるほどなあ」
瞬の提案に颯真が珍しく頷く。
「清太兄ちゃんの会社のイベントやし、連れて行ってくれるかも知れんな」
清太は瑞紀たちの従兄で、峰子の一人息子だ。大企業に入って親を安心させてくれた孝行息子だと峰子が自慢している。
峰子の家はリキの家のある通りの、道一本向こう側にある。公民館から真っ直ぐに向かってみることにした。
峰子は洗濯物を取り込んでいた。颯真が声をかけると、すぐに隣の瑞紀に気がついた。
「瑞紀、大きいなったなあ。いつ来たん?」
「昨日です」
「そう。真紀子たちは元気にしてんの?」
「はい」
そう答えておいた。面倒な話はしたくなかった。
峰子と真紀子は目鼻立ちが似ている。しかし峰子は真紀子よりもふっくらとしており、眉がやや下がった穏やかな顔つきだ。
「おばちゃん、シイトスの祭り今日やろ。おれら行きたいんやけど連れてってくれへん?」
「私もちょっと覗いて来ようかと思うててん。乗せてったるわ。ぎゅうぎゅう詰めになるけど、ええ?」
「うん。やった!」
峰子の家から田村、リキ、颯真がそれぞれの家に電話をかけ、峰子と出かける旨を伝えた。
峰子が運転席、颯真が助手席に座ると、後の四人は後部座席に押し合うように入って何とか収まった。
「清太なあ、今日何とかレンジャーの着ぐるみ着て会場歩き回っとるはずやわ。暑いのに大丈夫なんかな」
車で七、八分程走ると工場の白い建物が見えてくる。駐車場の向こうに出店があり、その向こうに小さな舞台がしつらえてあるのが見えた。遠くに海の青がちらりとのぞいている。
車を降りると風に乗ってテンポのいい音楽が聞こえてきた。家族連れなどがそぞろ歩く会場は、神戸育ちの瑞紀には賑やかというよりはのどかだと感じられる。
「愛結たち、もう来とるんかな」
「まだやろ。多分バスか自転車やろからな」
「清太はどこうろついとるんやろ」
峰子は瞬の手を引いて会場内を見回した。
「わあっ」
叫び声に振り返ると、颯真が金色のスーツのレンジャーに羽交い締めにされていた。
「こら、やめい!マジ苦しいわ!正義の味方がいきなり人襲ってええんか!チビッコが見とるやないかい!」
「あんた暑いやろ。気分悪うないか?」
峰子が気遣う。
「大丈夫。交代で休憩とってんねん。これずっと被りっぱなしやったらのぼせてゲロ吐くわ」
「ヒーローがゲロ吐くとか言うな!」
颯真が歯をむき出す。
「おお瑞紀。ええ男なったな。元気か?」
「うん、まあまあ……清太にいも、ええ男なったな」
「せやろ。全身ピッカピカに輝いてるやろ……って、俺の顔見えてへんやないかい!」
「どうでもええけど、関西弁丸出しでベラベラしゃべっといてええの?瞬が口あんぐりやで」
峰子と手をつないだまま、瞬が呆然と見上げている。
「今から舞台でショーやんで。瞬、俺の晴れ姿見といてや。じゃあな!」
ゴールドレンジャーが片手を上げて走り去った。
「おばちゃん、おれら友達と待ち合わせてるから、ショーはええわ」
「あら、そう。じゃあこれでみんなでアイスでも食べや。瞬はおばちゃんと一緒にショー見とこうな」
峰子は颯真にお金を渡すと、瞬を連れて最前列の席へと急いだ。
アイスクリームは買わなかった。颯真とリキと田村は射的をしていた。瑞紀は少し離れた木陰で木の幹にもたれて、颯真らを見るともなしに見ている。
眠い。
慣れない早起きのせいだと思った。ゆうべの寝つきも悪かった。芝生の上に横になって、目を閉じた。
電話での真紀子の声を思い出す。張りのある声だった。もう何ヶ月も前から、進二のいる時には出さない声だ。
瑞紀が六年生になったばかりのある夜、両親がいつもより激しく言い争う声が聞こえた。
瑞紀はいつもそうするようにベッドを出て、両親のいるリビングへ向かった。
瑞紀が行ったからといって何が出来るわけでもなかった。ただ自分がいないよりはいた方がケンカがエスカレートしにくいように思えた。二人の間にいることが自分の役目であるような気がしていた。
瑞紀が部屋に入ると、真紀子が押し殺したような声で歯ぎしりするように言った。
「この人はうちのお父さんやないの」
次の瞬間、進二が真紀子の顔を殴りつけていた。真紀子はまだ何か言おうとしたが進二は真紀子をまた殴った。
瑞紀には何が起こっているのかわからなかった。わからないまま、父と母の間に割って入った。父の平手が一発、瑞紀のこめかみに当たった。その後のことは、よく覚えていない。
いつの間にか進二がいなくなっていた。テーブルに突っ伏している真紀子の傍に無言で座っていたのは、どれぐらいの時間だったのだろうか。真紀子が顔を上げ、立ち上がり、ココアを入れてくれた。
何も言わず、二人でココアを飲んでいると、誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。
進二だった。赤ん坊を抱いていた。
そのまま、ソファーに座った。真紀子はゆっくりと進二に近づくと、隣に座り、赤ん坊の顔を覗き込んだ。進二が赤ん坊を真紀子に差し出すと、真紀子はそっと受け取った。進二と真紀子は赤ん坊を見つめながら、それぞれが静かに微笑んでいた。
「瑞紀、おいで」
真紀子に呼ばれて側に行くと、赤ん坊の小さな顔が正面から見えた。まだ赤黒く眉のないその子は、眠っているらしかった。
「可愛いね」
そう言って真紀子は瑞紀に力無く笑いかけた。
もう夜が明けていた。
「瑞紀、起きろ」
誰かに肩を掴まれ、揺さぶられる。目を開けると、颯真とリキがいた。
「どこ行ったかと思うたら、こんな所で寝よる」
体を起こして周りを見回すと、少し離れた場所で田村がこちらを見ている。その後ろに女の子が三人立っていた。一人は愛結だ。
「ほんま愛結ちゃんに似てる」
三つ編みの女の子が言う。
「背格好とか髪の長さとかなあ」
おかっぱの女の子が相槌を打った。
瑞紀が立ち上がると、颯真も立ち上がりながら言った。
「瑞紀がおったてリキが言うから見てみたら愛結やんか。びっくりしたわ」
「まさか、こんな所に愛結がおるなんてな」
リキがそう言うと愛結が「待ち合わせといて、それはないんちゃう」と言って横目で睨んだ。それから瑞紀に視線を移す。
「瑞紀てこの子のことやったんやね。生沢のいとこなんやて?」
「うん」
「生沢瑞紀?」
「いや、斎藤瑞紀」
「ふうん」
愛結と他二人の少女は自分の名前を告げた。三つ編みの子はリサ、おかっぱの子はエリといった。自己紹介が済むと愛結は颯真たちに向き直った。
「あんたたち、何しとったん?」
「射的」
「それだけ?」
「後は瑞紀探し回っとった」
「ごめん」
瑞紀が謝る。
「あたしも射的やってみよかな」
愛結が射的の店へ向かい、エリとリサもついて行く。颯真らも見物することにした。射的をするのは愛結一人だけらしい。
「生沢、どれやったら取れると思う?」
「……あれかな」
颯真が積み上げてあるキャラメルの箱を指差す。
愛結が構えた。笑顔はない。愛結が撃つ度に皆が歓声を上げるが、愛結は無言だ。最後の一発でキャラメルの箱の塔が崩れた。愛結は射的屋からキャラメルを受け取ると、颯真に差し出した。
「あげるわ」
「キャラメル、好きやないんか」
「今は欲しくない」
颯真は箱を開けると皆にキャラメルを配った。
「クワガタといい、キャラメルといい、欲しゅうないもん取るなんて変わったやつやな」
「そう?」
愛結は颯真が握っている空箱をさりげなく取ると、自分の肩掛けバッグに入れた。
颯真と愛結が並んで一番前を歩く。少し離れてリサとエリが行く。瑞紀とリキと田村は最後尾に並んだ。
「お邪魔せんように少し離れて行こうな」
三つ編みのリサが瑞紀たちの方を振り向いて小声で言った。
「わかってる」
田村が答えた。瑞紀はリキに尋ねた。
「あの二人、そうなん?」
「知らんわ。あいつら何も言わへんし」
「愛結の方は絶対颯真のこと好きやと思う」
田村は小声ながら力を込めて言った。
「颯真て、女の子に人気あるけど、あんま興味なさげやん。それが愛結とは結構しゃべってんで」
「それだけではなあ。まあ、好きとかいうのとは違うかも知れへんけど、他の女の子と同じには思うてへんやろな、とは思う……」
田村とリキのやり取りを聞きながら、瑞紀は颯真と愛結の後ろ姿を見ていた。
無邪気でやんちゃなだけに見えていた颯真に、特別に思う女の子がいるらしい。誰かを特別だと感じる時、心はどんな風に震えるのだろう。
颯真が金魚すくいの店の前で止まった。愛結は首を横に振っている。颯真は後ろから来る友人たちに声をかけた。
愛結と瑞紀以外は皆金魚すくいをするという。はしゃぐ金魚すくい組から瑞紀はそっと離れた。隣に立つ愛結に訊く。
「金魚は、とらへんの?」
「あたし、魚あかんねん。見るのも食べるのも」
「へえ」
「瑞紀くんは、なんでせえへんの?」
「おれ、生き物を捕まえるというのが、どうもな……」
「……ふうん……」
愛結は珍しそうに瑞紀の顔を見た。
「おかしいかな」
「いや、そういう人も居るやろな」
きゃあ、と声があがった。誰かが金魚を捕り損ねたのだろう。颯真が笑っているのが見える。
「転校するんやってな」
「うん。親が離婚してな」
愛結はあっさりと言った。
「大変なんやろな」
「そうでもないわ。正式に離婚したのは最近やけど、お父さんが出ていって一年以上になるもん。母子家庭状態には慣れてんねん」
そう言って愛結はふと笑った。
「生沢んち、楽しいやろ。賑やかで」
「賑やかすぎるわ」
「ええねえ」
皆が金魚の入ったビニール袋を下げて近づいてきた。愛結が顔をしかめて目を逸らす。
「颯真、それ貸して」
瑞紀は颯真の手から金魚の袋を取って歩き出した。
「お前、金魚欲しかったん?」
「持っときたいだけ」
言いながら、瑞紀は颯真を愛結の方へ押しやった。
「そろそろバスの時間やね」
エリが名残惜しそうに言う。空がオレンジ色に染まり始めていた。
「おれら颯真の叔母さんの車で来てんねん。ここでバイバイやな」
「今度いつ会えるかわからんけど、それまで元気でな」
愛結は笑ってそう言った。
「えー、見送りおいでや生沢くんたちも……」
「ええよ、そんなん……」
そう言った愛結の表情が固まった。
愛結の視線の先に男が立ってこちらを見ていた。愛結の名を呼びながら近づいてくる。
「元気か」
「……うん」
「お母さんに訊いたら、ここやって教えてくれてな」
男は愛結を見て微笑んだ。愛結の表情は固いままだ。
「少し、ええかな」
「うちら、もう帰るとこやねん。バスの時間やから」
「そうか。お父さん車で送ったるわ。友だちも一緒に」
「ええわ。バスで帰る」
「……愛結」
何か言いかけた父親の横をすり抜けて、愛結は駆け出した。
瑞紀たちは呆気にとられていた。エリとリサもどうしていいのかわからずに立ち尽くしている。
「おじさん、そこで待っとってください」
そう言うと、颯真は愛結の後を追った。
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