第8話 脅迫となんでもやる
ハグの一つでもしてくれるのかなとか、そんな悠長に構えて呑気していたのセラフィーナであったが、呑気なんてものは一瞬で吹っ飛んだ。
人間に何ができるという油断もあった上、食事直後のもっとも緩んだところだったのも手伝い天ヶ瀬悠花の奇襲は成功した。
咥内に感じる人の手の感覚よりも先に舌先に触れた赤が喉に流れていった瞬間、加減も忘れて弾いた。
ごろごろと悠花が床を転がっていく。
セラフィーナは、そんな彼女の様子を見る余裕すらなかった。
「カ、っ!?」
息が詰まる。無理矢理に呼吸しようとして喘鳴が頭蓋に響く。
びちゃびちゃと胃の中のものがひっくり返る。それでも気分は良くならない。むしろもっと悪くなる。
手指先が震えて、視界が揺れる。自分が何を飲まされたのかを理解するのに時間は要らない。
人間の血だ。
床に蹲るセラフィーナを、掌から垂れる赤い血を見せながら悠花は見下ろした。
「本当にアレルギーなんですね。たったこれだけでそんなになるなんて」
「酷いな……助けてあげたのに」
「両親の仇を殺してくれたことには感謝しますよ。でも、わたし吸血鬼嫌いなので殺せるなら殺しておこうかと――」
「これだから、人間は……」
「――思ってましたが、やめました。さっきのは確認です」
「…………確認?」
セラフィーナは目の前の少女が何を言っているのかわからない。思わず苦しみに喘ぎながら、悠花をぽかんと間抜けそうに口を開けたまま見上げた。
霞んでいる目をしばたかせても表情を浮かべていない彼女の顔からは、その意図を推し量ることができない。
「本当に人間の血がアレルギーなのかの確認です。それが嘘で本当は人の血も飲めるとかだったら大変ですから。でも、その呼吸に腕の発疹とかを見るに本当にアレルギーっぽいですね」
「……いやいや…………普通、やる? 今?」
「やっていいとあなたがいいました」
「いっ……たけど」
言いはした――が、あの時うやむやになったと思っていた。それが今も有効だとセラフィーナは考えていなかった。
まさか本当に血を飲まされるとは夢にも思ってなかった。
自分で言ったことだから自業自得といえなくもないだろうが、これを身から出た錆とは言いたくないのがセラフィーナの心情である。
アレルギー反応で否応なく痙攣してどうにこうにも辛みが酷く芳しくない身体を抱えている身では、むしろ怒っていい場面ではないかと思い始めたところだ。
「少なくとも人間の血を吸えないことを確認できたので、これで話を次に進められます」
「話、って……?」
セラフィーナはヒューヒューと息を荒く、今にも死にそうであったが思いがけずいったいこんな確認をした後にどんな話をされるのか、少しだけ興味がわいてしまった。
先ほどもこの悠長とか油断でやられたというのに懲りない。違うのはこれでもししょうもないことだったらお仕置きしてやると思っていることくらいだ。
そんな彼女に対して悠花は淡々と提案した。
「わたしに協力してください」
「……協力?」
「はい、わたしはこの日本から吸血鬼を根絶したいと考えているのでその協力をしてください」
「……ボクにキミに代わって同族殺しをやれって?」
「食事でしょう、あなたにとっては」
「まあそうだけどね。でもさ、なんでボクがキミに協力しないといけないのかな。キミがボクに協力することはあっても逆はないんじゃない?」
「それはわたしが嫌なので。吸血鬼に協力するとか死んでもごめんです。吸血鬼がわたしに協力するならギリ許せますが、逆は許せないのでダメです」
「うわ……ボクも大概だと思ってるんだけど、キミも大概だね……それで良く、吸血鬼と手を組んででも吸血鬼を殺そうだなんて考えるものだ」
床に伏せながらセラフィーナは口角をわずかに上げていた。
面白い。
人間と吸血鬼の仲は最悪だ。何せ被捕食者と捕食者だ。誰だってライオンと同じ檻に入れられて仲良くしてくださいと言われても仲良くできるわけがない。
それを悠花は捕食者ではなくなったが、自分とは隔絶したライオンである相手と手を組んで他のライオンを殺そうとしている。
そんなイカれた奴はセラフィーナの人生の中でもお目にかかったことがない。
大概の吸血鬼と人間がセラフィーナを前にしてやることといえば、彼女に憎悪を向けて話も聞かずに殺そうとするか、怯えて逃げ惑うかのどちらかだ。
彼女はそのどちらとも違う。こちらを見て、話をしてくれている。
それだけでもセラフィーナはこの話に乗ってやってもいいと思う、が。
「でも断る」
「このままここで血を飲ませて殺してもいいんですよ」
「無理だね。やるなら最初の一回で済ますべきだったよ」
セラフィーナは立ち上がる。異能のストックにある再生の異能で発作を無理矢理抑え込んだ。おかげでベネディクトを喰った栄養の大半が吹っ飛んだが、行動は可能。
少ない量で助かったとはおくびにも出さずに不敵な笑みをしゃがんだままの悠花に向ける。
「じゃあ、ボクは行くよ。面白い見世物をありがとう」
「わたしを殺さないんですか?」
「殺す必要はないし、捕食目的以外で殺すなんて犯罪でしょ」
「…………」
悠花は黙ったままセラフィーナを見上げている。まだ何かを考えていることはセラフィーナにもわかった。
だから、少しだけ立ち去るのは待って何をするのかとセラフィーナはにやにやとしながら見ていたら悠花はすっと立ち上がった。
セラフィーナに背を向けて悠花は、ベネディクトの城においてあった豪奢な椅子へと座って足を組んだ。
まるでその姿は城主のようですらある。
「じゃあ、ここ。今からわたしの城。招かれざる客は帰って」
「はっ……いやいや、そんなこと――うぇ!?」
ぐんと、身体が重くなる。ペナルティーが課された。
ベネディクトがいた時のそれとは小さなものであるが、ペナルティーはペナルティーだ。
だからセラフィーナはとても驚いていた。
「うそぉ……キミ本気でここが自分の領域だと思ってるの……?」
「目的達成の為ならわたしはなんでもやりますし、なんでもできると思ってます」
「怖い……なにこの子怖い……」
「吸血鬼に言われたくありません。わたしとしてはあなたたちの方が怖いですから」
「そうかなぁ? でも嫌だよ。ここまでされたらボクはさっさと逃げればいいだけだしね。もうボクを阻めるものはここにはないからね」
面白い女だったなということだけ記憶しておいて、もうさっさとここから立ち去ってしまおうと思った時またも悠花は口を開いた。
「脅しも効かない、と。では……わたしに協力してくれたら、なんでもします」
「? なんでも??」
「おはようからおやすみまで。起床時の身だしなみのお世話、就寝時の子守歌読み聞かせ、おやすみのキス、道案内、交渉、招き入れ、望むならセックスでもなんでもしてあげます」
「!?」
セラフィーナの思考が止まった。完璧に――。
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