第7話 招き

「ベネディクト・カーマイン!」


 溶岩巨人の拳を振り上げさせたのと同時、悠花の声がベネディクトの動きを止めた。

 意を決した彼女の表情にベネディクトは怪訝な顔をする。ただのエサでしかない少女が、いったいこの状況で何をするのかまるでわからない。


「彼女は、わたしの客だ!!!!」

「は?」


 何を言っているのかと思った瞬間、先ほどまでボロ雑巾のように床に砕けた骨と血肉を広げていたセラフィーナがかたかたと骨を鳴らして笑った。


「なんだと!?」

「はははははは!」


 劇的だった。まるで時が巻き戻されるようにセラフィーナの身体が元通りになっていく。

 潰れひしゃげていた肉体は、均整の取れた美しさを取り戻し、削ぎ落されていた皮膚は新雪の眩さを取り戻し、瞳はアレキサンドライトの輝きを取り戻した。

 再生が終了したセラフィーナは、恭しく悠花へと一礼した。


「お招きいただき恐悦至極に存じます、お嬢さん。お名前は?」

「……悠花。天ヶ瀬悠花あまがせはるか

「ハルカ。良い名前だね。改めてボクはセラフィーナ・クーラリース・テッサリア。助けてもらったお礼をしよう。何かしてほしいことや欲しいものはあるかい?」

「そんなの決まってる。わたしがここまでしたんだから、確実にそいつを殺して」

「仰せのままに。言われなくともボクの食事だ。殺すなと言われても殺すよ」


 全快したセラフィーナは、未だ驚愕の中にあるベネディクトへと振り返った。


「何故だ、何故再生した! 何故! ここはオレの城だ! 招かれざる客の貴様がそれほどの再生力を発揮できるわけがない!! ついさっきまで床を舐めていたお前が! 何故だ!」

「招かれたからだよ」

「招いてなどいない!!!!」

「キミじゃあない。ボクはハルカに招かれたんだよ」

「人間如きの許可なんて意味があるわけないだろう!」

「あるんだよ。彼女はキミが招いた客じゃないか。その客の連れもキミに招かれたことになるのは当然のことだ」

「そんなことありえない! オレはそんなこと知らない!」

「あるんだよ、古い吸血鬼が使う手だ。今じゃそんなこともない世の中だから若い子が知らないのは当然か」


 どこぞのパーティーに忍び込むのに招待客を魅了し、その招待客の連れとして入り込むというのは古くから生きる吸血鬼がよくやっていた手の一つだ。

 いつの時代の吸血鬼も己に課された制約をどうにかしようと多くの工夫が生まれたものである。この国の招き猫を利用する方法とてそういう工夫の中で生まれたものだ。


 セラフィーナが驚いたのは、それらの工夫ややり方を知りもしないはずの悠花がやったことである。

 まさか、人間に救われるとは思っていたなかったので思わぬ誤算だ。

 おかげでセラフィーナは万全の状態まで回復することができた。空腹は加速したが、これでペナルティーは帳消しとなる。


「若造扱いするなァ!!!!」

「いいや、させてもらうよ、若人」

「この老害がァ! ただ再生しただけでいい気になるなよ! もう一度ぶっ飛ばしてやればいいだけの――」


 その言葉は最後まで言うことはできなかった。

 セラフィーナが指を鳴らしてた瞬間、刹那の狂いもなく一分の見逃しもなく広間が凍り付いていた。

 そして、セラフィーナの吐く白い吐息が氷に当たった瞬間、ベネディクトを残して溶岩巨人とグールの全てが砕け散る。

 月明かりを反射した細氷がきらきらしく輝いて、ぞっとするほどに美しくセラフィーナを照らした。


「な、こ、こんな! 何故だ、オレはこの籠島の支配者なんだぞ!」

「この異能を持ってた吸血鬼は当時最強と言われていたナポレオンって人の軍を退けた実績があるからね。たった一都市のこんな小規模なグールの部隊じゃどうにもならないよ。知ってる? ジェネラル・フロストって呼ばれてた伯爵のことなんだけど」

「誰だよ、それはああああ!」

「今の若い子は知らないか。昔はかなり有名だったんだけど、まあボクが食べちゃったから仕方ないよね」

「若造扱いするなああああ!!!」

「あはは、元気でよろしい。若人はそうでないとね。好きだよ、ボク。活きの良い上に若い獲物の血は炭酸水のような清涼感があってさ」

「やめろ、来るなああああ!」


 半狂乱で腕を振り乱し、溶岩を操ろうとするが冷えて固まった溶岩は彼の異能の操作範囲外だ。溶岩で作った表面に纏わせることでしか動かせない。

 外から引き入れようとしても城内部に入ってきた瞬間からこの空間に満ちる冷気が冷やして固めてしまう。


「ルールに則ってボクはキミに勝利した。では、いただきます」

「やめろ、やめろおおおお!!! オレは、オレは支配者だ。人間の上に、いや、吸血鬼の上にも立つ存在なんだぞ!」


 わめきながら這いずって逃げようとするさまは滑稽なほどでセラフィーナは思わず笑ってしまったほどだ。


「それはない。キミはボクのエサだ」


 セラフィーナは無様に床を這うベネディクトの首を掴んで持ち上げて、その首筋に牙を突き立てた。


「あぁ……」

「アアアアァ――」


 空腹を満たす血潮があふれ出す。

 舌根から脳髄を貫く恍惚、快楽、美味――幸福。

 零れ落ち、顎から喉へと流れゆく赤き血液すら意に介さずにセラフィーナは久方ぶりの食事を堪能する。

 香しく濃密なのは血であるから当然であり、しかしてセラフィーナの舌は少しばかり特別製である。

 そこにある吸血鬼個人の味の違いをかぎ分けることができる。


「独特の辛味が若い血の炭酸めいた爽やかさと合わさって、まるでジンジャーエールのようだね」


 脳で弾ける泡、喉を爽やかな刺激のある独特の辛みが落ちていくのは実に心地が良い。

 久方ぶりの食事ということもあってその美味さは格別だ。

 若い血はやはり良いものであるとセラフィーナは血を舌で転がしながら喉を鳴らす。これが老齢の吸血鬼であったのならば芳醇なワインかブランデーといった味わいであったところだろう。


「もっと熟成させるべきだったか」


 しかし、それほど待てるほどセラフィーナは我慢強くない。あればあるだけ吸いつくしてしまう。次にとっておくなどという概念は彼女には存在しないのだ。

 ベネディクトの若さある瑞々しい肌はすぐに乾燥した荒野のように罅割れてみすぼらしく枯れていく。


「あ、あ、あ……」


 血を吸われるという行為には快楽が伴う。これは吸血鬼の基本能である麻痺の牙の効能の一つだ。

 逃れるという気を奪い、そのまま吸われ尽くして枯れ果てるまで、脳髄の恍惚を感じ続け最後には魂である血を搾り尽くされて死ぬ。

 傲慢の姿は見る影もなく、全てを吸いつくされたベネディクトは憐れな干物のように地面に転がる。もう動くことはない。

 根源まで吸いつくしてもはや残ったのは肉という吸いカスのみ。氷漬けにして砕けばグールになることも復活してくることもない。


「ふぅ、ごちそうさまでした」


 満足だった。久しぶりの満腹状態に笑いだしそうになる。

 そんな彼女の下へ、悠花が走って近づいてくる。


「ああ、ハルカ。どうかな? これでお礼に――」


 そして、セラフィーナの口に悠花の手が突っ込まれた。

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