第2話 吸血鬼の乱入
籠島では一週間に一度、吸血される人間が選ばれる。往々にして年若い娘だ。
週に一度のご馳走とでもいうのだろう。
まだ男を知らない清らかな美しい乙女を吸血鬼が求める。求めに応じている間は吸血鬼はこの籠島を他の吸血鬼から庇護するという契約がされているらしい。
しかし実際は、外から来るものなどおらず、吸血鬼は気分に任せて人々を徒に虐げ、暇だからと殺す。
当然ながら、吸血鬼の下に送られた娘は戻ってこない。どうなっているかなどわかりきっていた。
事実上の死刑宣告と同義だ。
しかし、その日だけは生贄となる乙女だけは吸血鬼の居城である旧鹿児島市役所で吸血鬼と確実に会うことができる。
悠花の番は急遽決まったものだ。その美貌が吸血鬼の目に留まったのだ。
悠花は吸血鬼の目に留まるように美貌を磨いてきたのだから狙い通りだった。
なぜなら悠花は今日、その吸血鬼を殺そうと思っているからだ。両親の仇だった。両親が殺された日、必ず殺すと誓った。
吸血鬼は人間が及ばないくらい強い力を持っている。それを殺すには相当の隙を晒してもらわなければならない。
吸血の瞬間、美味しいご飯を食べようとするその瞬間こそ大きな隙になるはずだ。そこを狙う。
悠花は今日、吸血鬼を殺すために吸血役になるように今まで努力してきた。だから、これは望んで得た死刑宣告。望んで差し出した寿命だ。
屋台のおじさんはそのことを知らない。彼女の両親が生きていた頃からよく話す仲だった彼は、単純に吸血役に選ばれた悠花を心配している。
「大丈夫です、わたしなら」
「……ならせめて、これもってけ」
串を焼いていた屋台のおじさんが一本手渡してくる。
「じゃあ、お金」
「いらん。持ってってくれ」
「うん。ありがとう」
「最後かもしれない飯がうちの串で悪いけどな」
「いいよ、これ好きだから」
「そうかい。気を付けてけよ。なんでも外から何か入り込んだとかだ」
「外から? わかった」
「……逃げろって言ってやれねえ、おれを赦してくれ」
「わかってるから。大丈夫だよ。期待しててよ、ちゃんとやってくるからさ」
悠花はそうにっこりと笑うと屋台を後にした。
市庁舎まで考えるのは外から来た何者かについてだった。
何かが来るなど悠花にとっては初めてのことだ。数十年前はハンターたちが吸血鬼を倒そうと着ていたらしいが、今ではとんとないらしい。
「外、か……」
外の世界。籠島の外。興味がないわけじゃない。悠花が知っているのはこの籠に囲まれた狭く密集した都市だけで、この籠の外がどうなっているかなんて知らない。
ここが日本という国でかつては鹿児島と呼ばれていたことくらいは知っている。古い書籍で自然が豊かで四季があって、人々は吸血鬼に怯えずに暮らせていたことがあったことも知っている。
興味がないなんていうことはできない。むしろ興味がある。けれど、それ以上にやらなければならないことがある。
必ず両親の仇を討つ。そのために今日まで生きて来た。路地裏を必死にはいずりながら一人生きて来たのだ。
「ん……美味しい」
最後のご飯になるかもしれない串焼きを頬張りながら、悠花はゆっくりと市庁舎の前にやってきた。
昭和十二年に竣工され、昭和二十年の大空襲でも焼失を免れた歴史的建築であったはずの市庁舎は、今や漫画の世紀末暴走族の本拠地かといわんばかりに華美な装飾と剣山のようなトゲトゲの山がある。
綺麗に保たれていた外観はもはや別物であり、溶岩が周囲に流れていて魔王城と言った方が正しいと思えた。
中に入れば、まるで城の謁見の間のようで間取りがめちゃくちゃになっている。
溶岩が煌々と照らしだす室内は、ますます魔王城かといいたくなる。
そして、そこに人間離れした美貌の男が立っていた。
天への不遜を形にしたような逆立ったマグマ色の髪に濃いサングラスをかけたどこかチンピラじみた男。
この籠島の支配者にして暴君。
だが纏った空気はそこらにいるチンピラとはくらべものにならない。圧倒的なまでの覇気とでもいうべき濃密な気配。
まるで形を持っているかのような絡みつく死の気配に表情が引きつりそうになるのを止められない。
なるべく目を見ないように伏し目がちにその男の下へと歩いていく。
その男こそこの籠島を支配するただ一人の吸血鬼。かつての鹿児島を地獄に変えた一人だ。
「来たな、美しい乙女」
テノールの美声は荒々しく、耳を貫き脳そのものを直接刺してきているかのようにすら感じる。
その声には思わず跪きたくなってしまうような強さが内包されている。
魅了の瞳を見ていないというのにこれだ。人間にとって吸血鬼は抗いがたい天敵であることを認識させられる。
「こちら来て、服を脱げ。オレはもう腹が空いている。不届きものが入り込んだようであるし、時間をかけたいがそうもいかないのでな」
「……はい」
悠花は言われるままゆっくりと男へと寄っていく。
目の前までやってきて服を一枚一枚ゆっくりと脱いでいく。
首筋を出したところで男がそこへと顔を寄せてくる。
「ああ、美しいな。素晴らしい。まずは少し味見を――」
首筋に噛みつこうと男が口を開いたその瞬間、制服の中に隠し持っていたナイフで悠花は吸血鬼の心臓を突こうとして――。
天井をぶち破って何かが乱入してきた。
「誰だ!! ここをベネディクト・カーマインの居城と知っての狼藉か!」
月明かりが乱入者を照らす。
女神のような人離れした容貌の女だった。
ワインレッドのアレキサンドライトのような瞳が燦々と生命力の強い輝き宿し、見るたびに色が変わる澄んだ色味の髪が月明かりをきらきらと乱反射させている。
吸血鬼だ、と悠花には一目で分かった。
「あっ、ごめんね。ずいぶんとみすぼらしい城だったから、つい改築しちゃった」
「なんだと! 名乗れ痴れ者が! ここはオレの領地だ。オレが王だ」
「良いとも、名乗るよ。ボクはセラフィーナ・クーラリース・テッサリア。しがない旅の吸血鬼だよ」
悠花はその顔から目を離せなくなった。魅了の瞳なんてまともに見ているはずなどないのに、その顔を見た瞬間、まるで何か大切なものを見つけたと言わんばかりに心臓がひと際大きく拍動を刻んだ。
「食事中に失礼。食事に来ました――」
セラフィーナと名乗った女吸血鬼はにかりと吸血鬼の証たる鋭い犬歯を見せつけるように笑った。
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