第3話 逃走とかくれんぼ

 セラフィーナは、吸血鬼がいるであろう元鹿児島市庁舎をビルの上から見下ろしていた。

 どうやって吸血鬼を領地である籠島から誘い出すかと考えていたのだが、街中に置かれていた招き猫のおかげでここまで簡単に来ることができた。


「ニッポン固有の術式体系かな。いいなー、羨ましいよ、アレ。でも、この城はない」


 吸血鬼の居城には個性が出るが、これはまた酷い有様だと思わずにはいられなかった。これでは居城というよりもチンピラのアジトだ。

 昨今の若い吸血鬼の流行なのだろうか。世代間のギャップを感じてセラフィーナは思わず嘆息した時、それを見つけた。

 天ヶ瀬悠花が市庁舎に入っていく姿だ。匂いを嗅げば人間であることがわかる。確実に吸血鬼の食事だ。


「これは不味いかな。助ける義理はないけど空腹の状態で満腹の吸血鬼となんて戦いたくはないし、背に腹は代えられないか」


 セラフィーナは屋上を蹴って市庁舎へと突っ込んだ。その瞬間、右腕が燃え盛る。

 彼女はその痛み含めた全てを無視して着地した後、素早い状況を把握に努めた。


 セラフィーナは、すぐさま籠島の主であるところのベネディクト・カーマインと、吸血鬼の贄とされている天ヶ瀬悠花の姿を確認する。

 その少女が吸血鬼を殺そうとナイフを手にして心臓を突こうとしているが悪手だ。気が付かれたならば彼女は八つ裂きにされてしまうだろう。

 ただその様を見たおかげでベネディクトの牙が悠花に届いていないのを確認できた。彼が空腹であることをセラフィーナはほくそ笑む。


 あとはこの場から彼女を連れ出すだけだ。相手の手の中にいつでも食べられるご飯があっては満足に戦えない。

 セラフィーナは、少女の蛮行が気が付かれないようにベネディクトへ挑発を投げた。


「あっ、ごめんね。ずいぶんとみすぼらしい城だったから、つい改築しちゃった」

「なんだと! 名乗れ痴れ者が! ここはオレの領地だ。オレが王だ」

「良いとも、名乗るよ。ボクはセラフィーナ・クーラリース・テッサリア。しがない旅の吸血鬼だよ」


 ベネディクトは憤った。

 自分の領地に土足で他の吸血鬼が入り込んだ挙句、城を馬鹿にしたのだ。元から天を衝く髪がもっと逆立ち、怒りを露にする。

 そんな彼を見てもセラフィーナは余裕そうな笑みを浮かべたまま馬鹿にするように告げた。


「お食事中に失礼。食事に来ました――」


 セラフィーナはにかりと吸血鬼の証たる鋭い犬歯を見せつけるように笑った。

 これから戦いが始まるのだと否応なしに高まっていく戦意にベネディクトの城が揺れている。

 しかし、セラフィーナはその戦意をぱっと引っ込めた。


「でも日が悪いから、またにしよう」

「え、はえ!?」


 セラフィーナが手をひけば、その手の中に悠花が現れる。

 餌の横取りほど吸血鬼が嫌うものはない。獲物を奪われたなどと同族に知られては恥ずかしくて城の外を歩けなくなるだろう。

 故に己のプライドをかけて必ず追ってくる。腹が減っていることすら構わずに追ってくる。


「テメェ! 貴様! オレの獲物を横取りする気か!!」


 その怒気はまさしく狙い通りに進んだことの証左だと、セラフィーナは不敵に笑う。


「じゃあね――」

「きゃあああああああ!?」


 セラフィーナは挑発の投げキッスを一つと共に跳躍し、背を向けて走り出した。。

 腕に悠花を抱えてベネディクトの居城内を飛び跳ねる。人間では絶対に不可能な速度と力強さで舞う。


 悠花はセラフィーナの腕の中で、目を回す。

 肉体の躍動とともに過ぎ去っていく色の洪水、夜灯りにきらきらと輝く吸血鬼。

 普通ならば不思議と呑気に綺麗だと思ってしまっていた。

 ただ呑気できたのはそこまでですぐに目を回して気を失ってしまった。


 彼女が意識を失うのと入れ替わるようにベネディクトの怒声が闇夜に響き渡る。

 背後を振り返れば、猛然と獣のように追いかけてきている。さらには市庁舎周囲にあった溶岩が生き物のようにセラフィーナを追ってくる。

 入り口出口を完全にふさいで逃がさないという気を隠しもしない。なりふり構わずとはこのことだろう。


「待てや!!」

「待てと言われて待つ吸血鬼はいないよ」


 セラフィーナは、市庁舎から出るのを諦めて振り切ることに全力を尽くすことに舌。

 闘牛士が振るうマントのようにひらひらと壁から壁へと飛び跳ね周り、時には壁に穴を空けて狭い隙間を通り抜ける。

 次第にベネディクトの声は小さくなり、いつしか聞こえなくなった。追撃者がいなくなったのを見計らって止まったのは、旧鹿児島市役所三階の物品入札室であろう部屋だ。


 今ではそこには何もないだけのただの空間であり、空間と空間の狭間に位置していた。市庁舎を居城へと改装する際にできたのだろう隙間だ。

 そこにセラフィーナは術を施して見つかりにくくする。これでしばらくは見つからずに時間稼ぎができる。

 持ち主の意図しない空間ということもあって、侵入者であるセラフィーナがしばらく滞在してもギリギリなんとかなる場所というのもありがたかった。


「さてと、これからどうしようか」


 本当ならばベネディクトを外に誘い出すつもりが内側に引き入れられたおかげで招かれざる客になってしまった上、ベネディクトのエサも抱えている。

 放り出した場合、ベネディクトは確実にその場でこのエサを食うだろう。そうなれば面倒なことになる。

 かといって外に出そうとしても燃え滾る溶岩が壁のように持ち上がってこの市庁舎を取り囲んでいる。

 セラフィーナだけならば逃げるのは容易いが、悠花を抱えたままでは逃げられない。


「困った困った。この子守りながらか。大人しくしてくれる子だといいけど……」


 セラフィーナ自身も背負っていた棺を降ろした。何もない空間は棺を置いたらほぼいっぱいだったので悠花はその上にそっと寝かせる。

 ナイフで吸血鬼の心臓を突き刺そうとするような子がおとなしくしていられるような子とは思いがたい。


「はぁ、困った」


 困った困ったと言い続けるセラフィーナであったが、その顔は困っている風ではなく、むしろ心底から楽しそうに笑っていた。

 それからしばらく待っていれば悠花が目を覚ました。


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